第3話「剣と魔法」
目が覚めてから3か月、陽の光が豊かな土の匂いを焚き上げる頃、私は、未だ彼らの世話になっていた。
最初はいつ追い出されるかと不安だったが、特にそんな雰囲気は感じられることはなく、彼らは快く私をここに置いてくれている。
理由は分からないが、帰る場所も行く場所もない私にとって、彼らの優しさはとてもありがたいものだった。
体力もだんだんと戻ってきていて、今もこうして畑仕事ができるほどには、私の体は言うことを聞くようになっている。
言葉も、まだ完璧ではないが、理解できる単語も増えてきて、簡単なコミュニケーションくらいならもうできる。
ゆっくりではあるが、それでも確実に、私は彼らとの生活に馴染みつつあった。
「お疲れ様です、カナン」
畑に突き立てた鍬の上に肘を置いて一息ついていると、後ろから静かな声が私を呼んだ。
振り向くと、そこには綺麗なメイド服に身を包んだテアが立っている。
真っ白なエプロンが膝下まで伸びていて、私は畑の土で汚れないか心配になってしまった。
「そろそろ昼食です、戻りましょうか」
そう言うと、テアはその場でくるりと踵を返す。
その見事な回れ右は、柔らかい土の上でもバッチリ決まっていた。
テアの背中を追って家に帰ると、既にダイニングのテーブルの上には昼食が並べられていた。
イルゼとローザが「おかえり」と言って私を労い、私はそれに「ただいま」と言って返す。
椅子に座り、大地の恵みに感謝を示すための祈りを終わらせると、皆各々昼食を開始した。
「そういえば、森の方で魔物が出たらしいわよ、フリッツたちが対処に向かったって」
ローザが言って、アドルフとテアがそれに反応する。イルゼは気にせずにパンを頬張っていた。
私も理解できなかったわけではなかったが、ローザのその真面目な表情を見ると、横から口を挟む気にはならなかった。
無視しているみたいな態度になってしまうのも嫌だったから、私は静かにパンを口に運びながらローザの方を見て、話しを聞いている感を出す。
「またか、最近多いな・・・」
「ええ、また冒険者を雇った方がいいのかしら・・・?」
「村にそんな余裕はない、まだ俺たちだけでなんとかなるし、春の収穫が終わったら考えよう」
「・・・・それもそうね、フリッツたちは大丈夫かしら・・・?」
「あいつらだって元冒険者だ、なぁに、心配いらないさ」
「なんだか嫌な予感がするのよね・・・気のせいならいいんだけど・・・・」
深刻な内容なのだろうか、ローザの話しぶりからは、ほのかに不安と焦燥感を感じる。
ところどころ分からない表現や単語があったから話の内容をすべて理解することはできなかったけど、それでも「魔物」について話していることは理解できた。
「魔物」、それはこの村の周囲にも生息する生き物たちで、様々な種類がいる。
狼やイノシシのような獣のような形状をしたものもいれば、でかい虫みたいな奇怪な見た目をした奴らもいて、空を飛んだり地に潜ったり、厄介な習性をもった種類もいる。
前に農作業をしていたとき、空から体長1メートルはありそうな大型の鳥っぽい魔物が下りてきて、私の頭を収穫していこうとしたこともあった。
その時は隣の休耕地の農場で放し飼いにしていた家畜の鳥、フォラコスが追い払ってくれたけど、アドルフによると、あれでもまだ弱い方らしい。
・・・・そういえば、何気なく家畜として身近に受け入れているが、フォラコスも魔物の一種なのだろうか?
