1章 新たな世界

1.1章 受難と再生

 俺は工学部で電気工学を専攻する大学院1年生で、名前は鈴木靖雄という。さすがにこの歳になって、親にあまり負担をかけられないので、今日も夜間警備のバイトだ。夜間の決まった時間になると倉庫と工場の見回りをして、異常がないかを確認する。このバイトは時給が高くないが、巡回するまでの間は自由時間であることに加えて、引継ぎ以外は他人と話すこともない。ミリタリー趣味の俺にとって、思う存分趣味の本が読めるため自分にはあっている。


 深夜の巡回時間になって、懐中電灯を片手に、あちこちを照らして確認しながら倉庫の中を歩いていると、それは突然やってきた。足元からドンと突き上げの衝撃。直後にぐらぐらと大きな揺れが来た。

(地震だ! 大きいぞ。落ち着け!)


 誰もいない薄明りの中で自分に言い聞かせながら、床に四つん這いになる。大きな揺れが収まった時、通路横の天井まで届きそうな高い棚がぐらりと傾くと同時に、棚に収められていた物体が俺の上に落ちてきた。頭上から、冷蔵庫ほどもある物体が目の前にドスンと落ちる。棚の上のそれは一つじゃなかった。次々に俺の頭を狙いすましたように落ちてくる四角い金属製の塊を、俺は茫然と見つめていた。衝撃を受けると痛みを感じる間もなく、俺の意識は暗転した。


 ……


 意識が戻ると、そこは明るい部屋の中だった。きょろきょろと目を何とか動かすと、昼間の病室のベッドで寝ていることがわかった。首を動かそうともがいていると、ちょうど看護婦が入ってきて、気がついてくれた。


 看護婦はベッド横に来て、私の顔をじっと見つめる。

「やっと気がついたのね。ちょっと待っていてください」


 看護婦が小走りに部屋から出ていくと、しばらくして医者とわかる白衣の中年男が看護婦と共にやってきた。


 私の目にペンライトを当ててみたり、脈を測ったり、医者はひとしきり俺の容態を確認した。

「意識は大丈夫なようだ。ここがどこかわかるかね」


 質問されたので当たり前の返事をした。

「あぁ、病室ですね」

 頭の中にもう一つの声がこだました。

「病室です」


「どこか痛いところはあるかね。頭は大丈夫かね」

「頭が……痛い……」


 声を絞りだすと、頭の中でもう一つの声が反響してくる。

「頭が……頭が……頭が……」


 脳内に響くこの声はなんだ? 心の叫びと同時に猛烈な頭痛が襲ってきて、再び意識が遠のいた。


 目覚めると、既に部屋は暗くなっており、夜になったのだとわかった。意識がはっきりしてくると同時に、自分の頭の中での会話が始まる。頭の中に二つの人格が存在しているようだ。それぞれがお互いの記憶を読み取ることができるので、一瞬で理解が進む。二つの意識の同居というとても信じられないような、突然の出来事が俺たち二人に混乱と困惑をもたらしたが、二つの人格の精神状態を安定させることに成功した。


 もう一人の人格は鈴木芳夫という名で、彼の生きていた世界はなんと昭和11年(1936年)1月だった。海軍の技師として、航空廠という組織に所属しており、航空機のエンジンの開発に携わっていた。驚くことに、俺はこの鈴木芳夫の名を記憶していた。俺の祖父から聞いていた彼の父、すなわち俺の曽祖父で海軍の技師として働いていた人物なのだ。


 海軍で飛行機開発の仕事をしていたが、終戦間際に亡くなったという昔話を祖父がしてくれたのをおぼろげに覚えている。どうやら、頭の中に存在しているもう一人の人格は、俺の曽祖父その人のようだ。彼も同時に私が孫のそのまた子供であると認識した。


 彼の言葉が頭の中に響く。

「運命だ。今は、これを受け入れよう」


 その言葉をきっかけに、またもや襲ってきた頭痛と共に俺たちは再び眠りについた。


 ……


 朝になって目覚めると、体が自由に動かせるようになっていた。頭の中で二人の意識がだんだん統合されていることを感じる。


 部屋のあちこちを眺めていると、看護婦が入ってきた。病室の様子と看護婦の衣服を冷静に眺めて、俺の最後の希望が打ち砕かれた。木造の壁にペンキがぬられた部屋の様子は、明らかによく知っている2020年代の病室ではない。看護婦の白い帽子や裾の長いスカートも、歴史ドラマか映画の登場人物のようだ。もう一人の意識が、自分の生きている時代の病院の眺めであると肯定している。つまり、ここは鈴木芳夫が生きている世界であり、2020年代に生きていた俺の意識が生前の世界から転移してきて、鈴木芳夫に同居したということになる。俺の生きてきた世界ではないという事実がほとんど確定して再び衝撃を受けた。


 鈴木芳夫の記憶によると、通勤途中で小さな地震が発生して、たまたまその場で建築中の家屋から落ちてきた木材の下敷きになったらしい。落下した材木が頭にあたって失神してしまったようだ。その後の病院で意識が戻ってからの記憶は、俺の認識と一致している。


 時間が経過するにつれて、俺たちそれぞれの自我は一つに混ざり合ってきた。まるで絵の具を混ぜ合わせるように、融合した自我は二つの自我の中間的な存在となっているようだ。意識が一つにまとまってゆくにつれて、頭痛も次第に収まってきた。過去の二つの記憶はそのまま残っているので、あたかも20代までの人生を二回生きてきたかのように覚えている。


 初日に様子を見に来た医者がやってきて症状を確認した。

「頭を打っていたけど、けがの方は軽傷なのでもう大丈夫だね。入院当初は意識が戻っても混濁していたが、もう問題はなさそうだ。今日は、精密検査で後遺症を確認する。検査結果を見てから退院する日を決めよう」

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