第4話「崩壊の足音」

「何も覚えていない?」

「うん」


 アドルフが私の言葉を繰り返し、私はそれをただ肯定した。


 気まずい静寂が流れ、どんな反応をされるか不安になった私は、下を向いて言葉を待つ。


「どういう意味だ?」

「・・・自分がどこから来たのか分からない、自分が何者なのかも分からない」


 アドルフの詮索に、私は正直に自分の状態を伝えた。


 疑われるかもしれない。隠し事をしていると思われるかもしれない。


 そんな不安が脳裏によぎるが、それでも私はその質問に嘘で答えたくはなかった。


「ーーーーそうか、そういうこともあるだろうな」

「え?」


 アドルフの口から出たその言葉は、私が予想に反してあっさりしたものだった。


 拍子抜けした私は、目を丸くして、再び私から距離を取るアドルフの背中を見る。


「・・・・・信じるの?」

「嘘なのか?」

「いや、そうじゃないけど・・・」

「人生色々だ、そういうことだってなくはないだろ」


 そう言うと、アドルフは何事もなかったかのように振り返り、再びその剣先を私に向ける。


 さっきの手を抜いた構えとは違って、今度は本格的に身の入った構えになっていた。


「カナンがどこから来たとしても、もうカナンは私たちの家族の一員だよ!」


 横でイルゼが元気な声で言った。


 後ろに立っているローザも、優しい笑顔でその言葉を肯定してくれる。


 頭に絡みついていた不安がするすると解けていき、体から何か重いものが外されたような気がして、弛緩した涙腺から涙が溢れた。


「ありがとう・・・」


 私はそう言って袖で涙を拭う。


 そしてその涙を振り払うように左手を引き、剣を持っている右手を前に突き出して、腰を落とした。


「いけるか?」

「ーーうん、大丈夫」


 アドルフの問いに、私は少し間を置いて答えた。


 今はとりあえず、ここが自分の帰る場所だと思ってもいいのかもしれない。


 そんなことを思いながら、私はアドルフとの剣の稽古を再開した。



 *  *  *



 一月の間、私はアドルフから剣術を、イルゼはローザから魔法を学び、私たちは格段に強くなっていった。


 イルゼは水を操る水魔法のみならず、風を操る風魔法や、火炎を操る火炎魔法も習得し、ローザはその吸収力の高さを「才能があるわ!」と喜んでいた。


 一方、魔法が使えない私は、地道に訓練を積み、自分の体にしっくりとくる型を身につけた。


 利き手である右手で剣を持ち、体を横に向けてなるべく敵に相対する面積を減らす。


 剣を持った右手を後ろに引き、空の左手を相手に向けて、体術と剣術を交えながら戦うスタイルだ。

 

