2.3章 MK3A試作
金星4型を使用した限界試験で判明した問題点については、それぞれ解決のための対策を決定してゆく必要がある。しかも、航空廠側も手持ちの金星4型を利用して実験ができるので、そのデータを活用して対策の検討も可能であった。三菱と航空廠側でそれぞれ検討した内容を持ち寄って対策会議が開催された。
まずは、振動についての対策の検討から行ってゆくことになった。三菱の学者風の技師が会議室に入ってくる。落ち着いた口調で説明が始まる。
「私は、山室といいます。三菱で振動関係の研究をしているものです」
私も挨拶した。名前を聞いたことがあるように思う。未来の私の知識によると、確か零戦で発生したフラッター事故の解析を三菱側で行った博士のはずだ。
「航空廠の鈴木です。山室さんは発動機だけでなく、航空機の振動についても担当されているのですよね。例えば翼のフラッターの解析とか」
「ええそのとおりです。振動という名の現象なら何でも担当しますよ。それでは今回の現象の説明をします」
山室技師が手元の図をもとに説明する。
「航空廠さんの指摘にもありますが、この振動は発動機のクランク軸を主要因とする共振現象と考えられます。このエンジンは、前列7気筒で後列7気筒構成ですからエンジンとしては、1次を別にして、3.5次と7次の振動が理論上も発生することが明らかです。私の計算では、クランク軸単体としての固有振動数は十分に高いので共振の問題はありません。しかし、減速歯車を一つの節として構成された全体での振動が問題になります。節を一つの折り曲がり点としての全体の共振が原因だと思われます。全体では、剛性も低下して固有振動数は低くなります。私の計算結果を資料に示します。恐らく、3.5次の振動が減速ギアを含めた全体の固有振動と一致する領域がありそうです」
私から質問する。
「それで対策はどのように考えているのですか?」
「クランク軸のクランクピンの径を若干太くすることによって、剛性も向上して全体の固有振動数が高くなります。直径を5mm程度増加させれば、振動は発生しなくなります。厳密には7次の振動もエンジンの回転数の低い領域で固有振動と一致する領域があるのですが、振幅が大きくないのとエンジンの通常運転領域から外れているので問題になりません。更に、前後列間のシリンダの間隔の拡大を利用してクランク軸の中央軸受けを変更します。玉軸受けからコロ軸受けに変更して、クランク軸の曲げの固有振動数を低下させます。軸受けのケルメットについては、摩耗が発生していますので材質を変更して、許容負荷容量を高めるように改良します。これは実験で確認しますが、恐らく含有する鉛を増やして、結晶構造も変更したものになるでしょう。ケルメットに関しては我が社もいろいろな組成を評価してきていますので、その成果が生かせると考えています」
一方、我々が考えていた施策はもっと多様な対策だった。どうしても、未来の私の知識から雷電で発生するだろう振動問題が頭から離れない。金星を18気筒化したハ-43も振動問題が発生して、終戦までに完全には解決しなかったはずだ。振動問題は、エンジンの開発時にしっかり対策しておかないと後で長期化すると思えてしまう。
「まず、3.5次振動抑制のためには、現状の1次バランサーにダイナミックダンパーの追加が必要だと思います。既に、米国ライト社などのエンジンに使用されているダイナミックダンパーがありますので、参考にしたら良いと思います。また、2次振動の削減のためには、現状の金星は前列と後列の主連桿の配置がほぼ反対側となっていますが、前後列の主連桿を互いに隣り合う位置に変更すると有効だとの報告があります。これは、航空廠の松平技師が効果的な手法として報告書を作成していますので資料を見てください。米国でも最近は、主連桿の変更をしているようですよ。なお、クランク軸の中央軸受けの変更とクランクピンの径の増加とケルメット軸受けの改良については効果的な対策として、三菱さんに賛同します」
「ダイナミックダンパーの追加については、私の一存で決められませんから、持ち帰って検討させてください。米国で使用実績のあるダイナミックダンパーが振動抑制に効果があることは私も同意します。主連桿の隣接配置については、変更にそれ程手間がかからないので、クランク軸の強化とは独立して、我が社で実験して効果を確認します。2次振動の削減には効果があるだろうということには同意します。但し、理論的に考えて1次振動は増加するでしょう」