詳しいことはまだ分からないが、虫や普通の動植物とは違って、私たちに積極的に害をもたらす、良くない連中であることは教わっている。
それほど危険な魔物を生活圏に入れてしまっていると考ると危なっかしくも思えるが、何度も背中に乗せてもらっていることを思い出すと、もう魔物でもいいような気がしてきくる。
ひょっとしたら、魔物にも無害な種類がいるのかもしれない。
「・・・・カナン?」
私がそんなことを考えていたら、横からイルゼが私を呼んだ。
考え事に夢中で食事の手を止めていたから、心配させてしまったのかもしれない。
私は軽く「大丈夫」と言って、パンを口の中に運び入れる。
イルゼとテアが心配そうに私を見つめているが、私はその視線を振り切るように食事を続けた。
私が彼らの言葉を学ぶにあたって彼らの表情やジェスチャーにも注意を払って観察していたように、イルゼやテアも、私のことをよく見ている。
特に私が何か悩んでいたり、深く考え込んでいるとき、私はそれが表情によく表れるようで、その度に2人は何かと私を気にかけて心配してくれる。
心配してくれるのはありがたいが、その度に気にされていたらキリがない。
最近は私があえて無視をすることで、気にしなくていいという意思表示をしている。
3ヶ月も一緒にいるのだから、もうそろそろ私も、彼らに普通に接してほしいのだ。
昨日と同じ、そして明日以降も続いていくであろう平穏な一日。
思い出せない過去のことが気にならない訳ではないが、私はこんな生活をいつまでも続けていきたいと思えるほどに、彼らとの今の日々を愛おしく思っていた。
その時。
「ローザ!!!!!」
荷車が荒々しく急停止する音と共に、それに負けないほどの声量がローザの名前を呼んだ。
声の主は慌てて荷車から飛び降りると、飛び降りた衝撃でよろめきながら私たちの家の中に入ってくる。
その男は何度か見たことがある人物で、目が覚めたばかりのときも、水を汲むのを手伝ってくれたあの男だった。
「どうしたフリッツ?」
「マヤが重症だ!!ローザ頼む!!来てくれ!!」
「何があったの?」
「いいから早く!!」
汗に濡れた銀髪の下で、青い目をぎらつかせながら肩で息をしているその男は、荒い声でそう言うと、そそくさと荷車の方へ戻っていく。
その危機迫った様相に圧倒されて、イルゼは言葉を失ってしまっていた。
私はその男が立っていた場所に、赤黒い液体が小さな水溜まりを作っていることに気づく。
直感的にその液体の正体が血であるということは理解できたが、私は一瞬同様した後,いつもの冷静さを取り戻した。
「イルゼ、カナン、ちょっと待っていてね」
ローザも急いで席を立って男の後を追う。アドルフとテアも、ローザに続いて食卓を去った。
後に残された私とイルゼは、ポカンとお互いを見つめ合う。
待っていてとは言われたが、只事ではない雰囲気を察すると、私は外で何が起きているのか気になってしまった。
イルゼも同じ気持ちのようで、私の無言の提案にイルゼは静かに頷いて同意の意思を示す。
私とイルゼは席を立って、外で何が起きているのかを確かめに行くことにした。
外には、2匹のフォラコスに繋がれた荷車が停められていた。
荷台の上ではさっき飛び出していったローザが、誰かに向かって大声で名前を呼びかけている。
その横では銀髪の男、フリッツが涙目になりながらその様子見つめているが、水の入ったバケツを持ってきたテアに「退いてください!」と言われ、押し退けられていた。
私たちは荷台の上を確認するために荷台の後ろへ回り込む。
するとそこには、私が薄々想像していた通りの光景が広がっていた。
「っ・・・・!」
イルゼが息を呑んで私の服の裾を掴んだ。
私はその手をとって、彼女をそばに寄せると、左肩に手を回して体に密着させる。
そこには女性が横たわっていた。
黒髪でショートカットのその女性は、ぐったりと力なく荷台の上で仰向けになって気を失っており、顔色は生力を失ったように青白くなっている。
理由は明らかに失血。
女性は肩から腰にかけて、まるで逆歯のついた刃物で薙ぎ切られたような斬傷を負っていた。
私はその余りの凄惨さに手の甲で口を覆い、さっき食べた昼食が逆流してこようとするのを防ぐ。
想像していたとはいえ、その光景はあまりにも凄惨で、見るに堪えないものだった。
「フリッツ、何があった?」
「・・・・ガッショウムシリだ」
何十にも重ねた布で患部を抑え、止血を試みていたアドルフが言うと、フリッツは少し間を置いてそれに答えた。
ガッショウムシリ・・・?
初めて聞く単語だった。魔物の名前だろうか?