 アドルフには「変な構え」と言われてしまったが、それでも私はなぜだかこの構えが体にしっくりとくる。


 実際に打ち合ってみても、ベテランのアドルフ相手に私が一本を取ることだってあるのだから、たぶん戦う上で間違ったスタイルではないのだろう。


 そしてあらかた基礎訓練を終えた私たちは、実戦訓練と称して、村から少し離れた草原で、魔物退治をすることになった。


 訓練を開始してから初めての実戦。昨晩はそのせいでよく眠れず、例のお守りをにぎにぎして剣の感触を思い出しながら布団に入っていた。


 朝、アドルフから渡されたのは、木剣ではなく金属でできた本物の剣。


 普段はアドルフが予備として家に置いているもので、私も存在は認知していたが、実際に持ったことはなかったので、それが本物であるという実感はなかった。


 しかし今、こうして実際に持ってみると、木剣とは明らかに違うその重量から、これは命を奪うための武器であるという実感が感じられる。


 鞘から少し抜いて剣身を見てみると、反射で自分の怯えた表情がよく見えた。


 草原までは荷車で数十分。


 結構あるなと思ったが、道中イルゼと軽い話をしていると、意外とその時間は短く感じられた。


 到着すると、まずはアドルフがイルゼを荷車から下ろす。


 私は自分で荷車から下り、初めて降り立つ村の外の世界を眺めた。


 所々が丘のように盛り上がり、逆に凹んだ場所もあるような広大な大地が、見渡す限り芝生に覆われている。


 村の向こうの森の木々と比べたらだいぶ小さいが、ところどころに樹木も生えており、その根本では小型の魔物が屯していた。


「始めよう、まずはあのケファロだ」


 アドルフはそう言うと、近場の木の根元で芝を食べていた小型の魔物を指差す。


 腰ほどの高さがある四足歩行型の猪のような魔物で、口から突き出た巨大な牙は、あと少しで自分の頭を突き刺してしまうのではないかと思えるほどに湾曲していた。


 ケファロと呼ばれたその魔物は、2匹で木の下の芝生をもさもさと頬張っている。


 私とイルゼは互いに目を合わせると、足音が立たないようにゆっくりと歩み寄り、2匹の目の前に立ちはだかった。


「イルゼ、段取り通りにやろう」

「うん、分かった」


 静かな声で言うと、イルゼも強い声音で返事を返す。


 2匹は既にこちらに気づいており、草を食べるのをやめて私たちの方向を見ていた。


 ブロロロと喉を鳴らして威嚇しながらこちらの出方を伺っているようで、2匹とも前の片足で地面を蹴る動作を繰り返している。


 数秒の間、動きのない静かな時間が流れた後、私は脚を開いて腰を腰を落とし、剣の持ち手に手を添える。


 イルゼの方を横目で見て、準備が整ったことを確認した私は、息を吸って、口を開いた。


「イルゼ!」

「(火炎よ、礫となりて敵を穿て)!」


 私が合図を出すと、イルゼはすぐに魔法の詠唱を始めた。


 手のひらサイズの火の玉が杖の先からケファロに向かって勢いよく飛び出し、一匹がそれをジャンプで避ける。


 そして避けたその一匹は、着地と同時に素早く体勢を立て直すと、そのままイルゼに向かって猛スピードで突進してきた。


 私はそこで剣を抜く。


 いつもとは違うその重みに一瞬困惑したが、次の瞬間にはそんなことに気を取られている場合ではない状況だということを理解し、持ち手を握る手に力を込めた。


 私は足に力を込めて地面を蹴り、前進する。


 そして突進してきたケファロの横を交差するように通過しながら、横薙ぎの一撃を食らわした。


 斬撃はケファロの左前足の付け根を捉えていた。


 脚を傷つけられたケファロは突進を中断し、ヨロヨロと横へ逸れ、その先でばたりと鈍い音を立てて倒れる。


 肉を切る感触、命を奪う感触、それらは初めての経験のはずなのに、不思議と私の心はいつも通りの平生を保っていた。


「カナン!後ろ!」


 イルゼの声ではっと我に帰った私は、横目で背後を確認すると、既に目の前まで突進してきていたケファロを寸前のところでかわす。


