7.4章 雷電の制式化
昭和15年12月には、十四試局戦の試作1号機が完成して、地上での試験が開始され、地上滑走を繰り返し試験した。早くも12月18日には、三菱の志摩操縦士により、無塗装の1号機が初飛行した。この日は、ジャンプをしてすぐに降りてくる予定だったが、好調なのでそのまま周回飛行に移行した。三菱社内では、既に2号機から6号機までの生産が進んでいた。1号機の試験の様子を見て必要な改修を行い、一気に6号機まで完成させる予定だ。更に7号機から12号機も各部の部品の生産は開始されており、試験機として、5月には完成させる予定となっていた。なおこれらの機体には、試験に基づく改修が段階的に織り込まれたため、試験が進捗した後はそれぞれの機体で細部が少しずつ異なっている。
なお、十四試局戦では、輝星エンジンに振動抑制のためのダイナミックダンパーが組み込まれており、前後列の主連桿を隣接配置とする対策も実施されていたため、振動問題は発生しないと思われていた。2号機で輝星の全力運転が可能となると、性能試験が開始された。ところが全力運転で、空戦を模擬した機動をすると、振動が発生した。松平技師が駆けつけて、分析を直ちに開始する。
「単座機で同乗できませんが、操縦員の振動に対する発言からどうやら2次振動が発生しているようです」
金星の開発時に発生した振動問題は、測定も繰り返して抑え込んだはずだ。しかし、P&WのR-2800には、2倍速で回転するバランサーが取り付けられているのはよく知られている。これも試験時に発生した2次振動を2倍速で減少させる仕掛けだった。そのおかげで、R-2800はかなりスムーズに回るエンジンとなったはずだ。18気筒では2次振動が発生するという実例と言えそうだ。悪い予感もするが、もっと正確に発生している現象を把握することとした。
「まずは、測定器の取り付けにも時間がかかるので、だれか振動状態を判定できる人間が同乗して確認した方が早いと思う。操縦席背後の防弾版を外せば、人間一人が座れる場所は確保できるが、どうしようか?」
松平技師が即座に答える。
「振動状態を判定できるのは、ここには私しかいません。もちろんすぐに乗りますよ。早く準備しましょう」
1時間後、くたくたになって松平技師が降りてくる。
「やはり2次振動が発生しています。常時発生ではなく、エンジンの出力を大きくして、上昇や下降など飛行状態が変わると発生する条件があります。プロペラピッチとエンジンの回転数が特定の組合せのときに振動が大きくなるようです」
報告を聞いて、未来の世界での雷電開発物語に必ず登場するプロペラの振動のトラブルを思い出した。雷電の実用化を1年間遅らせたプロペラ振動を解決するための苦労話だ。やはり強制空冷ファンを追加したことにより、減速歯車から前方が延長されてプロペラ駆動軸が長くなっていることで振動特性が悪化したのだろう。機首の延長は私の知っている雷電の機首とは異なり、控えめとなってはいるが強制空冷ファンは最前部で回っているのだ。確かに、プロペラを含めたエンジン全体の系としては、強制空冷ファンがない場合よりも共振周波数は低下しているはずだ。
早速、振動の専門家である松平技師が分析を始める。
「私は、発動機の内部構造はあまりわかりませんが、プロペラとエンジンの駆動軸が減速ギアを介して連成振動を起こしているようですね。私自身が工夫した、飛行時にも振動を計測できる振動計がありますので、それを取り付けてもう少し正確なデータを上空で取ってみます」
2日後には、十四試局戦の試験機に振動測定器を取り付けて、松平技師がもう一度乗り込んで、上空で試験飛行をした。松平技師自身が測定値の指針を上空で読み取ってメモしてきた。
松平技師の振動解析の結果、判明したことは以下の通りだ。
耳でうなるような振動音が聞こえるが、低音うなりについては、460ヘルツ程度である。高音の振動音は、5,600ヘルツ当たりの周波数である。エンジンの運転状態により、振動の大きさに変動がある。松平技師の見解は以下の通りだ。
「低音側は、プロペラ翅と減速ギアを介した発動機の振動との共振が怪しいと思います。プロペラ翅の振動周波数と発動機が発生する振動との間で低周波のうなりが発生しています。減速ギアの変更かプロペラ翅の固有振動数の高周波数化で回避できそうすね」
そこで少し考えこんでから、説明を続ける。
