2-2
「もう怖い。いやだ。」
イオが嘆く。無理もない。イオは十五歳だ。まだまだわからないことが多く,恐怖が心を支配することに対応する術をもたない。
「お前なあ……。そんなに怯えると,村人が不安がるだろう。」
ルキウスは嘆く。
「帝都に行くのはどうしてダメなんだ。ここで抗ったって,殺されるのだろう。それなら帝都で生き延びるほうがいいじゃないか。」
イオが言う。ルキウスはもう何度も言い続けたことを言う。
「まあな。お前がそういうのもわかる。だが……帝都で生き延びられる保証はない。それに,お前の親世代が命をかけて守ったこの村を捨てるのは……俺は嫌だがな。死んだ大人たちが,今まで頑なに抗ってきたのだって,理由があるんじゃないのか。」
「……死ぬのは怖い。」
「……そりゃみんなだろ。」
あんまりな言い分だ。イオの不安はつのるばかり。
「イオは怖いんだな。これから起こることが。」
「そうだよ。」
ガブリエルの言葉にイオが頷く。
「帝都に行って起こることは怖くないのか?」
「……それも怖い。何が起こるかわからないのが嫌だ。」
イオの言葉。
「……わからないことは不安に思うよね。その不安はいつか消えるのかい?」
「え……。」
「不安はいつか消えるの?」
「……。」
「どうやったら消えるの?」
「……わからない。」
「どうすれば安心できるのか,どうすれば納得できる未来を受け入れられるのか。それを知らなきゃ。これからの行動を決めるとき,一番大切なのは命だ。みんなの。」
「俺は自由が一番大切だと思うけどな。」
ルキウスが口を挟む。
「自分が決めるんだよ。そして,最終的に何かをやり遂げるのは自分の力だ。誰かに頼ると,決定に責任をもつことから逃げたくなる。それは,つらい。」
(……。)
ガブリエルは息を呑んだ。ルキウスが初めて自分の考えや本心を,少し明かしているように感じたのだ。いつも,のらりくらりかわしているのに,今日は本音を打ち明けているように思う。
「……。」
黙りこむイオ。ルキウスが誠実に自分の考えを伝えていることを,若いながらに感じているのだろう。
「とにかく。ほかの民の話も聞いて,じっくり決めよう。イオが決める立場にある。今まで学んだことすべてを使って,考えるんだ,正しい道を。」
ガブリエルが言う。ルキウスも頷いた。イオも頷いた。
「今夜一晩,よく考える。」
***
「帝都とは,どういうところなの?」
イオが与えてくれた居住地に向かうガブリエル。並んで歩くルキウスに話しかける。ルキウスは,「そうだなあ。」と間を開けながら答える。
「どうということはない。ただ家が多い都市だ。」
先ほどの間は,どうごまかそうか考えていたのだろうか。するりと手の中を通り抜ける返答にガブリエルは別の角度から質問を投げかけた。
「……ルキウスは帝都に行ったことがあるのか?」
「……ああ。よく知っているぜ。」
「そもそも君はどうしてこの村に?ここで生まれたわけではないのだろう?」
ガブリエルの問いに,ルキウスは黙る。
「いろいろ知りたいことがあってな。」
「この村で……?」
「いや,この村を含めた……いろいろなところで。」
「……君は何者なの?」
「何者でもない。だが,お前の敵ではない。」
「……。」
「お前の敵には,絶対にならない。」
そういいながら,ガブリエルを見るルキウス。
「……。」
本音なのか。ごまかしているのか。わからない。ガブリエルはじっとルキウスの瞳の奥を見る。
ルキウスの瞳には,見覚えがあるような気がした。だが,一体どこで見たことがあるのか,気のせいなのか……それがわからなかった。
「ルキウス!」
そこへ,イオの部下がやってきた。息が上がっている。
「イオ様が呼んでいる!至急だ!」
「なんだよ。夜だぞ。騒々しいな。今晩一晩じっくり考えるんじゃなかったのかよ……ガブも行くぞ。」
「……ああ。」
イオの家に行くと,見慣れない男が椅子に座っていた。
「……誰だ。」
ルキウスの当然の問いだ。だが,語気は強めである。
男は白い肌に長い黒髪をしていた。そして赤い瞳。
「彼はゼフィというそうだ。僕らの力になりたいと言ってくれている。」
「そんな不利益なことをしたいだなんて,どう考えてもやばいやつだろう。」
