2.2章 プリンス・オブ・ウェールズ

 12月8日にシンガポールを出港したフィリップス中将が率いるZ部隊は、マレー半島のシンゴラ湾を目指していた。その時の航路は、アナンバス諸島の東側を回って、北西方向に向けて航行中だった。現地時間の12月9日の午後5時過ぎになって、シンガポール経由で本国からの緊急電を受け取った。電文には、南シナ海を日本軍空母部隊が行動している可能性があるとの情報がまず示されていた。その後に、インド洋の艦隊と合流して日本軍に反撃すべしとの命令が記載されていた。それまでは戦力を温存しろとも書いてある。


 フィリップス中将は電文をリーチ艦長にも見せた。

「この空母部隊が行動中という点はどう考えるかね? 我々に事前に知らされていたこの海域の日本艦隊は、戦艦2隻と巡洋艦数隻、それに加えて護衛の駆逐艦という情報だった。ところが、これに空母部隊が加わるとなると、それが随伴していない我が方は圧倒的に不利になる」


「我々が出港する直前に、フィリピンのアメリカ陸軍基地が日本軍から攻撃されて壊滅したとの情報が入っていますが、単座戦闘機が爆撃機を護衛していたようです。単座戦闘機とすると、日本軍の航空基地はフィリピン付近にはありませんから、空母搭載機のはずです。空母がフィリピンの航空基地を攻撃してから、次にマレー攻略部隊を支援することは、行動としても充分考えられることです。加えて、空母による真珠湾空襲の情報がシンガポール経由で入ってきています。魚雷と大型爆弾及びスキップボミングも組み合わせて、真珠湾の大型艦は全滅です。ハワイ沖で空母エンターライズも短時間で撃沈されたようです。日本海軍の機体は海上を高速で航行する空母に、魚雷も爆弾も命中させているのです。日本空母の攻撃力を侮ってはいけません」


 フィリップス中将は、真珠湾で示された日本海軍機の攻撃力を見直していた。特にエンターライズの撃沈は航海中の大型艦を航空機だけで撃沈できることを証明している。しかも、日本の機動部隊は随伴していた重巡も2隻を撃沈して、艦隊として壊滅させていた。米空母の上空には護衛戦闘機もいたに違いない。それを排除して空母部隊の攻撃を成功させているのだ。日本海軍の航空機はイタリア並と言う自らの見解は改める必要がある。彼は、日本軍機はドイツ軍のように果敢に攻撃してくる相手だと考え直すことにした。


「確かに、この艦でも魚雷と爆弾を連続して命中させられれば、被害は大きくなるな。まあ、本艦の対空砲がある限り、日本軍の犠牲も大きいだろうがね。リーチ君、我々は本国の指示に従い南下することとしよう。インド洋に入る前にシンガポールに残っている部隊と合流したい。落ち合うのはジャカルタ沖でいいだろう。ジャカルタで合流して、それからインド洋に出るか、スラバヤ方面に一度転進するか判断しよう。シンガポールに停泊しているアメリカやオランダ海軍艦艇にも我々の南下の予定を伝えてくれ」


 二人が会話をしている最中に垂れ下がっていた雲が、一時的に晴れ渡った。艦橋の見張り員が大声で報告をする。

「北方に水上機を発見。更に西北方向にもう1機の飛行艇を発見」


 リーチ艦長がフィリップス中将に意見を述べる。

「日本軍に発見されました。敵の艦隊司令部にも我々の情報が上がります。こんなところでぐずぐずできませんから、南方に向けて速度を上げますよ」


 ……


 12月10日の夜が明けると第十一航空部隊の松永少将は、午前7時になってサイゴンから合計11機の元山空の索敵機を発進させた。陸攻が索敵線の南端に到達する頃には、Z部隊は、シンガポールの南東側の海上を南下していた。かろうじて、元山空の九六式陸攻の索敵範囲の南端まで到達していた。フィリップス中将のZ部隊はギリギリのところで虎口を脱出したことになる。最も南端まで到達した1機の一式陸攻はシンガポールの偵察を行っていた。英軍の戦闘機に追い払われる前に、この偵察機はセレター軍港が既にもぬけの殻になっていることを報告した。