「春って言ってもまだ寒い、奴らが渡ってくるには早すぎる」
「でもいたんだよ、マヤはそいつにやられたんだ」
「何かしたのか?」
「いや・・・こちらからは何も、だが妙に興奮してて・・・こちらが接近したらいきなり襲いかかってきたんだ」
「話は後にしましょう、フリッツ、応急手当てはできても、この傷だと街に行った方がいいわ」
「でもそんな金は・・・」
「村からも金を出す、いいから行ってこい」
「・・・・・すまない」
フリッツは言うと、深々と頭を下げる。
するとローザは懐に手を突っ込み、そこから長さ30センチほどの細い木の棒を取り出した。
「(癒えよ)」
ローザは右手で木の棒の先端を女性の傷口へ近づけると、空の左手をかざして目を閉じ、落ち着いた口調でそう言った。
すると、木の棒の先端がゆっくりと黄緑色の光を帯び始め、放たれた光が木の蔦が樹木を這うように女性の体を包みこんでいく。
「あれは・・・・?」
私はその光を見たことがなかった。
いや、覚えてないだけで見たことはあるのかもしれないが、少なくとも、ローザが何をしているのかが今の私には理解できなかった。
黄緑色の光は女性の体を数周這い回った後、再びローザが持っている木の棒の先端に戻っていく。
ローザに何かをされた女性の顔を見てみると、先程よりは幾分かマシな顔色になっていた。
よく見ると出血も治っており、アドルフが止血するために持っていた布へも、もう血が滲んでいない。
「とりあえず大丈夫よ、でも、街に行ってちゃんと治療を受けたほうがいいわ」
「ああ、ありがとう。そうするよ」
「一人で大丈夫か?」
「・・・・・大丈夫だ、それよりも、人手が足らなくなって村の防備が手薄になる方が困るだろう」
「それはそうだが・・・」
「問題ない、すぐ戻ってくるさ」
「・・・・・無理しないでね」
「ああ、そっちもな」
言いながらフリッツは女性の手を握りしめる。アドルフは女性の体に包帯を巻き付け、テアは女性の全身に付着していた血を水で濡らした布で拭いていた。
荷台の上から滴る血液が、私たちの足元を伝って後ろへ流れていく。
私はそれを踏まないように、そしてイルゼに踏ませないように少し横にズレた。
その後、アドルフはフリッツから魔物が出現した場所を聞きつけると、フリッツに書類のスクロールと、袋いっぱいの銀貨を渡した。
フリッツが指し示したのは、村向こうにある森林。
アドルフはそれを承知すると、剣を持ち、フォラコスの背中にまたがって家を飛び出していった。
その背中に「気を付けてね!!」と声をかけたローザに、片手を挙げて答えたアドルフが森の方へ消えていくと、フリッツは女性を乗せた荷車をゆっくりと走らせる。
イルゼとローザがアドルフの行く末を見守る中で、私はこれから長い道のりを怪我人を連れて一人で行かなければならないフリッツの方が心配になり、彼の背中を静かに見送った。
* * *
「(水よ、直進せよ)」
イルゼが言葉を発すると、木の棒の先端から手のひら大の水の塊が勢いよく飛び出して、庭に生えた一本の木の横を掠めた。
奥の茂みが水浸しになり、ポタポタと地面に水滴が垂れている。
「いいわよ、発音は大丈夫ね」
そう言ってローザはイルゼから木の棒を受け取る。
木の棒の先端を前方に突き出し、空のもう一方の手のひらも同じように前方に向けて掲げた。
「(水、直進)」
イルゼよりも短いフレーズと共に発射された水柱は、イルゼが放ったものよりも鋭く、威力があるように見えた。
その水柱は真っ直ぐ木の幹の中心に命中し、露出した木目に水が染みて色が濃くなる。
「もっと魔力を無駄なく杖に伝えるのよ、まだ気が散っちゃってるから、集中して」
ローザは再びイルゼに木の棒、「杖」を手渡し、「ほら、やってみて」と言ってイルゼの背中を押した。
イルゼは静かに目を瞑り、両手でしっかりと持った杖を前方に突き出して、集中するのに数秒を要した後、口を開く。
「(水よ、直進せよ)!」
発射された水柱は空中を直進し、的確に木の幹の真ん中を捉えた。
その威力はローザのものには及ばなかったが、それでも先程イルゼが放ったものよりもしっかりと威力が増していたように見えた。
フリッツが重症を負った女性、マヤを連れてきた翌日から、私たちはローザから「魔法」を教わることになった。