「ルキウス……。」
ルキウスの物言いに,ガブリエルは頭を抱える。
「彼もまた,騎士団に追われているそうだ。だから同じ危機を抱えている僕たちに協力したいと言ってくれている。」
「……なんで騎士団に追われているんだ。」
「私はセラフの民なのです。」
男が口を開いた。ルキウスが息をのむ。
「……セラフの民。」
ガブリエルがつぶやく。聞いたことのない名だ。
「セラフの民は騎士団に村を追われ,この付近の森に姿を隠しています。この村が騎士団に狙われているのも,私たちが原因である部分も大きいのです。」
「どういうことだ。」
イオが言う。
「我々は騎士団に狙われているのです。」
「……セラフの民,ねえ。」
ルキウスがつぶやく。
「セラフの民とはなんだ?」
イオの問い。ゼフィは話し始める。
「私たちセラフの民はここからとても遠い,大陸で生活していたものです。特別な力をもつ我々は常に命を狙われていました。」
「特別な力?」
「天使ウリエルの力です。」
「……ウリエル?」
「天使ウリエルを祖先にもつ我々は,人間では使えない力を使うのです。傷を癒すもの,植物や大気と意志を通わせるもの,目には見えない者たちを従えるもの,水や炎を操るものなど様々な力をもつ者がいました。そのため長い年月追われ,命を奪われ続けました。」
「……。」
「そしてこの国に逃げてきたのです。しかし,この国でも追われることとなっています。森に身を隠して生きているのですが……。」
「狙われている,と。」
「はい。そしてこの村に迷惑をかけています。私でよければ力になりたいのです。」
「……お前は何ができるんだ?」
ルキウスの問い。
「私は炎を使います。お力になれると思いますが。」
「……ほう。」
「我々は,この国の人たちとも力を合わせていこうと思っています。すでに,とある村と協力関係にあります。」
「……ほうほう。じんわりと勢力拡大しているということか。」
「味方は多いほうが頼もしいものです。我らは不安なのです。巨大な権力に狙われ,明日をも知れぬ命。」
「巨大な権力……。」
「帝都の皇帝のことか。」
「はい。帝都の騎士団に何度も命を狙われました。その時に,あのお方に会ったのです。」
「あのお方?」
「はい。この国での私たちの協力者……。」
「……そいつにも会わせてもらえるのか?」
「はい。ひとまず,今迫っている危機を越えた時に。」
「明日ここに現れる騎士団か。」
「ところで,あなた様は何者なのです。」
ゼフィの問いだ。村長であるイオよりも,誰よりも質問を寄越し,ずけずけと真実に迫ろうとする。この男は何者かと気になるのは当然だ。
「俺はルキウス。数か月前にこの村に住むようになったただの旅人だ。」
「……ただの旅人が,ただならぬ気配をまとっている。なぜかな。」
「……。」
「私には気配の色が見える。あなたは違う。ほかのどの存在とも違う。」
「大げさだなあ。人間は,人それぞれなんだぜ。」
「我々セラフの民。そして人間,そして……あなたのような存在。」
ゼフィはガブリエルを指さす。
「あなたもまた,異なる存在。私はあなたのような存在を知っている。」
「……。」
「けれども,あなたとも違う存在,ルキウスさんは。」
「……。」
「しかし,イオさんの力になろうとしているものなら,我らの敵ではないと思う。我らセラフの民も一緒に戦わせてください。」
ゼフィの丁寧な物言い。ルキウスは特に何も言わない。ガブリエルも特に何も言えなかった。
セラフの民という存在は,自分が人間でないことに気付ける。それがガブリエルにとって衝撃だった。天使ウリエルを祖先にもつ,というのはでたらめではないようだ。
天使ウリエルのことはガブリエルも知っている。千年前に天界を裏切り,地上に降り,地上の輪廻の中に消えていった天使。その時のミカエルの怒りと悲しみの大きさに衝撃を受けたものだ。だが,肝心のウリエルのことは何も覚えていない。ところどころはっきりしない,この千年の記憶。
「味方ができるのは,とてもありがたいです。力を,貸してください。」
イオの笑顔。ルキウスは反対などしなかった。
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