 松永少将は苦虫をかんだような顔で航空部隊参謀の高馬中佐と相談していた。

「どうやら、英国海軍の巡洋艦と駆逐艦はシンガポールから夜逃げしたようだな。仏印東方海上の戦艦部隊が索敵に引っかからないのも、南方に全力で退避しているからだろう。英海軍は戦略的転進で戦力温存ということか」


「戦艦部隊とシンガポールの巡洋艦、それに駆逐艦が合流すれば大きな艦隊になります。これを放置するば今後の我が国の作戦に大きな障害になる可能性があります。まずは敵艦隊を見つけなければなりません。そのために、シンガポールからジャカルタまでの海上を偵察範囲とします。一式陸攻の航続距離でもギリギリですが、不可能ではありません。但し、一式陸攻でもこれだけ航続距離を延ばすと爆装はできません」


「うむ、スンダ海峡からインド洋に出られれば、接敵はかなり困難になる。すぐに準備してくれ。片道1000浬(1852km)の長距離飛行になるので、搭乗員はベテランのみ許可だ」


 直ちに6機の偵察装備の陸攻が離陸していった。松永少将の努力はやがて報われた。12月10日の16時に、ジャワ海を航行中の巡洋艦部隊とそこから100浬(185km)ほど後方を航行する戦艦部隊を発見したのだ。直ちに小沢中将と近藤中将に英艦隊の位置が報告された。近藤中将は第二艦隊第四戦隊の愛宕、高雄と第三戦隊の金剛、榛名を中心とする戦艦と巡洋艦の混成艦隊で南下を開始した。


 ……


 リーチ艦長が航空機の探知をフィリップス中将に報告した。

「レーダーが航空機を探知しました。艦橋の見張りが確認したところ日本軍の双発機が飛行していました。つかず離れず、対空砲の射程距離の範囲外を飛行しているのは、我々の行動を報告しているからです。我々がジャカルタ方面に向かっていることは、日本軍に知られました」


「日本軍の偵察機の足はかなり長いということか。爆弾の代わりに増加燃料タンクを積んでいるのだろう。我々が注意すべきは、日本艦隊の戦艦と巡洋艦が空母を伴って南下してくることだ。マレー半島への上陸支援が必要なので、すべての艦艇が南下するとは思えないが、主力艦がやってくることは覚悟しておく必要がある」


「シンガポールにも日本機が飛んできていますので、この海域に現れても不思議ではありません。それよりも、スンダ海峡を通過して、インド洋に出てセイロンの艦隊に早期に合流することを進言します。インド洋において我が軍の空母部隊とまずは合流して日本海軍と戦うべきです。敵の航空機の攻撃を受けながら、敵の戦艦や巡洋艦と戦うべきではありません。但し、日本の艦隊はまだマレー半島近海にいるはずですから、若干の時間の猶予はあります」


「スンダ海峡は狭くなった喉のところの長さこそ短いが、海の深さは決して十分ではないぞ。しかも、我々が通過する頃には暗くなっているはずだ。座礁の可能性を考えると大型艦にとっては厳しい海峡だ」


「幸いにも、数カ月前に我が軍はオランダ軍と共同で海峡の測定を行っているので、それに関する最新のデータを持っています。それに加えて、その時測量に参加した巡洋艦と駆逐艦は海峡の様子がわかっているはずです」


「うむ。なんとかなりそうだな。まずは先行している巡洋艦とジャカルタ沖で合流しよう。合流後は、スンダ海峡を抜けてインド洋に出る。成功すればインド洋艦隊と一緒に大艦隊を構成できるぞ」

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