2-1
「ここで暮らすなら,やれよ,仕事を。」
数日後,ガブリエルに突然ルキウスが言い放った。イオの村の客人として,イオの家の一室で生活していたガブリエル。食事や身の回りのものなどをすべて用意してもらい,ご機嫌な生活だった。今はちょうど昼ご飯を食べていた。豆の煮物と,果実,そしてぼそぼそのパンだ。天界の食事と大分違う味であった。ただ,食事は天使にとってあくまで娯楽であるので,ガブリエルにとって味の違いは何も困ることはなかった。
「仕事……?」
そういえば天界では毎日働いていたな……程度の,軽い呟きだ。ルキウスはため息をつく。
「そうだ,仕事。ただな,見回り…とかじゃないぞ。」
ルキウスの言葉にガブリエルは驚く。天界では見回りの仕事しかしていなかった。
「どう見ても戦闘要員じゃないだろ,お前は。見回り以外の,お前が出来ることで,働くんだ。」
ガブリエルは自分の出来ることを思い浮かべた。そして,特に何もないことに気づく。そもそも,この村で一体,何を求められているのかもわからない。
「……何をしたらよい?」
「お前は字が書けるし,読める。イオの家庭教師になれ。」
ルキウスはガブリエルの問いに,間髪入れずに答える。聞かれなくとも,ガブリエルに伝えたかったことなのだろう。
「……。」
不思議なことに,地上の言語がガブリエルには理解できた。出会った夜の騒動の後,気付いて驚いた。そして,ルキウスが,ガブリエルに対していくつもの言語を話したり,読ませたりした。この村のある帝国の,別地方の言葉も読めることが判明した。その際,ルキウスが多言語を操ることに,他の人間は驚いていた。その様子から,ガブリエルは言語の壁という概念を知った。
「イオだけではない。この村の多くの人間は読み書きができない。イオをはじめ,子どもたちに読み書きを教えてほしい。」
「読み書きができると……そんなに良いものか?」
「ああ,そうさ。連絡手段が格段に増える。記録を残せる。思考の整理ができる。字を操るものが多いことが帝国の強さの一つの要因でもあるしな。」
「……そうか。」
「読み書きと思考は,この村を守ることにつながる……俺はそう思っている。」
「この村を守りたいのだな。」
「……それもあるが,自立を助けたい。」
イオが言うには,ルキウスは村が帝国に侵略され多くの大人が死に,途方に暮れていた時に現れ,助けてくれたらしい。それが一か月前。読み書きができ,武術に長けた青年ルキウス。村人は救世主だと思ったが,素行があまりよくないのと,口が悪いことが崇拝の対象になることを避けることにつながった。良くも悪くも村人はルキウスを神聖視していない。
ルキウスも,助けたことによって感謝してほしいわけではない,というスタンスだ。イオ達若年層はルキウスを尊敬しているが,ルキウスのようになることを親世代は望まないだろうという確信をもっていた。
ガブリエルは「素行の悪さ」について疑問視していたが,次の日には消えた。村の若い娘との密会に二回連続で遭遇したからだ。娘が同じでないことにガブリエルは村の評判に納得した。
「……拒否するのも悪いだろ。俺は優しいんだよ。」
現場を目撃したことが発覚した際の,ルキウスの言葉。ガブリエルは心から興味がなさそうに所見を伝えた。
「優しいという言葉の定義が,私と違う。」
「ふうん。別に誰も悲しまないわけだし,いけないことではないだろ。」
「……そんな風に考えたことがないな。お前の思考回路は新しい。」
「……すげえ人間らしいと思うけど?」
「人間らしいとはなんだ。」
「強欲で,誘惑に弱い。」
ルキウスは,艶っぽく笑った。人間の特徴を心底面白がっているようだ。
「……それが人間か?」
「ああ。俺はそう思っている。」
堂々としていて,自分の関心を自覚し,行動の指針が,ある程度ある。若年層にとっては,あこがれの的だろう。ガブリエルは自身が一体どの層に所属するのかわからないが,そう感じた。
「……イオに何を教えるか,よく考えようと思う。」
ガブリエルは家庭教師を引き受けることにした。それ以外にできそうなこともなかったからである。とはいえ,何を教えるというのか。ガブリエルは考えた。読み書きの他に,自分が知っていることは何だろう。あるならばすべて伝えたい。