続いて、燃料噴射機構の確認だ。未来の私の知識からの想定としては、この時期にはすでに三菱社内で燃料噴射の試作はされているはずだ。そうでなければ、戦争末期に火星や金星に燃料噴射が搭載されたという事実に矛盾してしまう。そんなことを考えていると、佐々木技師が1人の技師を連れて来る。
「杉原と言います。よろしくお願いします。資料に記述している装置はガソリン噴射装置とで噴射燃料を自動的に制御するための自動空燃比調節装置と呼んでいる装置から構成されます。ガソリン噴射装置は、昭和10年から試作されて何度も実験をしてきています」
杉原技師が机に広げた図面を使って説明を続ける。
「図面をみればわかりますが、ガソリン噴射装置は回転する斜板で圧力をかけて、プランジャからシリンダ内にガソリンを噴射する機構です。自動空燃比調節装置は、過給器からの空気圧をベローズで検知して燃料の量を制御しています。スロットルとベローズの伸縮量とエンジンの回転数に応じてリンクを動作させることにより、燃料供給の開閉弁の動作を修正しています。スロットルで指示される燃料流量が過給された空気圧とエンジンの回転数により補正されるのです」
いずれも巧妙な機構を有する装置だ。幾度か実験した結果に基づいて工夫がされているのがわかる。構造に洗練さが感じられるのだ。
「杉原さん。この装置は何度か実験を行い、修正を繰り返してきた装置ですね」
「おっしゃる通り、この装置は幾度も試作して実験も繰り返してきています。その結果、現状は第二世代のガソリン噴射装置となっています。今年になって、金星3型にこの2型装置を追加して100時間余りの実験をしています。長時間運転も実験して改良してきているので、動作については信頼性がありますよ」
どうやら、私が懸念してきた燃料噴射機構については、使用可能な準備ができているようだ。未来の私の記憶でも、燃料噴射を備えた金星や火星でこの機能が問題になったという記憶はないので、しっかりと試験されて信頼性のある機構が出来上がっていたのだろう。
……
しばらくして、山室技師から三菱社内で検討した振動対策に対する回答があった。
「主連桿の隣接配置に関しては、想定通り2次振動に効果があることがわかりました。次期のエンジンで採用することとします。ダイナミックダンパーの追加については、ライト社の振り子型のダンパーは性能も良く、大きなスペースも必要とせず使いやすいのですが、米ライト社特許のライセンス購入が必要になります。我々が契約の手配をすると少し時間がかかりそうです。米国で海軍の駐在武官に話を通してもらえれば手続きを早期に完了できます」
さっそく、航空本部経由で駐在武官に連絡して、特許使用権の購入手続きを進めることとなった。なんと、この話を聞きつけた航空本部技術部長の和田大佐が、ライセンスは海軍が購入して、国内各社が使用可能になるようにさせろとの指示を出したとのことだ。
直ぐに、MK3Aの運転時の仕様について佐々木技師から連絡があった。これまでの三菱社内での実験も加味して数値を決めたとのことだ。回転数2,700回転/分で、圧縮比は7.0、離昇のブーストは+500mmHgとして、エンジンの出力は1,550馬力を目標とすることとなった。
一連の三菱重工との検討会で航空廠と合意された内容については、海軍からの開発計画要求書の回答として、最終的にMK3A開発計画書として三菱から提出された。なお、MK3Aの試作機は昭和12年4月に完成して、5月には海軍に引き渡す予定とされた。
昭和12年3月には、三菱社内試験に使用されるMK3Aの1号機が早くも完成した。さっそくMK3A開発チームの3名と永野大尉と川田技師は試作機を視察に行くことになった。
5名は三菱の新工場として完成したばかりの名古屋航空機製作所を訪問した。私と永野大尉、川田技師、菊地技師と松崎技師の前には、やっと完成したMK3A試作機が置かれていた。自分が初めて主担当となったエンジンが実物として組み立てられ、目の前にある。感無量だった。
「永野さんのご協力もあり、やっと完成しました。ありがとうございます」
「鈴木さん、1号機に続いて4号機までのエンジンもほぼ完成間近です。一度にこれだけの数のエンジンを作って、短時間に試験をするのは異例中の異例です。この案が実現できたのも部長の頑張りのおかげですよ。我々は部長と呼んでいますが、肩書は少将ですからね。我が軍の航空本部に行けばそれなりの影響力があります。複数の試験機で並行して審査すれば、日程短縮の効果大とかなり力説してもらいました」
私の横に立っていた川田が会話に加わる。
