笛愛づる娘と音霊の神霊

道草家守

第1話 笛狂いの少女

 昔語りをはじめましょう。


 これより語るは古の、闇は濃く、だが目に見えぬモノが豊かなころ。

 神と人とがまだ隣り合わせで生きていた時代の、これは笛を愛した少女と、それを愛おしんだ神霊の恋物語。



 *



 ものすごい勢いで外に投げ出されて、ささは地面を転がった。

 胸元をかばったせいで受け身は取れず、着物から飛び出た手足がこすれて土まみれになる。

 家の外は真っ暗で、夏特有の土のにおいのするじっとりとした生ぬるい風が、涙でぬれる頬を撫でていった。

 笹が見上げると、戸口には仁王様のようにこわい顔をした父親がどんと見下ろしていて、ひくっとこみあげてきたしゃくり声をこらえた。


「もう笛さ作らねえと約束するまで家に入れん」


 声を上げることさえ駄目だと言うように、戸はぴしゃりと締められた。

 投げ飛ばされる前にはたかれた右頬も強くつかまれた手首もじんじんと熱を持つ。

 笹はしばらく呆然と座り込んでいたが、けれどいつまで経っても戸は固く閉ざされたまま。

 父が許してくれる方法は、知っている。けれど、それだけは、言えない。


「あ、道具」

 

笹は慌てて暗がりの地面を探り、ひとまとめにした笛作りの道具を見つけ出す。月が雲に隠れているから、手探りで確認しどれも壊れていないと理解して、ほっと胸をなで下ろす。

 こぼれそうになる涙を、唇を噛み締めて堪えた。

 夏の匂いが、虫の声がぐわんぐわんと頭に反響する。こんなにたくさん音があるのに、今日だけは、苦しい。

 笹はやがて、のろのろと立ち上がると、いつもの遊び場……山のほうへ歩き始めた。






 数えで十三になる笹は、小さいころから笛が好きだった。

 吹くのも好きだが、作るのはもっと好きだった。

 村の祭りでお囃子の笛を聞いた時、なんて良い音がするのだろうと、笛吹にねだって触らせてもらったのが始まりだ。

 真横から見るとからっぽで、口をつけるところと指でふさぐ穴がいくつか空いているだけなのに、笛吹きが息を吹き込めばたちまちきらきらと鳴り出す。

 それが不思議でたまらなくて、ほしいと言ったら母に投げやりに言われた。


「それなら自分で作ってみたら」


 母にとってはあきらめさせるための方便だったのだろうが、笹には目からうろこが出るような新発見だった。

 そうだ。ないんなら、作ればいいんだ。

 小刀はもう扱えたから、削って穴をあけるくらいなら笹にもできる。

 すぐに近所に住む竹取の爺さんが捨てた竹をこっそり拾って、穴をあけて吹いてみた。


 ヒョロリ


 何とも情けない音で、笛吹きに吹き方を教えてもらった時とは比べ物にならないほど雑だった。

 だが、笹には自分でも作れる、と確信が持てた。

 人生が変わった一瞬だった。


 それから笛を作ることに夢中になった笹を、貧乏で忙しかった両親は黙認した。

 小さい弟たちの面倒はちゃんと見ていたし、遊びに入れ込む笹を気味悪いと思いつつも、手のかからないのは助かっていたからだ。


 笹はそうしてほっとかれたから、好きなだけ笛を作った。

 大きいものから小さいもの、高い音や低い音が出やすいもの。横笛だけではなく縦笛も作ってみたし、動物の鳴き声のような音をさせるもの、思いつくだけいろいろ作っては吹いていた。

 面白い音のする笛は同じ村の子供や弟たちにも喜ばれ、取り合いになることもあった。

 そんな時には別の笛を作ってやったりもしたから作る笛に困ることはなかったのだ。



 良い笛を作るために、笹は努力を惜しまなかった。

 笛になる竹の良い悪いがわかるようになると、仲良くなった竹取の爺さんの後をついて自分でも竹をとってくるようになった。

 毎年祭りの為に村では流しのお囃子を雇うから、そのたびに笛を見せてもらって構造を覚えた。


 どうして吹き手によってなる笛とならない笛があるのか気になり、笛を縦に割って確かめてみたこともある。

 内側のわずかな凹凸で響きがよくなると気づけば、中を削るための道具を作ったりもした。


 

 笛に熱中する珠を、村の大人たちは笛狂いと呼び遠ざけた。

 笹を何かに取りつかれたものと思うものもいたが、村の子供たちと遊ぶ時は普通だ。なにより面倒見の良い笹がいれば子供はほとんど悪さをしなかったから、笹の両親と同じように多少おかしくともそっとしておくのが賢明だということになった。