 再び腰を落として斬撃の構えをとった私は、振り返って再び私めがけて突進を開始したケファロが目の前に来るのを待った。


 数秒後、そいつが目の前に来たところで私は地面を蹴る。


 交差するように横を通過しながら、さっきと同じ要領で横薙ぎの斬撃を左前足の付け根に食らわした。


 そのケファロも、ヨロヨロと数歩歩いた後、ばたりと音を立てて倒れる。


 状況が終了し、戦闘は終わったはずだが、それでも私はしばらくの間緊張の余韻の最中にいた。


 緊張が解けたのは、イルゼが「やったー!」と言いながらこちらへ駆け寄ってきたときだった。


 私は腰を縛っていた布で剣肌を濡らしている鮮血を拭き取ると、剣を鞘に収める。


 肉を切り、血を飛び散らせ、命を奪う感覚がほのかに残る右手はわずかに震えており、私はそれを抑えるように右手首を左手で掴んだ。


 それでも私の心はそれほど動揺していない。


 それ自体は別にいいのだが、生き物の命を奪ったことに対して何も感じていない自分自身に対しては、少し薄情だと思った。


「すごいわカナン!かっこよかった!」

「いい動体視力だ、だがやっぱりパワーが足りないな、剣は両手で持った方がいい」

「パワー?」

「ああ、ケファロは小型だからいいが、もう少し大きいやつだと一撃の重さが勝負の要になる」

「・・・分かった」

「よし」


 アドルフは軽いアドバイスをすると、さっき私が倒したケファロの後ろ足を紐で縛り、2匹とも荷車に乗せた。


 どうやら食料として活用するらしく、2匹もあれば一週間は腹を満たせるそうだ。


 家路に着く頃には、橙赤の太陽が東の空へ沈み始めていた。


 朝が早かったということもあり、イルゼは私の膝の上でウトウトとしてしまって、来た時と違って静かな帰り道となった。


 家に帰ると、ローザとテアが心配そうに私たちを出迎えてくれる。


 最初は「怪我はなかった?」とか、「どこか痛いところとかない?」とか色々心配の言葉をかけるローザだったが、アドルフが荷台から2匹のケファロを下ろして、私とイルゼが仕留めたことを伝えると、嬉々とした表情で「今夜はお祝いね!」とはしゃいだ。


 食卓には今日自分が殺した魔物の肉が振る舞われた。


 当然と言えば当然だが、それでも自分で仕留めた獲物が解体され、食べられる形にされていく過程を見ていたため、なんだか不思議な気持ちになる。


 食への感謝というか、生き物へのありがたみというか、そういう気持ちが、心の奥底で小さく芽吹いたような気がした。



*  *  *



 初めての実戦訓練から数ヶ月が経ち、季節はすっかり夏になっていた。


 あれから何度か実戦的な訓練を行なって、私たちの実力も着実に向上したのだが、魔物の活性化は止まるところを知らず、ついには村から離れた魔物の生息地に行くこともできなくなってしまった。


 アドルフが家を空けることも多くなり、最近は夕食をイルゼ、ローザ、テア、私の4人で食べることが多い。


 魔物の活性化はゆっくりと、それでも着実に私たちの生活に影響を及ぼしていた。


 そんな忙しい日々が続く中でも、今夜の食卓にはアドルフがいる。


 決して大きくはないテーブルなので、4人だと広く感じた食卓が、今夜は少し窮屈に感じた。


「主よ、今宵も大いなる地の恵みに感謝します」


 皆で食卓を囲むように手を繋ぎ、ローザの主導で祈りをすませると、食事が開始される。


 今日は久々にアドルフがいるからだろうか、いつもより料理の質は高く、量も多いように思えた。


「イルゼ、カナン」


 食事が開始されて早々、アドルフが私とイルゼの名前を呼んだ。

 

 その神妙な面持ちからは、いかにもこれから大切な話をするのだということが分かる。


 私は食事の手を一度止めてアドルフの方を向き、無言でその声に答えた。


「なに、お父さん?」

「明日2人で、ライラシュタットに行ってほしい」

「・・・ライラシュタット?」

「ここから川沿いに西の方に行くとある大きな街だ、そこにある冒険者会館に依頼をしに行ってほしい」


 冒険者、それは報酬次第でさまざまな依頼をこなす人々のことだ。

 