「高音側の振動については2次振動に近いのですが、低周波振動が引き金となって、共鳴してエンジン全体の振動が引き起こされています。延長軸でクランク軸の捩じり振動の共振周波数が下がった結果、プロペラ翅の振動と共振しているようです。見方を変えれば、プロペラ翅の振動に対する捩じり剛性が不足しているとも言えます」
三木技師と北野技師が相談して、今まで実験を繰り返してきた実験用のプロペラ翅から推進効率をほとんど犠牲にせず、剛性を改善した翅の図面を持ってきた。
「いろいろプロペラ翅の試験をした中で推進効率はわずかに下がるが、剛性のもっと高い翅があるよ。それに付け替えてみよう」
川田中尉が剛性の向上度合いから、プロペラ翅の共振周波数を計算してみると、問題ない周波数へと増大するようだ。すぐに選択した翅の製造を依頼する。
1週間後、住友金属で新たに製造した改善したプロペラ翅が納入された。新たなプロペラ翅への付け替えを空技廠の工場で行い、再び飛行試験をすると振動はぴたりと収まっていた。プロペラ以外は振動がないのはやはり、ライト型のダイナミックダンパーの効果だ。我々の推定通りの結果となった。推進効率はわずかに下がると言われたが、どうやら性能への影響はほとんどないようだ。振動がなくなったおかげで、エンジンの全開運転が可能となった。
三木技師が十四試局戦の試験状況について、発動機部に報告に来てくれた。
「どうやら振動問題は解決したようだ。エンジン全開試験でもプロペラ翅の交換後は問題が出ていない。エンジンの振動を確認する全開試験で、高度5,700mで355ノット(657km/h)を記録したとのことだ。これで空力設計については問題がないことは証明されたよ。最高速度試験はこれからだが、360ノットを上回って来るのは確実だね。機体としての安定性と操縦性の良さはすでに確認済みなので、残った速度性能も目標を超えることになった。これで堀越さんも肩の荷が下りたと思うよ」
この問題以降は機体の問題はほとんど発生せず、試験機は増加試作機も含めて合計16機を制作して、開戦が迫る気運から試験が加速された。機体側の操縦席のレイアウトの改善や整備性の改善などの変更は行われたが、昭和16年7月には比較的順調に十四試局戦の試験は終了した。
昭和16年10月には、雷電11型と命名され制式化の手続きが完了した。
以下に雷電11型の諸元を示す。但し、排気タービンを備えた米爆撃機に対する迎撃戦闘機としては、高空性能がまだ不十分であり、二段過給機付きの新型エンジンの完成を待って、高高度型の雷電改良型の開発は継続された。
雷電11型 昭和16年10月制式化
・機体略号:J2M1
・全幅:11.3m
・全長:9.8m
・全高:3.8m
・翼面積:21.9㎡
・自重:2,600kg
・正規全備重量:3,900kg
・発動機:輝星13型、強制冷却ファン付き、離昇:2,150hp
・プロペラ:ハミルトン改定速4翅、直径:3.5m
・最高速度:368kt(681.5km/h) 6,000mにて
・上昇力:6,000mまで5分38秒
・翼内武装:20mm二号ベルト給弾機銃4挺(携行弾数各200発)
・爆装:30kg又は150kg爆弾2発
・噴進弾:一式五十粍噴進弾を両翼に搭載
・防弾装備:操縦席に防弾ガラス及び背面に防弾鋼板
・消火装備:胴体内及び翼内燃料タンクに消火液による消火装置を設置
雷電の開発は私の知っていた歴史的な事実よりも早く完了したが、世界の情勢は私の知っている歴史と同じペースでどんどん戦争に向かって進んでいることがわかった。昭和15年6月にはフランスに進軍していたドイツ軍がついにパリを陥落させて、フランスはドイツに降伏した。9月になって日本は降伏後に成立した傀儡政権のヴィシー政府と交渉してフランス領インドシナの北部への進駐を認めさせた。いわゆる仏印進駐だ。
更に、その直後に日本政府は日独伊三国同盟に調印した。日本はドイツの戦争に引きずり込まれることになる。全ての出来事が、私の知っていた世界史の教科書をなぞるように進んでいた。私自身はこの歴史の進展を止められない。しかし、日本本土が攻撃され、空襲されて、多数の民間人が殺傷されるような事態は避けたい。そのためには、高出力の発動機やジェットエンジンを開発して、高性能な航空機を作り出せば、まずは本土爆撃を防げるだろうと単純に考えていた。更にレーダーや音響探知機の高性能化で軍が強くなれば、日本が負け続けることも防げるのではないか。そうすれば、何とか早期の日米講和のチャンスも出てくるのではないかと漠然と考えていた。
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