「それに加えて、MK3A開発開始時の航空本部長は、山本五十六中将だったからね。開発計画書を見て、試作機の数を増やすことにすぐに賛成してくれたよ。この方法がうまくいけば他のエンジンも同じ方法でやろう、と言って即日決済したようだよ」
MK3Aは、1号機の組み立てが完了して、1号機による初期の動作が確認できてからは2号機から4号機までの試験機により一気に動作確認して、並行して項目消化を加速することとなった。更に試験を実施している途中でも追加で試験機の製作も行うことが決定されている。
航空廠から出張してきた永野大尉と川田技師と私の3人がMK3Aの講評をしていると後ろから声が聞こえた。
「これが、MK3Aですか。前列と後列の気筒が少し離れているのですね。おっ、前方から見るとロッドがごちゃごちゃしていないですね。金星4型よりも全体的にバランスがいいですねぇ」
私は振り向いて、メガネの長身の男に尋ねる。
「あの~、どなた様でしょうか?」
「失礼しました。海軍の方たちですね。私は、堀越といいます。私自身は機体の設計者なのですが、これから戦闘機を設計することになれば、このエンジンが候補の一つになるのではないかと思い、実物を見に来た次第です」
私の前世の記憶が、『超有名人の登場だ』と叫んでいる。
永野大尉が、すかさず挨拶する。
「九六艦戦設計者の堀越さんですね。我々は、航空廠で発動機をやっている者です。よろしくお願いします」
私からも意見を述べておく。
「我が国も欧米も既に1,000馬力級の発動機の時代となりました。次の世代では更に高馬力になるのは確実です。一方、このエンジンは必ず1,500馬力を超えるはずです。あなたがこれから航空機の設計をするとき、このエンジンは必ず役に立つと信じています」
金星が零戦に搭載されなければ意味がないので最後にお願いしておこう。
「この発動機は戦闘機向けとしては若干大きいですが、その分、出力も大きくなっています。機体がやや大きくなりますが、1,500馬力のエンジンをうまく機体にまとめて、どこまで高性能の航空機が実現できるのか。機体設計者の腕の見せ所ですよ」
「そんなことを言われると、海軍さんからの圧力を感じてしまいますよ。まあ、私としては、空力的な洗練と重量の軽減を原則として設計するだけですが」
私たちと、歴史に残る名設計者との最初の会話は短時間で終わった。但し、私だけは後に零戦と呼ばれる十二試艦戦の開発が来年から始まることを知っていた。この設計者と我々が更に深く付き合いをすることになると悟っていた。
午後になって、我々はMK3Aの運転に立ち会っていた。既に1号機は慣らし運転は終わっていて、2,000rpmまでは前日に運転していた。ブースト圧を上昇させて、回転数を徐々に上げてゆくとエンジンの音がグォーンと猛烈に大きくなる。それでもまだ、2,050rpmだ。この日は、2,300rpmまで確認した。ブーストは、+50mmHgだ。もちろん最大馬力まではまだ余裕があるが、この段階で一度解体して、内部状態を確認してから再度運転する手はずになっている。エンジンにはムリネと呼ばれる矩形の4枚羽のダミーのプロペラが取り付けられエンジンの負荷となっているが、この段階ではまだ、低負荷のムリネだ。今後出力を上げてゆくとムリネの負荷も高めてゆく。また、エンジンの各部には温度計速のセンサが取り付けられて、温度異常を監視している。
エンジンの分解が進んでゆくと、三菱側の技師に混じって、川田技師も各部品の状態をじっと見ている。クランクの軸受け、ピストンリングのすり減り、シリンダ内面の状態などは、ポケットからルーペを取り出して状態を細かく確認する。更に三菱側でオイルの濾過作業が行われる。異常な金属粉がオイルに混入していないか確認しているのだ。異常がなければ再度組み立てを行い、次回の運転に備えることになる。
今後は回転数を更に上げて、高馬力の動作を確認する試験となってくる。恐らく公称回転まで運転したら、次の分解検査となるだろう。
今日のところは、部品を確認した三菱の技師が問題なしの報告をしている。川田技師も首を縦に振っているが、ここでは我々は見学者なので意見は述べない。西沢技師が本日の試験は問題無しとの判定を行い、具体的な運転状態の説明をしていた。私たちは、1号機の試験の状況について、佐々木技師と簡単な打ち合わせを終えてから三菱の工場を後にした。
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