 自分で仕事を選ぶことができ、実力次第では巨万の富を築き上げることも夢ではないため、「冒険は人を自由にする」という言葉もある。


 アドルフとローザ、そしてテアも以前は冒険者だったらしく、ここロココ村が建設される前の開拓の一端を担ったのだとか。


「あなた、まだ2人だと危険じゃないかしら?」

「2人の戦闘能力ならもう大丈夫だ、自分の身は自分で守れる、問題ないだろう」


 ローザが心配そうな顔でアドルフに言うが、アドルフはその心配を優しく跳ね除ける。


 普段は表情が分かりにくいアドルフであるが、その言葉は、自信と信頼に満ちているように聞こえた。


「依頼内容は?」


 私は気になったので聞いてみた。


「魔物の対応に人手が足りない、村の人たちだけじゃもう厳しくてな」

「そう」

「ああ、行ってくれるか?」


 私はイルゼの方を見る。


 私は大丈夫であるが、まだ15歳のイルゼとしては親元を離れて遠出をするのは不安だろうと思った。


「私は大丈夫だよ、行こう、カナン!」

「・・・・分かった」


 イルゼは少しも迷うことなく、笑顔でそう答えた。どうやら杞憂だったらしい。


 かくして私たちはライラシュタットへ向かうことになった。


 イルゼはアドルフたちと何度か行ったことがあるらしいが、私にとっては初めてのロココ村以外の人の居住地だ。


 正直なところ、とっても楽しみでワクワクしてしまう。


 翌日、私はいつもよりも少し早く目が覚めた。


 荷物は昨晩纏めておいたのでやることはないのだが、それでもどうもソワソワしてしまって落ち着かない。


 疼く体を落ち着かせるために外の風に当たっていると、寝巻き姿のままのイルゼが外に出てきた。


 いつもならまだ寝ている時間だが、私と同じで、はやる気持ちが目覚めを早めたようだ。


「おはようカナン」

「おはようイルゼ」

「早いね」

「ちょっとおちつかなくて」

「私も、楽しみだね、2人旅」

「うん、楽しみだ」


 イルゼが「よしっ」と気合を入れる。


 私も首から下げたお守りを握って今日の旅の無事を祈った。


 しばらくするとローザたちも起きてきて、アドルフが厩舎からフォラコスを2匹連れてくる。


 私たちは着替えを済ませると、纏めた荷物をフォラコスの背中に括り付け、ゆっくりとその上に跨った。


「それじゃあ行ってくる」

「ああ」

「気をつけてね」

「日が暮れる前には帰るわ!」

「ええ、待ってるわ」

「書類を無くさないようにな」

「うん」


 短い見送りを終えると、私は手綱を引いて、フォラコスを前に進ませる。

 

 イルゼも私の後ろに続いて歩みを始め、しばらく歩くと、少し離れたところで「行ってきまーす」と改めて言うイルゼの声が聞こえた。


 長閑な景色を眺めながらの道中は、時がゆっくりと流れているような気がした。


 小川のせせらぎや、鳥の鳴く声が大地を撫でてどこまでも響く。


 イルゼと会話をしながらではあったが、それでも長閑で静かな道のりは、私たちを退屈させるには十分だった。


 しかし、数十分も歩いていると、次第にその静けさも無くなってくる。


 私たちと同じようにフォラコスに乗っている人や、見たことがない四足歩行の動物に引かれた馬車に乗っている人、大荷物を背負いながら徒歩で歩いている人たちの姿がちらほら見えるようになってくる。