魔法ーーー、ローザがマヤを治療したときに使ったあの謎の光や、今目の前でイルゼが放った水柱も魔法の産物で、どうやらあの細い木の棒、杖を使えば、おおよそ自然法則から逸脱しているとしか思えない超常的な力を扱うことができるらしい。
昨日、日が沈んでからボロボロになって帰ってきたアドルフの様子から察するに、フリッツが言っていたガッショウムシリという魔物は、かなり手強い相手なのだろう。
自分達の安全を守るためにも、今のうちに私たちの戦闘訓練をしておこうという算段だ。
「いいじゃない!上手よ、イルゼ」
「やったあ!」
「さぁ、カナンもやってみて」
ローザは後ろで待機していた私にそう言うと、杖を手渡してくる。
それを受け取った私は、さっきまでイルゼが立っていた位置に立ち、イルゼと同じように両手で杖を持って、直線上に木の幹の真ん中が来るように構えた。
「目を閉じて、カナン」
言われた通りに私は目を瞑る。
視界が遮られ、その分敏感になった聴覚が、木の葉が風に揺れてざわめく音を捉えた。
「地面から体に魔力が流れてくるのを感じるでしょ?、その流れを手首に、手首から手のひらに、手のひらから指先に、指先から杖の先へ伝えるの」
そう言いながら、ローザは私の腕を手首から指先にかけてその繊細な指でなぞる。
私は言われた通りに、自分の体の中を流れていると言う「魔力」とやらの流れを探した。
「そして、こう唱えるの、いい?、ゆっくりでいいから、正しく、丁寧に発音するのよ?」
「うん・・・・」
「いくわよ?、(水よ、直進せよ)」
「(水よ、直進せよ)」
―――――――――なにも起こらなかった。
杖は何事もなかったように空中を指したまま、イルゼのときのように水柱を放つ様子はない。
「焦らなくていいわ、集中して」
ローザはそう言って私の手に自分の手を添えると、体を密着させて私の姿勢を矯正する。
髪や首元から漂ういい匂いが気になって、集中なんてできる状態じゃなくなった。
それでも私はローザの期待に答えなければならない。
私はもう一度目を瞑り、自身の体の中を流れているはずの魔力の流れを探す。
そしてそれが手首から手のひらへ、手のひらから指先へ、指先から杖先へ伝っていく様子をイメージしながら、言葉を唱えた。
「(水よ、直進せよ)!」
・・・やはり何も起こらなった。
威力が弱いとか、水の量が少ないとか、そういう話ではなく、杖は本当にただの木の棒のようにピクリとも反応しない。
「おかしいわね・・・発音は問題ないはずなのに・・・」
目が覚めてから今日までの間、彼らの言語を学ぶために、日常会話を散々注意して聞いてきた。
そのおかげで、「音を聞いて、それを真似る」という技術は格段に向上しており、ローザが放った言葉も、ほぼ完ぺきに発音できたはずだ。
イルゼが最初にこの魔法を使ったときは、少なくとも親指程度の水塊くらいは打ち出されていた。
けれども私がやったら何も起こらない。
どういうことだろう?
「カナン、ちょっと杖を貸して?」
「うん」
私は言われた通りにローザに杖を渡す。
すると、杖を受け取ったローザは、その杖先を私に向けて、「(大地の血脈よ、その真なる姿を現せ)」と唱えた。
杖先が微かに青い光を帯び、ローザの瞳も同じ色で僅かに光を放つ。
「ふーむ、ふむふむ・・・・、え・・・?」
「どうしたの?」
「いや、えっと・・・どういうことかしら・・・?」
ローザは驚いたような、困惑したような表情で私を見ながら首を傾げる。
私に魔法を使ったようだが、何かされたのだろうか。
「お母さん、どうしたの?」
「魔力が通っていないわ・・・」
「「え?」」
魔力が通っていない。
その意味が分からず、私は声を漏らした。
しかし、イルゼの反応から察するに、それは異常なことなのだろう。
先ほどから言っている「魔力」とやらは、どうやら魔法を使うための燃料のようなもので、誰もが体にそれを通わせているらしい。
そして、私にはそれが通っていない。
ならば、私は魔法が使えない・・・ということなのだろうか。
「でもカナンはどう見ても人間だよ!」
「分かってるわ、変ねぇ・・・何かの病気なのかしら・・・」
「カナンは病気なの・・・?」
「え?」
イルゼが上目遣いで私を見る。
潤んだ可愛らしいくりくりとした青い瞳からは、私に対する心配を感じとることができた。
安心させてあげたいところではあるが、それでも私は「わからない」としか答えることができない。
