10章 ジェットの夜明け

10.1章 ジェットエンジン事始め

 実はジェットエンジンの研究は昭和13年から、航空廠で細々と始まっていた。その始まりから、私も参加したのでそこまで時計を戻させてもらおう。


 昭和13年4月に実施された18気筒発動機の検討会場で、種子島中佐はタービンジェットの話題を意識的に持ち出した。当時の航空本部の和田技術部長は、タービンジェットの将来性を必ずしも信じたわけではないが、新分野のエンジンに一定の興味を持ったようだ。そのため、この一見異端とも思える中佐からの要求に対して、和田技術部長と花島発動機部長から、研究開発に対しては反対しないというお墨付きをもらうことができた。


 私自身は、本音で言えば、最も重要な開発がジェットエンジンだと思っている。太平洋戦争の開戦を避けることができないならば、ゲームチェンジャーとなり得る強力な兵器によってもたらされる早期講和こそが次善の策だと思っている。ジェットエンジンの実用化による高速戦闘機やジェット爆撃機の実現は、この時代の戦いを大きく変えるだろう。逆に米軍にとってのこの時代のゲームチェンジャーは、やはり原爆のはずだ。なんとしても原爆が登場する以前に戦いを終わらせる必要がある。


 つまりジェットエンジンの早期実現は、18気筒エンジン以上にトップクラスに重要なはずだ。人物について考えると、海軍で種子島中佐がジェットエンジン開発をやらなければ、我が国でそれを前進させる人材は他には登場しないであろうと思っている。私の未来の知識からは、我が国のジェットエンジン開発を推進したのは、種子島時休と永野治の2名だと思える。この二人は、未来の私から見れば、既に歴史上の人物だ。史実では彼らが中心となったネ20につながるジェットエンジン開発に、自分が参加しないことなど考えられない。


 了解の返事をすると、早速、種子島中佐からお呼びがかかる。「タービン研究会」を開催するので、参加願いたいとの依頼だ。指定された時間に会議室に行くと、私以外には、永野大尉、三木技師、川田技師がやってきた。私以外のメンバーは、ジェットエンジンの将来性については確信がないのだろう。明らかに、みんな渋々という顔つきをしている。


 早速、種子島中佐が活動の内容について説明を始める。

「諸君、集まってくれてありがとう。まずは、この会の目的について説明させてもらう。私としては、最終目標は航空機の将来のエンジンとしてのタービンジェットの開発を行うことにある。我々が現在開発しているガソリンエンジンの開発も重要だ。開発の歩みを止めるわけにはいかないだろう。だからと言って、将来有望なタービンジェットの開発をおろそかにしてよいとは微塵も思っていない。この会では、次世代のエンジンであるタービンジェットを、いかに実現するかの研究を行うこととする。私が欧州に駐在中に仕入れてきたいろいろな情報もあるので、これも積極的に開発に活用して、タービンジェットの完成を目指したい」


 私としては、今からジェットエンジンの開発を始めなければ、後塵を拝すると確信できる。イギリスのフランク・ホイットルもドイツのフォン・オハインも既にジェットエンジンの開発に着手しているはずだ。ここは、種子島中佐に賛成して、少し煽っておこう。


「私もタービンジェットの開発を目標とすることに大いに賛成です。未来のエンジンとしてタービンジェットの有効性を一刻も早く示すことが、我々にとって重要なことです。試作エンジンでもいいから、タービンジェットを実際に作ってそれで航空機を飛ばしてみせることで、頭の固い連中にこのエンジンがいかに優れているのかを理解させる必要があると思います。イギリスやドイツでは、このエンジンの研究が始まっているようです。我々は既に出遅れているのです。他国に追いつくような速度で研究してゆかなければなりません」


 永野大尉が現実的なことを言った。

「しかし、このタービン研究会が認知されるためには、例えばガソリンエンジンにつける排気タービン過給器のように既存のエンジンの高性能化に役立つ研究もしなければ、理解されないのではないか」