「イルゼ、逸れないようにね」

「うん」


 言うと、イルゼは早足で私の側に近寄ってくる。


 辺りを注意しながら人の流れに合わせて歩いていると、しばらくして大きな城壁が丘の向こうに見えてきた。


「あれが・・・」

「そう、ライラシュタットだよ!」


 左右にどこまでも続く城壁、その向こうにはそれより高い建物の屋根がいくつか伺えた。


 私たちが歩いている道筋の先には人が出入りするための城門が開いており、そこを多くの人々が行き来している。


 中には城門の守兵に通行を止められている人たちもおり、その人たちは総じて、他の人が腰や荷車に下げている「通行証」が見受けられない人たちだった。


「イルゼ、通行証を」

「あ、う、うん!」


 私はイルゼに合図を出して、出発前にアドルフから貰った通行証を鞄から取り出すと、それをフォラコスの鞍にぶら下げる。


 そのまま人の流れに従ってゆっくりと城門をくぐると、眼前に活況に満ちた市場が広がった。


「すごい・・・」


 私は思わず声を漏らした。


 人々の賑わい、高い煉瓦造りの建物、舗装された道、どれもこれもが初めて見るもので、そこはまさに「都市」と呼ぶのにふさわしいほど文明の産物が溢れていた。


 私はフォラコスの足を進めて、辺りを見物する。


 視界に映るものの端から端までの全てが新鮮で、見ているだけですごく楽しい。


 野菜や魚を売る屋台、剣や防具の手入れをしている職人、色とりどりの液体が入った小瓶を棚に陳列しているお店。


 キョロキョロと周りを物色しながら、後で行ってみようかな、なんて考えていると、後ろから聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。


「カナン!」

「あ、な、なに?」


 イルゼだ。周りに気を取られてすっかりイルゼのことが意識から飛んでしまっていた。

 

 イルゼはフォラコスから降り、焦ったような表情で私の手綱を握る手をくいっくいっと引っ張っている。


 いったいどうしたのだろうか?


「降りて降りて!」

「え?」

「城門を抜けたら騎乗を止めるのがマナーなの、貴族でもない人に見下ろされるのは嫌でしょ?」


 イルゼがそう言うと、私は「なるほど」と言ってフォラコスから降りる。


 確かにさっきから奇異なものを見る視線を向けられているような気はしていたが、それが原因だったようだ。


「あはは、田舎者だと思われたかな」

「大丈夫よ、実際に私たち田舎者だし」


 イルゼはニコリと笑ってそう言うと、フォラコスの手綱を握って歩き出す。


 私もイルゼの後に続いて歩みを進めた。


 歩いていると、人ごみの中で時々肩がぶつかりそうになる。

 

 皆慣れているのか、ぶつかったとしてもそれでいちいち喧嘩になったりはしないが、初めて人混みの中を歩く私は、体がぶつかるたびに「あっ」とか、「すみません・・・」とか声を漏らしてしまう。


 できる限り避けながら歩いていても、フォラコスを連れていると体の自由が利かない。


 そしてついに、駆け足でイルゼと開いた歩幅を埋めようとしたところで、盛大に対面から歩いてきた人と体の半身がぶつかってしまった。


「すみませんっ!」


 私はとっさに謝って頭を下げる。


「大丈夫だ、気をつけろよ」


 しかしその男性は快くそれを流してくれた。

  

 私は下げていた頭を上げてその男性を見る。


 そして男性のその異様な容姿に、私は息をのんだ。


 私とは真逆の白い肌、そして鮮血のように赤い鋭い瞳、散らかった短い銀髪は、さながら狼のようだった。

 

 そう、「狼のよう」なだけならなにも不思議なところはないのだが、男性の頭からは、二本の狼の耳が生えていた。


 私はまじまじとその耳を見つめる。


 よく見ると、後ろには尻尾のようなものもちらちらと見えていた。


 テアと同じように、人種が違う人たちなのだろうか。


「・・・どうかしたか?」

「い、いや」


 はたと意識を取り戻した私はすたすた手綱を引いてイルゼの背中を追う。


 周りをよく見てみると、彼以外にも獣の特徴を持った人種がちらほら散見された。


「イルゼ、あの人たちは?」

「あの人たち?、あー、獣人ね」

「ジュウジン?」

「獣の特徴を持った人たちのことよ、足が速かったり、力持ちだったり、頼りになる人たちなの!」

「種族・・・?」

「そう、人間、獣人、エルフ、ドワーフ、大公国にいるのはこれくらいね」

「いろんな人たちがいるんだね」

「そうね、あ、ちなみにテアは人間とエルフのハーフ、いわゆるハーフエルフっていう種族なの」

「へー・・・」


 どうやら人間と、人間以外の特殊な人たちとの区分は、「人種」ではなく「種族」というらしい。


 なるほど、イルゼたちと違って私の肌は褐色だから、それで敵対意識を持たれるかもしれないなんて思ったこともあったが、これだけ種族に多様性があると、そんなことは些細な違いなのだろう。