昨日の今日で魔法を知り、実践にまで至っているのだから、すぐに出来なくても当然だと思うが、そういうわけでもないらしい。
ローザが首を傾げて私を見るが、私はその視線に答えることができずにタジタジしてしまう。
どうしていいか分からず困惑していると、後ろから低い声がその静寂に割って入った。
「まぁ、向き不向きはあるだろう」
アドルフだ。
アドルフは片手に持っている2本の木剣のうち一本を私に渡し、「ついてこい」と言うと、有無を言わせず庭の裏手の方へ消えてしまう。
私は2人に視線を送ると、その場の空気から逃げるように、小走りでアドルフの後を追った。
* * *
「構えてみろ」
「え?」
家の裏手。
私から数メートル離れたところで立ち止まり、振り返ったアドルフは、そう言うと、片手に持っていた木剣を私に向ける。
構えろと言われても、剣を持つのなんて初めて・・・ではないかもしれないが、どうしていいか分からない。
仕方なくアドルフの構えを真似てみる。
腰を落とし、左手を後ろに引いて、右手で持った木剣を前に突き出した。
「様になってるな、経験があるのか?」
「初めて・・・だと思う」
「なるほど、まぁいい、いくぞ」
「え?、ちょっと!?」
突如、数メートル離れた場所にいたはずの巨体が一瞬で目の前に現れる。
私は反射的に地面を蹴って後ろに下がり、振り下ろされた木剣をかわすが、それでも完全に避け切ることは出来ず、剣先が前髪の後毛を攫った。
後ろで私の様子を見ていたイルゼとローザが「おお〜」と声を漏らす。
じんわりと冷や汗が滲み、心臓の鼓動が跳ね上がったのを感じた。
「いきなりなにを!?」
「良い反射神経だ、悪くない、次行くぞ」
「ちょっ!!」
アドルフは私の声に耳を傾けることなく、木剣を左から右に振って私を攻撃する。
私は再び後ろに下がってそれをかわし、続く右から左への斬撃も同じようにかわした。
どうやら話をするつもりはないらしい。
アドルフは両手で木剣を持ち直し、おおきく振りかぶる。
それをかわそうと私は再び後ろへ下がろうとするが、既に私は庭の端まで追い詰められていた。
後ろへ下がる選択肢が無くなった私は、仕方なく地面を蹴る。
しかし今度は後ろへ下がるためではなく、前に進むためだ。
振り下ろされた木剣を避けつつ、前転でアドルフの腕の下をくぐり抜けて背後に回り込む。
取った――と思ったが、立ち上がったときにはすでにアドルフも振り返っており、アドルフはそのまま横薙ぎの一撃を放った。
私は咄嗟にしゃがんでそれをかわす。
十分に間合いは近かったため、私はそのままアドルフの脇に目掛けて下から上に木剣を振り上げた。
アドルフは後ろに身を引いてそれを避けようとするが、そこはさっきまで私がいた場所。
巨体が逃げられる余地はなく、そのままアドルフは体勢を崩して尻もちをついた。
私は立ち上がり、アドルフの眼前に剣先を向ける。
数秒の静寂の後、イルゼが目をキラキラさせながら驚いたような口調で「すごいっ!」と言った。
「・・・初めての動きには思えない、訓練を受けたことがあるのか?」
「・・・・分からない」
剣を引き、手を差し出すと、アドルフは素直にその手を取って立ち上がる。
訓練なんて受けたことない・・・かは分からない。
ここで目が覚める以前の自分が何をしていたかを、私は何も覚えていないからだ。
私はそのことをまだ彼らに伝えていない。
言葉が分からなかったから伝えられなかったというのもあるが、そもそも何も覚えていないということを信じてもらえない可能性だってあるし、何か隠し事をしていると思われて、不信感を抱かせてしまうのも嫌だった。
「分からないってどういうことだ?、実戦で身につけたってことか?」
「・・・・・」
私は首を横に振ってそれを否定する。
このタイミングで言わなければならないのかと思うと、どう言っていいのか分からず、咄嗟に言葉が浮かばない。
誤魔化せるほどの語彙力もないので、ここは正直に言うしかない。
「カナン?」
じんわりと、先程とは違う種類の嫌な汗が滲む。
私は下を向いたまま、横髪をくるくると指でいじりつつ、小さく口を開いた。
「・・・何も覚えていない」
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