2.5章 金星50型制式化
三菱からMK3Aの5号機と6号機が納入されると航空廠による一次審査が直ちに開始された。事前に予備審査という名目で飛行試験まで含めて一通り試験を行ったので、一次審査と二次審査は比較的順調に進捗した。昭和12年9月に一次審査が終わり、耐久試験も含めて、二次審査は10月に終了した。こちらの世界でも、もともと金星4型により実証されている技術がベースになっていることとクランクの中央軸受けの強化もあり、審査では大きな問題は発生しなかった。
花島部長に審査結果の報告書を提出する。各項目を担当した技師の作製した報告書をまとめた書類なのだが、MK3Aの開発要求書に対する審査成績としてのまとめは私の名前で記述している。もちろん審査結果は合格との内容だ。私の方から部長に報告書を渡した。私の両脇には松崎技師と菊地技師が立っている。
「おかげさまで、大役を何とかこなすことができました」
「うむ、ご苦労さまです。君からエンジンの構成を変更したいとの話が出た時にはちょっとびっくりしたが、結果としてはうまくいったね。今回の開発はいい経験になっただろう。これからもよろしく頼む。航空本部でこれから制式化の手続きになるが、偉い人の会議も必要になるから、完了するまでには1、2カ月はかかるだろうね」
MK3Aは、想定よりも早く昭和13年1月に金星5型として制式化された。なお呼称は、海軍の名称付与基準の変更により、すぐに金星50型と変更された。
ここで、金星50型の諸元について以下に示しておこう。
金星50型 昭和13年1月制式化
・海軍試作名称:MK3A
・構成:複列14気筒、気筒経:140mm、気筒行程:150mm
・気筒容積:32.3L、重量:665kg
・発動機直径:1,218mm 全長:1,650mm
・過給器:1段2速、1速高度:2,000m、2速高度:6,000m
・燃料供給:燃料噴射方式
・離昇出力:1,600hp 回転数 2,700rpm ブースト +400mmHg
・公称出力:1,450hp (1速:2,000m) 回転数 2,650rpm +300mmHg
・公称出力:1,350hp (2速:6,000m) 回転数 2,650rpm +220mmHg
結局、今回の開発で到達できたのは1,600馬力となった。金星4型が2,500rpmで1,080HP程度だったので、そこからはかなり追い込んだ仕様となったが、時間の制約もありギリギリの仕様まで追い込んだわけではない。未来の記憶のある私の観点からは、金星の最終型では1,500馬力に到達したので、この程度の性能は当然との思いがあるが、周りの技師からは性能を飛躍させたということをさんざん言われた。
金星50型の制式化に先立って、二次審査の完了が報告されると、三菱は昭和12年10月から、金星50型の生産を開始した。この時点で九六式陸上攻撃機の改良型に使用されることが決定された。エンジンの馬力増加で最大速度が約200ノット(370km/h)から230ノット(426km/h)に向上したとのことだ。
ところが、エンジンを換装した陸攻隊の技術支援のために、木更津航空隊を訪問していた松崎技師が慌てて戻ってきた。
「大変です、訓練中に金星50型の損壊事故が発生しました。離陸時に、500mほど上昇したところで、轟音と共に完全にエンジンが停止して、機体はかろうじて片肺で着陸したとのことです。急遽私が呼ばれて、エンジンを確認するとクランクケースにひびが入っているのです。恐らく、クランク軸の周辺部に破断など、大きな損傷が発生しています。エンジンを外してこちらに運ぶように手配しましたので。明日になれば詳細の事故内容が解析できます」
部長にも直ちに報告したが、エンジンの故障はある確率で起こることだから、原因を調べて対策を進めると共に再発の防止に努めよ、と指示された。
エンジンを分解してクランク軸を取り出すと、クランクピンが折損している。折れた個所の分析の結果、潤滑油を供給するためにクランクピンに開口された潤滑油孔に疲労破壊が発生していた。開口部から疲労が拡大してクランクピンの折損に至っていることが判明した。陸攻に搭載されたすべてのエンジンを分解検査すると、8台のクランクピンの同一の個所に疲労による亀裂が見つかった。
この分野は、川田技師の専門分野だ。彼は、クランクピンの製造法を三菱の工場に出向いていって実地で確認した。さっそく川田技師から原因判明の報告があった。
「製造工程の確認をして原因がわかったよ。クランクピンの浸炭による硬化処理後に開口加工しているんだ。その結果、凹凸の残る硬度の低い部分がそのまま孔内に露出している。そこに応力が集中して疲労による亀裂が発生している。当面の対策としては、孔内の凹凸を平滑化して表面硬度を高くすることが必要だ。油孔にわずかに直径の大きな鋼球を通して孔内表面の硬化処理を行う。恐らく硬化できれば問題は解消するだろう。もちろん恒久的には、クランクピンの製造工程を変更する必要がある」
「了解だ。すぐに三菱の佐々木技師に我々の見解を連絡しよう」
まず、製造済みの金星に対しては、クランクピンに川田技師の提案通りの処置を施すことで、それ以降問題は発生しなくなった。
三菱における製造工程の見直しについては、深尾部長の指示によりクランクピン以外の部品についても応力集中の有無を評価してから、穿孔などの加工後に硬化処理を行う工程に変更した。三菱はこの事故対策の後、機械加工部に対して加工した部分を強い圧力によりならしてゆくバニシング処理を積極的に取り入れることになった。
MK3Aの審査が佳境となった昭和12年7月9日の新聞にあの事件の始まりが載った。事件は7月7日に発生していた。盧溝橋で中国軍と日本陸軍の衝突が発生したとの記事である。広く戦火の広がるきっかけとなったこの事件が実際に発生したことに衝撃を受けた。この事件が支那事変へと続き、その後は太平洋戦争が始まるのだ。自分の存在する世界が、戦争への入口を既にくぐり向けてしまったことに大きな衝撃を受けたのだ。この世界も太平洋戦争への道を歩んでいる。もちろん、私としてはこのまま歴史を繰り返して、歴史に流されるつもりはない。
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