 一年以上生活を共にしてきたが、私はこの世界のことをまだなにも知らなかったのだ。


 しばらく歩くと、大通りの左手に大きな建物が見えてきた。


 三階建ての赤煉瓦造りのその建物の中央では、両開きの扉が開け放たれており、そこから人が行き来している。


「ここが冒険者会館だよ」

「大きいね」

「ライラシュタットには冒険者が多いからね」

「そんなに仕事がないの?」

「うーん、東方は未開拓地域が多いから、冒険者は稼げるんだと思うよ」

「ふーん」


 扉の前で少し話をした私たちは、フォラコスを隣の厩舎に繋いで、冒険者会館の中に足を踏み入れた。


 1階から3階まで吹き抜けになっている天井が高い空間のおかげで、冒険者会館の中は外観よりも広く感じられる。

 

 床は一面フローリング張りになっていて歩きやすく、右手に広がる広間には円テーブルや長机が並べられていて、何人かがはそこで食事を取っていた。


 左手には壁面に設置された掲示板を何人かが眺めており、彼らの中には鎧で体を覆った、いかにも戦士といった者や、鉱石のついた大きな杖を持ったローブ姿の者もいる。おそらく彼らが冒険者なのだろう。


 私たちが向かった先は、掲示板の先のカウンター。


 イルゼが先陣を切ってカウンターの前に立ち、その向こうで書類作業をしている黒いベストを着たメガネの女性に声をかけた。


「すみません、ロココ村のイルゼ=ヴァイスハイトです、依頼をしにきました」

「あらイルゼちゃんじゃない!大きくなったわね〜」


 女性は書面を見ていた顔を上げてイルゼを見ると、思い出したように和かな表情を浮かべた。


 口ぶりからして、イルゼのことを知っているようだが、知り合いなのだろうか。


「ペトラルカさん!お久しぶりです!」

「いつぶりかしらね、2年ぶりくらい?」

「私が13歳くらいですから、それくらいですね」

「はえ〜、2年でここまで大きくなるのね、お母さんに似て、美人になっちゃって!」

「も〜、やめてくださいよ〜」


 後ろで見ている私を他所に、2人は久しぶりの再会を懐かしんでいる。

 

 私は2人の会話が終わるのを待っていようと思ったが、ローザと「日暮れまでには帰る」と約束したことを思い出すと、いつまでもこうしてはいられないことを悟る。


 私はカバンの中からアドルフに渡された書類を取り出してそれをイルゼに渡した。


「イルゼ、これを」

「あ、そうだった」

「依頼だったわね」

「そうなんです、冒険者を募集したくて、それほどお金は出せないんですけど・・・」

「・・・何かあったの?」

「・・・・・」


 イルゼはそこで黙り込む。


 カウンターの上に置いた小さな右手は小刻みに震えており、表情からは恐怖の色が感じられた。


 おそらくあの時のことを思い出しているのだろう。


 私は前に進んでイルゼの横に立ち、左手を取る。


「魔物が大量に村に来るようになった。対処するのに人手が足りない」

「なるほど、魔物退治ね、・・・あなたは?」

「私はカナン、諸事情あってイルゼの家でお世話になってる」

「ふーん・・・とりあえず了解したわ。予算はどれほど?」

「これを」


 私はそう言うと、カバンの中からから硬貨が詰まった袋を取り出して、カウンターの上に置く。


 ガチャリと硬貨が擦れる音が鳴り、その音に反応して周囲の何人かの視線がこちらに向けられた。


「ちょっとあなた、大金をそんな乱暴に扱っちゃだめよ!」

「ごめん」

「はぁ・・・、預かるわね」


 ペトラルカは大きくため息を吐くと、カウンターの向こうで集計を始めた。

 

