10.2章 ジェットエンジン試作の始まり

 タービン研究会が始まってから半年が経過した。ジェットエンジンの研究をそろそろ次の段階に進めたい。これからの進め方について、私から種子島中佐に相談した。

「タービン研究会で、いろいろ検討した結果が徐々に出てきています。そろそろ実際に試作をして、実験結果を検証しませんか? 欧米に遅れることなく、開発を進めるためには小型の実験機でもいいので、実際に動作するものを作らないと紙の上の議論だけでは、これ以上進みません」


 むろん、私の意見に種子島中佐も異論はない。

「君の意見には全面的に賛成だ。私も実験用の試作機を今すぐにでも作り始めたい。私は、発動機部の工場主任なので、実験の場所や測定用の機材については都合がつけられる。工作用の器具も工場内にあるから、板金工作くらいはできる。しかし、試作機を作るとなると、外部のメーカーに圧縮機やタービンなどの部品の製作を依頼する必要があるだろう。耐熱合金などの貴重な金属材料もタービンには必要になるぞ。これも専門の金属メーカーから調達が必要だ。上の方に、お願いをすることになるだろうが、説明する資料がないと今のままでは理解してもらえないだろう。残念ながら、私はそういうことが得意ではない」


 得意じゃないと開き直られて、少しばかりあきれてしまった。しかしここは、私が資料作りをしないと先に進まない。

「ジェットエンジンについては、タービン研究会でいろいろ資料を作成してきています。そこからジェットエンジンのイメージがわかるような図面を抜粋して、説明用の資料を作成してみます。さっそく作業に取り掛かります」


 種子島中佐に誰に説明するかについても話しておく。

「わが航空廠の廠長は、最近花島少将に代わったばかりです。幸い、花島さんは新規の技術には理解がありますから、まず廠長のところに説明に行きましょう。次はやはり、航空本部技術部の和田少将です。実験機の作成にはお金がかかりますから、まずは二人に直訴して、試作機を作って実験することについて、了承をもらわないといけません」


 直ぐに資料を作成して、私と種子島中佐は行動を開始した。まず、花島少将に説明に行く。あらかじめ準備した書類を使って説明した。ちなみに、単にジェットエンジンの構造や動作の説明ではなく、ジェットエンジンが実現できれば、450ノットの戦闘機が実現できるとか、400ノットで超空を飛ぶ爆撃機ができるとか、かなり大風呂敷を広げた説明をしておいた。


 花島廠長は基本的には我々の意見に賛成のようだが、まだ実現可能性に疑問もあるので、立場上、無条件でやれとは言えないらしい。


「興味深い話を聞かせてもらった。君たちの説明がその通りに実現できるならば、素晴らしい。実現を目指して実験を進める許可は与えよう。但し、君達の集まりを外野から見ていて、できるかできないかわからないような道楽に、お金も人もつぎ込むなと言う意見も廠内にある。私もその意見を無視するわけにはいかない。1年の期間を与えるから、君たち自身で、このエンジンの将来性を実証してくれ。実際に新しいエンジンで飛んで見せろとは言わない。地上での実験でいいから、高性能エンジンとわかる結果を示すのだ。ついでに言っておくが、無制限にやられて、今の仕事に影響が出るのも困るので、人員は今の研究会に参加している技師と、種子島君の裁量で自由になる工員の範囲内とする」


 1年という厳しい注文をもらったが、私自身もこれくらいの期間内で実験機を使って実証できないといけないと思う。


 続いて、航空本部の和田技術部長に説明に行った。

「本当にこれが実現できるのか? 夢みたいなことも書いてあるぞ。ちなみに、花島さんはなんと言っているのだ?」


 聞かれてしまったので、1年間と期間を限っての試作と実験について、花島廠長からくぎを刺されたことを説明した。

「わはは、なるほど、試作と実験は許可するから、1年以内に実証しろと言われたのか。花島さんらしいな。私も花島さんの期間を区切ってやってみるという意見に賛成だ。いいだろう。ジェットエンジンという新しいエンジンの実験機は数台くらいなら、面倒見てやろう。試作機の製造にかかる費用は航空本部で負担する。必要な部品の製造は外部メーカーの手を借りてもいいから、ほら話でないことを実証してみせろ」


 海軍というところは許可さえ出れば即実行だ。種子島中佐と私は、航空廠に帰ると急いで実験機の製造準備に取り掛かった。すでに研究会の検討の過程で、圧縮機やタービンなどの主要部は検討が一巡したので、資料や図面が一応存在している。しかし、実際にものを作るとなると、製造用の図面に落とす必要がある。


 タービン研究会のメンバーと相談しながら、部品の図面を作成することにした。ジェットエンジンについては、軸流型圧縮機によるジェットエンジンと遠心式圧縮機のエンジンの双方の形式のエンジンを試作することとした。2形式のエンジンについてどちらにするのか、未来の知識を有する私にもまだ判断できない。史実では終戦直前に軸流型のネ20が先行して完成したが、実用化まで考えるとどちらの形式が先に量産できるかはまだ判断できない。


 初めて試作するジェットエンジンだ。まだまだ基本的な機能についての実験が必要だ。そのため、重量は増えるが、エンジンのケースも含めて、各部の分解組み立てが容易なモジュール構成として、短期間に各種の部品をいくつか交換しながら実験することとした。