***
村に戦慄が走った。いつもの突然の襲撃とは違う,正面からの訪問者が現れた。三十人ほどだろうか。全員が白い軍服を着ている。その中の,一人が集まった村人たちに大きな声で言い放つ。
「私は帝国の辺境騎士団である。村長と話がしたい。」
村長とは,イオである。村長宅の一室の隅で震えている。
ルキウスが騎士団の前に出る。
「村長は体調が優れない。俺が話す。いいな。」
とにかく労働力不足。中年不足。わずかな子供と老人のみが残っている。その中で生き延びているルキウスは,村人のリーダー格であった。今日までの功績もあり,発言力があった。
「俺は村長不在の際に決定を任されている者だ。話を聞こう。」
「単刀直入に言う。何度も警告しているが,最後の警告となる。この村を帝国領としたい。住人は皆我々と帝都へ行き,この地を捨てよ。」
「断る。」
「ならば,我々は武力を行使する。」
騎士団の先頭の男が言うと,ほかの団員が武器を構える。
ルキウスは眉をひそめた。
そこへ騎士団の後方から声がかかる。
「クロード,考慮する時間と猶予を与えるべきだ。」
よく通る,凛々しい声だ。
「アルロ……。」
クロードと呼ばれた先頭の男が,凛々しい声をした男の名前を呟く。
「まどろっこしいな。こいつらが考えを変えることはないだろう。」
クロードは筋肉質で,多少痩身だか,いかにも軍人という風貌をしている。顔つきは神経質そうで,常に眉間に皴が寄り,不機嫌そうだ。後ろから現れたアルロは,百六十センチほどの身長で,茶色の短髪と白い肌をしていて,大きな瞳が印象的な軍人とは信じがたい雰囲気の青年だ。
「それでも時間を用意するべきだと思うよ。」
「……。」
クロードは,アルロという男の話は聞くらしい。そしてアルロは常識人のようだ。力技で進めようとはしない。
「考えを変えるつもりはない。」
ルキウスがきっぱりと言い放つ。三十人の帝国騎士団に対して,このように堂々を言い放てるのは,ガブリエルが驚いている以上に,村人たちに勇気を与えていた。
「うん。今はそのつもりだとしても,村民で話し合ってほしい。この地を捨て,帝都に行けば人として充実した生活を保障します。この地に残るならば,帝国に歯向かうものとして切り捨てることになります。」
アルロが言う。常識人ではあるが,故郷を愛するこちらに寄り添うつもりはないらしい。
「充実した生活……笑わせる。欲にまみれた貴族どもに分け与えられ,奴隷とされるだけだろう。」
「……。」
ルキウスの言葉に,アルロは無言である。肯定も否定もできないということか。
「こちらが何も知らないと思って,甘い言葉で釣ろうとするやり口が気に入らないな。辺境騎士団。」
「……貴様,なんだその物言いは!今ここで切り捨ててもいいんだぞ。」
ルキウスの言葉にクロードが声を低くする。ルキウスは笑った。
「そっちの茶髪のお兄さんの話,聞いたほうがいいんじゃないのか?理由があるだろう,きっと。」
「……君はびっくりするくらいいろんなことを知っているね。」
アルロは笑う。そして,続いて話を始める。
「クロード,陛下の方針だ。いたずらに命を奪うなと。戦闘が起こることは,我々にも負の側面がある。」
アルロの深刻な表情。戦闘が起こることは,騎士団にとっても良いことではないらしい。どうしてだろう。ガブリエルは考える。戦闘能力の差は歴然。何か騎士団にも事情があるのだろうか。
クロードはため息をこぼしながら言う。
「まあ,冷静に考えれば……帝都に行くしかないだろ,お前たちは。冷静に一晩考えろ。その時間を与えようが,与えまいが,結果は変わらない。」
「俺たちの返答も変わらないがな。」
「ルキウス,余計な事は言わない。」
ガブリエルがルキウスに言い放つ。ルキウスは笑った。
「言うじゃないか,ガブ。」
アルロは,ガブに視線を向ける。最近加わった,新しい村人。村の子ども達に学習を教える存在。危険だ。危険な存在は,無害な顔をして優しいことをしていることもある。危険だ。ルキウスのみを危険視しているクロードに後で伝えようと思うのだった。
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