 種子島中佐は少し考え込んでいた。決心をしたようだ。

「永野君の意見は理解するが、当面の間、この会ではタービンジェットを優先して研究することとしたい。排気タービン過給器の開発については、ガソリンエンジンの高性能化という扱いになるだろう。欧州で仕入れてきたタービンの部品や実験データもあるので、従来のエンジンの性能改善の研究としてこの会とは別にすすめる。タービンジェットの研究については、前のめりで賛成してくれている鈴木技師に旗振りをお願いしたい。これでいいだろうか?」


 三木技師が質問する。

「これだけの人数で、開発の資金もほとんど無いのに、これからどうやって活動するのですか? 意気込みはいいですが、実質が伴うのですか?」


「当面はみんなで、机上での検討をするしかないな。活動資金については、研究結果を示すことができれば、小型の実験機を試作するくらいのお金は出るだろう。ついでだが、この部屋はタービン研究会で使っていいと許可が出ているよ」


 のんきな会長の言葉だが、あえて文句を言う者もいない。まだ実験機が作れるほどの研究成果ももないからだ。


 いきなりものづくりをするほどの技術的蓄積もなければ、資金もないので、結果的に、まずは集まったメンバーで勉強会するしかない。三木技師や川田技師は目ざとく海外のタービンに関する論文を探してきて、勉強の材料としている。種子島中佐は、そもそも欧州駐在中に収集した資料をもともと所有している。彼らが収集した資料には、ホイットルの遠心式タービンジェットの特許資料や欧州の論文の解説資料も含まれていた。この時代は、まだ未知数のジェットエンジンの技術は機密扱いされていないのだ。


 私と言えば、未来のオタクの知識全開で、思い出せる限りの初期のジェットエンジンに関する記憶を基にジェットエンジンの図面を作成した。何しろ、ジェット戦闘機のMe262は何冊も本を読んだだけでなく、エンジンも再現されたプラモデルも作ったことがあるのだ。


 まずは、雑誌でも頻繁に紹介されていたユンカースJumo004を基にした図面だ。不慣れな製図用の器具も使って、時間の節約のために図面描きが得意な工員の手も借りて、いくつかの図面を作成した。8段構成の軸流型の圧縮機、6基の筒型の燃焼器、1段のタービン、排気口の断面積を変更できる尾部のコーン、さらに空気取り入れ口の中央のセンターコーン内にある有名なリーデルスタータも図面に書き込む。


 各部個別の図についても思い出せる限り書いてみる。動翼と静翼が交互になっている圧縮機。6個の独立した燃焼器とその間をパイプで接続した燃焼器の構造。確か燃焼器は二重の構造になっていて、二重化構造の内側は燃焼したガスが流れる一方、外側は冷却のために圧縮機からの高圧空気が流れたはずだ。


 タービンの構造だけは、イギリスでホイットルが考案した、タービンディスクにタービン翼一つ一つを寄木細工のようにはめ込んでゆく構造を図面にした。タービン翼の根元はクリスマスツリーを逆さにした横方向に広がった形状とする。タービンディスク側にはクリスマスツリーのはめ込みができるメス型を開口して、はめ込んで固定する。溶接はしないため、がたつきはあるが遠心力により固定される構造だ。Jumo004は、タービン翼の根元とタービンディスクに開口した穴にピンをさして固定した後、溶接したはずだ。後年のジェットエンジンの歴史からは、溶接は燃焼ガスを浴びると割れるので、明らかにはめ込みが優れていると証明されている。ここはイギリス流のクリスマスツリーのはめ込み法とすることに決めた。


 次は遠心式圧縮機のエンジンの図面だ。英国を中心に開発されたこの形式のジェットエンジンは、実物を見たことがある。航空自衛隊のT-33でわが国でも広く使われたのだ。博物館で断面が見られるように外皮が切断されたJ33の記憶を基に図面を作成した。遠心式の1段の圧縮機だが、背中合わせになった2枚の圧縮機に対して円周方向に開口した空気取り入れ口から吸気する。筒型の燃焼器が円周上に圧縮機の後段に並べられて配置される。いわゆるキャン型の燃焼器だ。Jumo004よりも燃焼器の長さを長くして、不完全燃焼を避けている。円周上の燃焼器数もドイツのエンジンよりも多いはずだがキャンの数については、16基くらいだろうか、あまり重要でないだろうが正確な数量までは、私の記憶でははっきりしない。


