6.4章 輝星制式化

 MK5Aは、昭和13年5月に設計が開始されてから、1カ月後には詳細設計が始まり設計作業は比較的順調に進んだ。半年で主要部の設計は終了した。


 昭和14年1月には、流れ作業方式で製作されていた部品の製造が完了した。翌2月には組み立てが行われて試作1号機が完成した。直ちに三菱社内で動作試験が開始される。初期動作試験で検出した問題を修正して、一通り三菱社内で動作確認が終わると、昭和14年4月に空技廠に試作機が搬入された。私が推奨したクランクケースの鋼製化も実施されている。実はこの頃から、私以外に林大尉がMK5Aの担当として加わっている。私自身は平行開発となった他のエンジンに時間をとられて、MK5Aの開発までは手が回らなくなりつつあった。


 今回のMK5Aでは、従来以上に試験の消化を加速するために、試作台数を16基に増加している。そのため、試作5号機、6号機、7号機が一気に空技廠の発動機部に搬入された。松崎技師は部下の工員と待ち構えており、すぐに試験用の台上に試作機を据え付ける。


 慣らし運転も済んでいるので、2週間後には最大馬力での試験に移行できる状況となった。しばらくご無沙汰だったが、呼ばれて試験場に行ってみると、試運転がちょうど始まったところだった。今までのエンジンでは聞いたことのない轟音だ。一度運転を止めると、松崎技師と林大尉が私のところにやってきた。


「ちょうど今から、最大馬力での運転をしてみます。昨日、一度試験したのですが、2,000馬力はすさまじいですよ。それでもまだ、水噴射無しの状態ですからね。水噴射が快調になれば、そこから更に1割は出力が増加しますよ」

「さっきの運転でもう十分すごいことはわかったよ」


「あれじゃまだまだですよ。先ほどの運転は、たぶん1,800馬力くらいですよ」


 松崎技師が運転準備というと、エンジンの周りの防護用の衝立を遠ざけ始める。

「このエンジンは、試験時に周囲の間隔を空けないと危険なのです」


 松崎技師が運転開始と大声で言うと、試験場の電動機でエンジンをゆっくり回し始める。松崎技師が手を挙げて、さっと降ろすとエンジンからバンバンという音が響いて、排気管から煙がブワァ~と噴き出す。音がバババという連続音に代わり、排気管の煙が少なくなる。更に回転を上げてゆくと、ムリネからの風がどんどん強くなってくる。計器に張り付いている工員が、回転数を大声で読み上げている。

「2,000、、2,200、、2,400、、2,500」


 林大尉は、温度計とブースト計をしきりに見ている。


 松崎技師が、運転員に指差しの合図をすると、スロットルをその位置に止めて、回転を一定の安定状態にする。

 エンジンの各部に取り付けた温度センサの示す温度を確認してゆく。どうやら異常温度はどこにもなさそうだ。エンジン音はバリバリとすごい音だ。


 松崎技師が手のひらを上にして、手を上方にゆっくり動かすと、それに合わせてスロットルを進めてゆく。

「2,550、、2,600、、2,640、、2,680,、2,700」


 ここで一度止める。ムリネの風の強さがどんどん増して、かなり強風だ。エンジンの周りの机がびりびりと振動しているのがわかる。なるほど、机の位置を遠ざけたわけだ。松崎技師はしばらく様子を見て、再び回転数を上げる指示を出す。

「2,720、、2,740、、2,760、、2,780、、2,790、、、2,800!!」


 2,800の声が悲鳴のようになっている。松崎技師がスロットルを止める指図をしている。さすがに2,200馬力はすごい。机の振動がどんどん強くなって、机の脚が震えてじりじりと動いている。風も一段と強くなり、ムリネの近くは誰も近寄らないが、台風並みだろう。

「1分、、2分、、5分、、10分」


 経過時間をカウントしている。30分になったところで、松崎技師が手のひらを下に向けて、回転を下げる動作を始める。1,800回転まで下がったところで、一旦、回転数を維持して運転を続ける。発動機内部の温度を下げるために低回転を維持して、運転をしばらく続ける。


 なお、MK5Aの審査を実施している最中に我々の組織の変更が行われた。海軍航空廠が海軍航空技術廠と改称され、内部の組織として発着機部が追加された。これは、軍用機の技術がどんどん進歩して関連分野も拡大しているため、これに対応するためと言われた。但し、我々にとっては、表面上の変更に過ぎず、仕事の内容は何も変わっておらず、組織の変更を実感することはなかった。


 昭和14年4月中旬から開始した空技廠の第一次審査には、300時間の耐久運転が含まれていた。連続して一気の運転ではなく一時停止も含まれるが、合計の運転時間が300時間となるまで発動機を動作させた後に、分解して各部品の異常の有無を確認する。その結果、ケルメット軸受けに異常な摩耗が発生していることが判明した。