 チャリチャリとコインが積み上がる音が鳴るたびに、周りの視線の量が増えていくのを感じる。


「2,500メルカね、戦闘員だから・・・少なくとも銅級くらいの冒険者を20人、2ヶ月は雇えるわ」

「どれくらいで集まる?」

「そうねぇ、夏は繁忙期だから、全ての枠が埋まるには1ヶ月はかかるかも」

「分かった、それでお願い」

「ねぇ、聞いていいのか分からないけど・・・、もう被害は出ているの?」

「詳しいことは知らない、でも大変そうだった」

「そう・・・、あなたたちも気をつけるのよ?」

「うん、心配してくれてありがとう」


 私がそう言うと、未だ心配の色が抜け切らぬ表情で、ペトラルカは書類にスタンプを押した。

 

 私たちの会話を聞いていたのか、用が済んで会館を後にする私たちに「お嬢ちゃんたち、その依頼、俺たちに任せな!」と声をかけてくれる大人たちもいて、イルゼは彼らに「ありがとう!頼りにしてるね!」と元気に返す。


 外に出てみると、まだ日は高かった。


 まだ日が暮れるまでには時間があるし、少し街を見て回ろうかな。


 そう思ってイルゼに提案しようとしたところで、私は

街が慌ただしくなっていることに気づく。


「なんだ?」


 そう呟いて周りを見渡してみる。気づけば建物の窓からは人が外を除き、大通りには大勢の人間が集合し始めていた。


「騎士団が帰ってきた!」


 会館の扉の前で立つ私たちの前を、そう言いながら青年が駆けていく。


 私は彼が発したその言葉の意味を知らなかった。


「・・・騎士団?」

「国を守ってる人たち。とっても強くて、みんなの憧れなの!」


 私の呟きにイルゼが答える。

 

 街の人々は誰に号令されたわけでもなく既に大通りの真ん中を開けており、そこを隊列が通れるようにしていた。


 私たちもその騎士団を見るために人混みを掻き分けて前に出る。


 するとしばらくして、馬やフォラコスに跨った白銀の鎧を纏った騎士たちの隊列の姿が現れた。


 プラチナブロンドの髪を靡かせる白馬に跨った女騎士が先頭を飾り、後ろからはいかにも高級そうな鎧や剣を装備した屈強な騎士たちが、仰々しい足音を立てて追随していく。


 人々は彼らを羨望の眼差しで、あるいは歓迎の言葉で街に迎え入れ、街の雰囲気は一気にお祭り模様になった。

 

 しかししばらくすると、盛大に賑わっていた人々の声は次第に収まっていき、ボソボソと小声の束へと変化していく。

 