 我々は、実際に航空機に取り付けて、飛行試験するようなことはまだ前提とせず、あくまで実験がやりやすい構造を方針とした。外側のケースの分解組み立てや、測定器の取り付けがしやすく、圧縮機も燃焼器もタービンも交換が容易にできる外皮が取り外しやすい構造とした。実験重視の構造なので、必然的に重量は重くなるがそこはあえて無視した。エンジンを構成する部品は、あらかじめ少しずつ設計を変えた複数の部品を準備しておいて、各部の部品を順次交換して差分の検証を行うことにより、机上で想定した各部品の適合性を検証してみることとした。軸流型圧縮機と遠心式圧縮機のエンジンをそれぞれ2基を生産することにして、残りはこの第一世代のエンジンの実験結果に基づいて、改良型のエンジンを作成する計画だ。


 廠長の了解のおかげで、タービン研究会として宿泊が伴う出張も楽にできるようになった。


 まず、永野大尉と松崎技師が、普段は試験飛行に使っている九六式陸攻に乗って呉に向かった。呉海軍工廠からタービンに関する技術情報を入手するのだ。とんぼ返りしてきた彼らからさっそく話を聞く。資料ももらってきたようだ。呉工廠には明治時代から開発を続けてきた蒸気タービンの技術が蓄積されていた。タービン翼間の流れの計算法も確立していて、タービン翼表面の速度分布を求めることにより、流入した高圧水蒸気に対してタービンの効率がある程度わかるようになっていた。


 21世紀の技術知識のある私の目から見れば、コンピュータによるシミュレーションはできないので、かなり簡易なモデルにより計算しているが、それでも傾向はわかる。またタービン翼の翼型毎に、捩じり、湾曲、傾きを変化させたときのデータもそろっていた。特にタービン翼の反動度については、この資料のデータから、水蒸気以上に高圧の燃焼ガスで動くタービンの使用方法の場合、5%から30%を適用範囲とすることが望ましいとわかってきた。結局、試作機としては、反動度8%から始めて25%まで順次増加させて実験してゆく方向となった。


 次に圧縮機については、北野技師の知人である東北帝大の教授から話を聞くことになった。東北帝国大学に沼知福三郎教授という圧縮機理論の専門家がいるとのことで、三木技師と北野技師が訪問した。沼知教授からは、圧力比が8程度までであれば、遠心式であっても軸流式であっても同様に実現可能との見解が示された。これは未来の私の知識からも肯定できる意見だ。実際に遠心式も軸流式も初期のジェットエンジンとして実用化されるはずだから、この見方は正しいことになる。むしろ教授がしっかりとした理論に基づいて意見を言っているという証明になる。


 我々のエンジンでは圧力比が4以上になることはないので、遠心式でも充分可能な領域になる。沼知教授からの助言により、範囲の定まらなかった動翼と静翼の捩じり角度と翼断面の湾曲を数種類の候補に絞ることができた。圧縮機の効率重視型と振動重視型の圧縮翼型の実験も行うこととした。沼知教授は実験による理論の検証に大変興味を持ち、実験機が稼働してきたら、自らも航空廠を訪問して実験に付き合いたいと言ってくれた。軸流型の圧縮機の段数については、私の基本図面の通り8段とすることに決定した。遠心型の圧縮機については、当初予定通り1段とすることを決定したが、あらかじめ三木技師と北野技師とも相談して、圧縮機の翅を交換して実験は行うが、それでも圧縮比が不足した場合は、前段に2,3段程度の軸流圧縮機を追加することを予定していた。


 燃焼器については、私から中田技師にキャン型とキャニュラー型、アニュラー型の3タイプがあり得ることを示して、その中からキャニュラー型を候補としたいと伝えていた。キャン型はそれぞれの複数の燃焼缶が個別構成になっている。一つの燃焼缶の内部での燃焼の研究ができるので開発が容易だ。アニュラー型はドーナッツ状の一つの燃焼器で燃焼をさせる。大きなリングの中で一様に燃焼させるのは、それなりに難しいだろう。しかし構造が簡単で燃焼ガスは均一になる。キャニュラー型はその中間で個別の燃焼缶が相互に太いパイプでつながれて燃焼が不均一にならないように工夫されていた。史実ではドイツのBMW003とネ20は、確かアニュラー型の燃焼器を実現したはずだが、やはり難度は上がるだろう。


 我々は、まずは燃焼器をキャニュラー型と決めて、燃焼缶毎の内部の圧縮空気の流れ方や、燃料の噴射の方法などの具体的な方法を研究して行く方が早道だろうということになった。なんと言っても私が参考にしているJumo004はこの形式の燃焼器なのだ。中田技師も各キャン個別に燃焼実験ができるキャン型とアニュラー型のいいとこどりができるキャニュラー型にすれば、実用化可能だろうとの意見だ。中田技師はむしろキャン内部で安定的に燃料を完全燃焼させる方法について研究の軸足を移している。私は二重構造とした燃焼器の外側に圧縮空気を流して、一度燃焼させたところに開けた隙間から冷却用の空気を流入させて、2次燃焼を促進させるとともに、圧縮空気による希釈で燃焼ガスの温度を下げることを研究したいと考えていた。

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