 さっそく、林大尉が報告に来る。

「耐久試験後にクランク軸受けを確認すると、ケルメット表面の異常摩耗が見られました。このまま放置するとケルメットのかじりによる焼損が発生すると考えます。MK5Aでは回転数とエンジン出力を増加したことにより、クランク軸とケルメット軸受けの負荷が増加しています。このエンジンの出力に対して、従来と同じケルメットでは耐久性が不足しているのではないですか?」


 なるほど、私の未来の知識でも、誉をはじめ2,000馬力級発動機では、ケルメット軸受けのトラブル発生がいろいろあったように思う。米国では確か銀を含有するケルメットを開発して高性能化したはずだ。無論、わが国でも実験により銀が優れていると判明していたが、そんな高級な材料は銀が不足していてとても採用できない。


「現時点で課題となっているケルメットの強化について、早々に解決しないと類似の問題がこれからも発生する可能性がある。金星50型の時にも一度、ケルメットの材質改善をしたが、更に強化する必要があるということだ。小手先の対策でなく、今後の発動機全てに適用可能な対策を考える必要がある。金属材料の専門家と言えば、川村中佐だろう。さっそく材料部の川村中佐に相談してみよう」


 川村中佐にケルメットの問題発生の状況について状況の説明を行うと、実物の状況が見たいとのことで、摩耗の発生した軸受けとクランク軸を運んできた。川村中佐は摩耗した部分を拡大したり、クランク側の状態を確認したり、ケルメット表面を削って観測している。


 2日後に林大尉とともに川村中佐を訪問すると、それまでに判明したことを教えてくれた。

「摩耗については、松崎技師の想定通り、かなり大きな荷重が繰り返しかかった結果だと思う。ケルメットの材質が不良ではないかと思ったのだが、含有している金属なども含めて、設計通りの材質になっている。ケルメットの組織も観測したが、網状組織と樹枝状組織が混在していて成分が分離しているわけではないので、製造時に大きな問題があったとも考えられない。つまり、成分におかしなところがなく、問題なく製造されたが、摩耗が発生したということになる」


 私から質問する。

「ケルメットに製造問題もなく、開発者が意図したとおりの部品で問題が発生したと聞こえますが、今以上の高性能のケルメットを開発する以外は解決法がないということですか?」


「クランク軸の負荷を減らせば摩耗は減るが、それは馬力を落とせと言っているようなものだ。今の条件では、根本的にはケルメットの材質としての性能向上が必要だ。材料部でも、エンジンにとって重要な金属の一つとしてケルメットの研究を行ってきている。まず、結晶構造だが急冷で全体が樹枝状組織とできれば、硬度が改善する。ケルメットのさらなる改善研究については、実は三菱でも中島でも最重要の材料として、研究者が我々よりも昔から研究をしてきているのだ。彼らとも情報交換を行って、その中から特に見込みのある研究成果を組み合わせて、材料部でも実験をしてきている。今までこの分野の研究をしてきた3者が協力して、ケルメットの強化を研究することになるな」


 林大尉が質問する。

「現状のままで試験の継続は可能でしょうか? このまま試験を続けるとどのようになりますか? この問題が検出されてから4日間は出力を上げた試験は止めているのです」


 川村中佐は、う〜んとうなる。しばらく考えてから解説を始めた。

「私からは、確定的なことは言えないというのが最初の答えだ。しかし、試験機の軸受けの状態を確認して、ケルメットの摩耗が進んでいないものについては試験を継続してもいいだろう。摩耗の有無は4日に1度くらいの期日を決めて、内部を確認する必要がある。当然だが、クランクピンやクランク主軸端部などケルメット軸受けが支えている部分の摩耗の確認も必要だ。恐らく、摩耗している状態で続けて運転をしていると、どこかで急激にケルメット焼き付きが発生すると思う。この場合はエンジンの突然停止だ。エンジン出力を抑えて運転すれば、当然摩耗の発生はかなり緩やかになる。今のところは、エンジン出力を抑え気味にして、可能な範囲で試験を進めていてくれとしか言いようがないな」


 私から根本対策の可能性を質問する。

「ケルメットの強化対策については、3者の研究成果の組み合わせを適用して、ある程度目途が立ちそうに感じましたが、いつになったら強化版の利用は可能になりますか?」


「それについても確実なことは言えない。我々は、3者協力体制でいくつかのケルメット材の実験を行ってきた。その中から、見込みのある材質に変更したケルメット軸受けを実験用にいくつか作成する。それを逆にMK5Aの試験機で試験してほしい。その結果を見て更に改善してゆく手順になる。実験用のケルメットはすぐにでも準備を始める」