 横で彼らに手を振っていたイルゼも、その手を下げて胸の前に置いた。


 私は彼らのことを初めて見るし、事情も知らないが、理由は明白だった。


 隊列には荷車をいくつか見られたが、そこに積まれていたのは戦利品や採集物ではなく、段々に積まれた死体袋の山だった。


 よく見ると馬に跨った騎士たちの中には、腕や頭部に包帯を巻いている者もいる。


 さながらそれは、敗走者たちの姿のように見えた。


「これは・・・」

「何があったんだわ・・・」


 イルゼはそう言うと、私が止めるのも聞かずに隊列に向かって駆け寄っていった。


 駆け寄っていった先には、腕に包帯を巻いて首から吊るしている1人の騎士がいる。


 イルゼは杖を取り出して、その騎士の血の滲んだ腕の包帯に杖先をかざすと「(癒えよ)」と唱えた。


 イルゼの行動に触発されたのか、街の人々も徐々に動き始める。


 イルゼと同じように魔法を駆使して治療を行う者、水やパンを与える者、声をかけて労を労う者。


 皆各々の方法で騎士団に奉仕しはじめた。


 私もイルゼの元に駆け寄って、治療を受けていた騎士に声をかける。


「何があったの?」

「・・・魔物の大群が現れたんだ。俺たちだけじゃどうにもできずに・・・くそっ!」


 騎士はそう言って拳を膝に打ち付ける。


 その声音からは悔しさと自責の念が感じられた。


 全身の鎧がガシャりと音を立てる。


 魔物の大群。どうやらロココ村だけではなかったらしい。


「カナンごめん、私、ちょっと行ってくるね」


 そう言うとイルゼは、駆け足で他の騎士たちの治療へと向かう。


 私もイルゼの後を追って、騎士たちの治療を手伝うことにした。



 *  *  *


 

「大丈夫よ、すぐ良くなるから」

「ああ」


 イルゼが魔法を使って騎士を治療している間、私はその傍らで包帯を巻いたり、傷口のケアをしたりしていた。


 騎士団の隊列は街にとどまり、街の人々から施しを受けている。


 別にそれらに対して何か対価をもらえるわけではなく、それはどこまで行っても無償の奉仕だ。


 騎士団はそれだけ市民の支持を得ているということだろう。


「すまない。逃げ帰ってきたっていうのに、こんなことさせちまって」


 手当てをしていた騎士が、申し訳なさそうな声音でそう言った。

 

 私はそれにどう返したらいいかわからず、口をつぐんだまま静かに作業を続ける。


 これだけ屈強な戦士が束になっても太刀打ちできないほど強力な魔物の大群。それが押し寄せているとなれば、ロココ村の安全も常なるものではない。


 危機感は募るばかりだ。


 出来るだけ早く村に帰った方がいい。


 彼らを労うのも大切だということは重々承知だが、今は家族の無事を気にかける方が優先だろう。


「イルゼ」

「なに?カナン」


 私は治療に必死なイルゼの背中に声をかける。


「そろそろ帰ろう」

「まだ怪我人がたくさんいるわ、魔法使いは一人でも多い方がいいでしょ?」

「でも村が心配だ。騎士団でも逃げるしかなかった魔物の大群が押し寄せているなら、村に警告した方がいい」

「でも・・・」

「大丈夫、イルゼが率先して行動を起こしたお陰で、街のみんなが治療を引き継いでくれるさ」


 イルゼは下を向いて眉を顰める。


 優しいイルゼのことだ、私だけ帰れと言いかねないが、そういうわけにもいかない。


「行くなら行った方がいい、時間稼ぎは出来ただろうが、それでも開拓村に辿り着くのにそれほど時間はいらないだろう」


 私は治療を受けていた騎士の警告に頷くと、イルゼの肩に手を置いて「行こう」と促した。


 しぶしぶ「分かった」と承諾するイルゼ。


 私たちはフォラコスの背中に跨って、足速にライラシュタットの街を後にした。


 *  *  *


 ライラシュタットの街を背に向け、道中を着た時よりも早足で駆けていく私たち。


 太陽が低くなっていくのが見えていたので、できればもっと早くフォラコスを走らせたかったが、イルゼを置いて行ってしまうため、出せる速度には制限があった。


 それでも行きよりは早く景色は後ろへ流れ去っていく。


 数十分の道のりの末に日は傾き、夕暮れ時になった頃、ついに私たちは見慣れた道に差し掛かる。


 村が見えてくるまであと少しといったところで、私は坂の向こうがわずかに橙赤色の光を放っていることに気づいた。


 夕焼けの色にしてはやけに明るく、そしてそれはまるで生きているかのように揺らめいている。


 嫌な予感を察知した私は、駆け足で坂を越える。


 後ろでイルゼが「カナン?」と声を発したのが聞こえた。


 坂の上から見えたのは、できれば現実になって欲しくなかった、考えうる限りの最悪の光景。


 火が放たれ倒壊した家屋に、荒らされた農地、そして殺され尽くされた家畜たち。


―――――――――私たちは間に合わなかった。

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