 ホイットルエンジンのような、燃焼器が逆流型になっているエンジンについては、素性が悪そうなので図面にしない。代わりに、遠心式圧縮機の前段に軸流圧縮機を追加したHeS3型の図面を作成してみた。


 ついでに追加図面として、8段圧縮機のネ20の図面についても記憶を基に作成したが、断面図を見る限り、Jumo004とBMW003を折衷したような内容になった。


 史実のネ20開発では、巌谷少佐が持ち帰ったBMW003の縮小された図と彼のメモだけで開発が進んで、橘花の初飛行まで驚くほど短期間で実行できた。小さな図面から軸流型を基本として圧縮機を8段とする構成がわかっただけで大きく開発が進んでいる。それに比べれば、私が作成した図面はより技術レベルが高いはずだ。ジェットエンジンに関しては素人の作成した図面だが、いくばくかは実際のジェットエンジン開発に役立つだろう。


 さて、技術資料が各種そろって来て、勉強会が軌道に乗り始めると、何やら面白そうなことをやっているというので、興味を持ち始めた技術者が様子を見に来た。来るもの拒まずなので、順次、「タービン研究会」のメンバーも増えてくる。昭和13年5月には、私と付き合いのあった、中田技師、川村中佐、北野技師、松崎技師、菊地技師も、新し物好きな技術者として見学に見に来たのがきっかけで研究会に引っ張りこまれることになった。


 この会合で一つ、私からの提案が受け入れられることになった。エンジンの呼び名を決めたいと私から提案したのだ。

「この将来の発動機について、呼び名について提案したい。タービンジェットは、別名でタービンロケットとも呼ばれている。私の感覚では、ロケットという言葉は火薬やあるいは液体の酸化剤を持っていて、空気を取り入れずに燃焼させて推進力とするエンジンであるとのニュアンスがある。一方、ジェットエンジンという呼称も海外では存在しているようだ。空気を取り入れて圧縮させて、それを燃焼させ推力を得るエンジンは、これからはジェットエンジンと呼ぶことに統一したい」


 すぐに、種子島中佐が決断した。

「誤解を招かないように呼び方を統一するのはいいことだ。鈴木技師の意見のように、ジェットエンジンと呼ぶことにしよう。他のメンバーも特に呼び方のこだわりはないよね」


 この会話で、ジェットエンジンと呼べることになり、私個人としての違和感が解消された。


 参加する技術者が増えてくると、仕事への影響を心配する人物も出てくる。この時期の航空廠長の原五郎中将は、海の物とも山の物ともつかぬ学校のクラブ活動のような会合が、仕事に遅れをもたらすことを心配した。


 昭和13年6月になると、廠長からのお達しで、研究会の参加者は、通常の業務をまず優先すべきである。自身の仕事が終わった後のみ、タービン技術の研究を許可するとの指示があった。仕事が終わった後にメンバーが三々五々集まってくるので、私の感覚からすれば、完全に部活動の感じだ。それでも我々は、夕方になると集まっては、ジェットエンジンをどのような構成にすべきか、図面に書いたエンジンの性能はどの程度かなど盛んに議論を行っていた。


 ジェットエンジンの全体構造については、私が記述した軸流型圧縮機のエンジンと遠心式圧縮機のエンジンの基本形が、勉強会の材料となった。この時期に、これほどしっかりしたジェットエンジンの図面は他には存在しないはずだ。それでも、雑誌で仕入れた記憶から断面図などは書いたが、マニア向けの記事からの書き写しなので中途半端であり、理論的な裏付けもない。つまり、ジェットエンジンのそれぞれの各部をどの様に構成したらよいかの詳細な内容になると、論理的に説明ができず、なぜそのようになっているのか理由も解説できない。


 ところが、得意分野については専門知識が豊富な技師にとっては、この結果だけが示された図面が良い研究のための材料になった。中田技師は燃焼器の研究を行い、三木技師と北野技師は圧縮機とタービンの空力的解析に取り組み、圧縮翼型の模型を作成して、風洞試験も行った。さらに、川村中佐は各部の金属材料の研究を行い、川田技師は私と共に軸受けや回転軸にかかる応力や構造の研究を行った。エンジンの燃料や回転制御に関しては、松崎技師、菊地技師が分担して、研究を進めることになった。

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