 それからは、数種類のケルメット軸受けを次々に組み込み試験を実施した。不幸中の幸いは、エンジンの破損につながる故障が発生しなかったことと、長時間運転したおかげでエンジン全体の耐久試験も結果が出たことだ。とにかく高負荷の運転が必要とのことで、エンジンとしては最も過酷な高出力の連続運転を繰り返した。


 九六陸攻を使用した飛行試験を開始していたが、一時中断と考えてそれを伝えた。

「軸受けの焼き付きにより、高出力時にはエンジン停止の可能性があります。飛行試験は安全のためにしばらく中止しましょう」


 しかし、飛行実験部の松村大尉は首を横に振った。

「九六陸攻は双発です。1基のエンジンが停止しても、新米操縦員でなければ残りの1基で無事に降りられますよ。そして、私は新米じゃない」


 この松村大尉の一言で飛行試験も中断しなかったので、この間も高高度での試験は進捗した。


 ケルメットの焼き付きが発生してから、1カ月が経過して川村中佐から報告があった。

「おおむね満足できる結果が出たよ。やはりドイツは進んでいるよ。実は、ドイツで学んだ方法を3者協力して考えた材質に組み合わせてみたんだ。これからも我々は研究を続けるが、10日前に試作したケルメットはどれも改善している。その中から成績の良いものを使用すれば、MK5Aの使用条件であれば大丈夫だ。1週間以上使用した結果から、摩耗は発生していないと判断する」


 報告によると、まずケルメット軸受けの鋼製の裏金に、川村中佐がドイツ駐在時に習得した熱処理による硬化処理を適用して、クランク軸自身の表面硬度を改善した。次に、ケルメット合金の配合については、三菱の渡瀬博士が研究してきた、鉛製成分を減少させて、マンガンを添加した材質を変更したケルメットを採用した。これにより、ケルメットの硬度を増して耐久性を向上させた。


 更に、中島の渡辺博士の考案に基づいて、ケルメット表面に鉛を鍍金することにより、クランク軸端部、クランク軸側の摩耗を防止する方策を適用した。これら3つの対策により、従来のケルメットに比べて耐久性も、負荷耐力も大幅に向上したと考えられた。


 ケルメット軸受けを対策品に交換して以降、MK5Aのケルメットの問題は未発生となった。昭和14年7月には、対策されたケルメット軸受けへの交換により、可能な項目のみ消化する状態となっていた第一次審査が全面的に再開された。


 なおこれら問題の解決法については、他の発動機でも有益であろうと考えて中島にも通知された。


 2カ月後に第一次審査が完了して、第二次審査が開始され、飛行試験も含めて昭和15年1月には全ての審査が完了した。量産機では耐久性も考慮して、回転数とブースト圧は限界試験で到達した値から若干下げて制式化された。


 三菱重工が今まで付与してきた星に関連する名称の慣習にならって、発動機の名称は「輝星」と命名された。未来の私の知識では存在しなかった新たな名称だ。まあ、私の予想では、金星の次だから木星や土星になると思ったのだが、三菱は将来性を考えて少しばかり華やかな名前にしたのだろう。


 本来であれば、このエンジンは大戦中に発動機の呼び方が陸海軍統合名称となったことで、「ハ-43」と名付けられた発動機に相当する。それが、私か関与したため数年早く完成して新たな名称を付与されたわけだ。輝星の最初の型である10型は、2,150馬力エンジンとして制式化された。なお、水・メタノール噴射無しのドライで使用する場合は1,900馬力とされた。その後、輝星10型として、海軍内での諸手続きが完了して制式採用されたのは、昭和15年4月となった。輝星10型の諸元は、下記のとおりである。


 輝星10型  昭和15年4月制式化

・海軍試作名称:MK5A

・構成:複列18気筒、気筒経:140mm、気筒行程:150mm 

・気筒容積:41.6L、重量:920kg

・発動機直径:1,230mm 全長:1,500mm

・過給器:1段2速 1速高度:2,600m 2速高度:5,800m

・燃料供給:燃料噴射方式、水メタノール噴射付き

・離昇出力:2,150hp 回転数:2,750rpm ブースト +400mmHg

・公称出力:2,000hp (1速:2,600m) 回転数:2,700rpm +300mmHg

・公称出力:1,900hp (2速:5,800m) 回転数:2,700rpm +200mmHg


 制式化後に輝星を最初に搭載したのは、開発中の十二試陸攻だった。陸攻の性能向上のために使用することが決定された。輝星搭載型は一式陸攻22型(G4M2)となった。なお、開発中の機体への採用は、十四試局地戦闘機及び、十三試艦上爆撃機への搭載が予定された。

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