 一つ笛を作るごとに音は良くなり、笹の腕はますます上がる。

 笹が笛の音を試すのは決まって山のふもとの森の奥。一人か弟や村の子供の前でだけだ。

 大人たちの前で吹くのは、笹の笛がひどい音をしていた時にうるさいと散々怒られたからやってはいけないことだと心に刻んでいた。

 大人たちは魑魅魍魎がよく出るようになった森を恐ろしがり、遊ぶことを禁じていた。

 けれど、子供たちにとっては宝物の山で、大人たちが来ない場所は笹が笛を吹くには好都合なのだ。

 だから、笹の音を知っているのは小さい弟たちと村の子供と、森の木々や自然だけなのだ。

 笹の自然に溶け込むような美しい音を子供たちは自分たちだけの秘密にして、大人たちには絶対に話さなかった。森で遊んでいることはうすうす気づいていても、大人たちは笹の作る笛をごっこ遊びくらいにしか思わなかった。



 笹が十二になったころ、両親に変化があった。

 笹が嫁入りの適齢期に近づいたからだ。

 この付近の村には子供を産めるようになる前に相手の家に入り、嫁修行をする風習がある。

 笹の家は相変わらず貧乏で兄弟も多いから、大きくなった女の子は早く嫁に出してしまったほうがいい。

 そう考えた父は、近くの村落に嫁の貰い手を探しつつ、嫁になる女には不要な笛狂いをやめさせることにしたのだ。


 今まで放っておかれた笹は驚いた。

 行先など聞かれたことがなかったのに、いちいちどこへ行くかと聞かれる。

 竹取の爺さんと竹を取りに行くと言えばいやな顔をされやめさせられる。

 笛の内側に塗るために、近くの山にやってくる漆掻きから売り物にならない漆を譲ってもらって帰った時には、もうするなと取り上げられた。

 その代わりに、台所仕事や針仕事を母に手伝わされ、母や、親戚の嫁いできたときの話を聞かされる。

 変だ変だと思いつつ、父や母の言うとおり手伝った。

 笛を作ることができない不満を抱えつつも、また毎日作れるようになると楽観的に思っていた。

 だが、そんなことはありえなかったのだ。



 そんな攻防が一年くらい続いた夏。

 急に隣村までのお使いを頼まれ夕暮れ時に帰ると、父が笹の笛をまとめてかまどにくべていた。

 あまりにたくさん作っていたから、手元に残していたのはよくできたお気に入りばかりだった。

 もうもうと立ち込める煙と、良く燃えて形を崩している笛に笹は呆然とした。


 父は、何をしているのか。


 笹が大切にしている道具まで火にくべようとした父に、我に返った。

 父の手から道具をもぎ取り、笹は初めて声をあげて詰ったが、父はねじ伏せるように笹の頬を張り飛ばし、怒鳴った。 

 

 おまえのためだ、意味のねえことやめちまえ、親の言うことを聞いてれば良い。 

 耳元で割れ鐘を容赦なくならされているようだった。

 

 それでも、叩かれて熱い頬を抑えて泣きながらも、道具を手放さない笹に業を煮やした父は笹を外に放り出したのだ。



 *



 いつも遊ぶ森の中は月明かりだけでは真っ暗だったが、歩きなれた道だけはぼんやりと当たりをつけられた。

 履物をもらえなかったから素足だけど、いつも裸足で駆け回るからそう苦にはならない。

 はじめは堪えられていた涙も、ぼたぼたと流れてきて、しまいにはしゃくり上げながら歩いた。

  木の根に引っ掛かり転んだところで歩みは止まり、その場にうずくまった。

 いつもよりも十分深く入り込んでいるのはよくわかっていたから、もういいと思うと歩く気力は沸いてこなかった。

 自分の手でさえおぼろげに見えるだけの暗闇はとても恐ろしかったが、父にどなられた言葉が今でも頭に響いている笹に戻るという選択肢はなかった。


「女が笛作ったってただの道楽だ」

「子供でなくなるんだからそんなもん作る前に仕事覚えろ」


 つきのものが来れば子供を産める。

 笹にはまだなかったが、もうそう遠くはないだろうと思っている。

 そうすれば女として扱われ、子供ではなくなるのだ。

 笹は、ちゃんとわかっていた。子供だから許されていたことを。

 でも、だからって笛を作ることはやめられなかった。笹のすべてだったのだ。


 笹は、懐に大事にしまってあった笛を、服の上から縋るように握った。

 一番よくできた笛はお守り代わりに持ち歩いていたから、これ一本は残った。

 竹を切るところから作った自慢の一品だ。だけど、これも見つかれば父に取り上げられてしまう。

 笹は、頬を伝った涙をぬぐった。


 取り上げられてしまうくらいなら、せめて自分で埋めてしまおう。

 胸の奥がちぎれてしまったみたいに痛んだが、笹にはそれしかできなかった。

 痛みは雫となって次から次へとあふれてくる。

 それがどうしても止められず、泣くことしかできない自分が悔しくて、情けなくて落ちる涙を止めようとぎゅっと目をつぶると。


 ふうわりと、誰かに雫をぬぐわれた。



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