蒼穹の裏方

@Flight_kj

開発編

プロローグ

 第一航空艦隊の参謀長である草鹿龍之介は、赤城の艦橋から南方に飛び去ってゆく大編隊の海軍機を見送っていた。彼は、艦橋の中央で緊張した面持ちで立っている南雲長官に顔を向けて小声で話した。


「長官、矢は放たれました。彼らからの戦果報告をまずは待ちましょう」

 南雲長官は黙ってうなずいた。


 彼のもとに通信参謀の小野少佐が電文用紙を持ってきた。

「山本長官からの直電です」


 草鹿参謀長は無言でそれを受け取り目を通す。内容については口に出さずに、南雲長官にその紙を渡した。


 その用紙には、一文だけが書きなぐってあった。

『ハト、トビタテリ』


 南雲長官は、草鹿参謀長を見返すと黙ってうなずいた。あらかじめ艦隊が日本を出港する時に、連合艦隊司令部との間で取り決めた在米日本大使館の行動を示す通知文だった。アメリカでの宣戦布告の手順が進んでいることを確認するための独自の暗号だ。『ニイタカヤマノボレ』の命令後に攻撃作戦を実行するか否か最終判断をするための通知だった。


 文章は、伝書鳩を飛ばせたとの意味から、来栖特命大使と野村大使が宣戦布告文書を持って米国務長官の面談に向かったことを示していた。ワシントンの日本大使館の海軍駐在武官である横山大佐から通知された情報だ。この後、何事もなければ、我が国の最後通牒がハル国務長官に1時間以内に手渡されるだろう。


 一方、空母から発艦した攻撃隊は2時間程度でオアフ島に達して基地への攻撃を開始する手はずになっている。これで、山本大将が最も心配していた宣戦布告の前に攻撃が開始される事態はまず避けることができる。


 草鹿参謀長は後ろを振り返ると、様子を見守っていた一航艦の参謀たちに小声で伝えた。

「最後通牒が発出された。まもなく米国国務長官が受領する。これで作戦中止はない。我々は定通り攻撃を開始する」


 源田航空参謀が後ろから報告した。

「夜が明けてきたので敵機の警戒のために、直衛機を上げます。今日は、通常警戒の2倍です。続いて、オアフ島周辺の敵艦を索敵するために艦偵を出します」


 あらかじめ、夜が明けてきたら敵機の攻撃を警戒して直衛機を上げることが予定されていた。加えて、オアフ島近海でのアメリカ艦艇の有無を確認するために、一航戦に配備されている新型艦偵を飛ばすことも計画していたことだ。当然、南雲長官も草鹿少将も首を縦に振った。


 眼下の飛行甲板では、零戦が1,600馬力の金星エンジンをふかして甲板の前方に進んでゆく。飛行甲板の離着艦作業員がワイヤの両端を主脚に取り付けると、中央部の金具をカタパルトのフックにかみ合わせて機体を固定した。飛行甲板士官がカタパルトや機体に異常がないか確認を終えると、黄色の旗を下げて青い旗を振る。一呼吸おいて、零戦が急激に前進を始めた。数秒で飛行甲板の前端までカタパルトにより加速して行くと、そのまま前方に飛び出した。零戦は軽やかにやや左に進路を変えながら上昇して行く。右舷側では、加賀の艦首から同様にカタパルトにより射出された零戦が飛び立っている。


 飛行甲板上では、待機していた複座の零戦が既に前方に動き出していた。日本を出港する間際に、一航戦の赤城と加賀に追加で配備された艦上偵察機だ。零戦に偵察員兼航法員の後席を追加して、風防を後方にやや延長した機体のため変更量は少ない。複座化により重量が増加したため、零戦本来の機銃は13.2mm機銃が4挺から2挺に減らされている。それでも、零戦とほぼ同様の飛行性能を有するので、いざとなれば空戦も可能だ。


 カタパルトにより、複座型零戦の艦偵が射出された。若干胴体下の増槽が大きく見えるのは、この機体と同時に配備された大型増槽を装備しているためだ。艦偵として必要となる航続力を確保するために、従来の330リットルから450リットルに容量を増している。


 草鹿少将は、日本を出港する前に空技廠を訪問した時の鈴木大尉との会話を思い出していた。まるで予言のように彼が話したことは、決して軽んずべきではないことは今までの実績からよく心得ている。


 その時に言われた内容を信じれば、かなりの確率で、この攻撃によりアメリカ海軍に大きな損害を与えられるだろう。緒戦で米艦艇に対して戦果を出せたならば、更にそれを拡大しなければならない。湾内の艦船だけでなく、地上の燃料タンクや工廠の設備も攻撃対象とすべきだと鈴木大尉からも言われた。加えて、真珠湾に停泊していない艦艇はハワイの近海を航行している可能性が高い。特に空母には注意が必要だと、鈴木大尉から釘を刺されていた。


 既に、源田参謀や飛行隊の淵田中佐には大尉の助言を内密に話してある。第一次攻撃隊の成果次第だが、彼はこのハワイで徹底的に戦うことを決意していた。緊張でうっすらと顔に汗を浮かべている南雲中将の横顔を見ながら、誰にも聞こえないようにつぶやいた。


「ハワイは我々がそう簡単に来られる場所じゃない。一度の攻撃で日本に帰るなんて、弱気なことは言わないでくださいよ」

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