第3話 後任を考えたけれど

 結局、スピネル様に僕の後任の話をすることはできなかった。

 思わず「僕じゃなくてもよかったってことですよね!?」と叫んだことがスピネル様の気に障ったらしく、そっぽを向くどころか部屋を出て行ってしまったからだ。

 ソファから立ち上がったスピネル様が何か言ったような気がしたけれど、すぐに口元を手で覆ったから聞き取ることはできなかった。聞こえはしなかったものの、おそらく僕への文句か何かだったに違いない。


「部屋を出て行きたかったのは僕のほうなんですけどねー……」


 僕が指名された理由がわかってから三日、またスピネル様との意思疎通が難しくなってしまった。たまにポロッとこぼす僕の独り言に、気まぐれに反応が返ってくることもない。

 まぁ聞いてはいるみたいだし、何度か視線を感じてもいたから、そこまで怒ってはいないんだろう……、と思いたい。


「なんとか話をして、後任に引き継ぎたいんだけどなぁ」


 スピネル様の話を聞く限り、身綺麗にしていて香水をつけない男の医者なら代わりが勤められるということだ。

 それなら候補が何人もいる。王宮医のなかには貴族と懇意にしたい人がそこそこいるから、話せば代わってくれる人も見つかるだろう。最終目標はとんでもない内容だけれど、そういうことに抵抗感も嫌悪感も抱かない人は一定数いる。

 この国は恋愛や性に関しては大らかなもので、とくに貴族の間では愛人を持つことも同性で関係を持つことも珍しくない。それに相手は美貌の次期伯爵様だ、むしろ喜ぶ人がいてもおかしくない。


「よし、今度こそスピネル様に話をして、親父に後任を選んでもらうぞ」


 グッと拳を握ったところで、お茶の用意ができたという侍女の声が扉の向こうから聞こえてきた。

 そういや屋敷に到着した翌日から、午前午後のお茶の時間は必ずスピネル様に呼ばれている。気分を害したあとも、それは続いていた。

 僕は「やれやれ、どういうことなんだかな」と思いながらも軽く服を整えて廊下へ出る。数歩歩いたところでスピネル様の部屋に到着し、入室許可を得るためノックしようとしたら先にドアが開いた。出てきたのはスピネル様付きの侍女で、相変わらずの姿に「うひょう!」と心の中で叫ぶ。


 初めて見たときは、サンストーン伯爵家の侍女とは思えない服装に心底驚いた。

 だって、こう、胸の部分がぱっつんムチムチだなんて、どうしても胸に目が向いてしまうじゃないか。「これじゃあ、娼館って言われてもおかしくないぞー」なんて思ったりもしたけれど、おそらく侍女の服は伯爵様の仕業に違いない。

 僕がそう予想したのは、ムチムチおっぱい侍女がスピネル様付きにしかいないからだ。そういう侍女を見てムラムラして手を出せ! っていう、わかりやすい誘導だと思われる。

 そこまでしても成果がなかったということは、スピネル様の女嫌いのほうが強かったというわけだ。男の本能より強い嫌悪感とは恐れ入る。

 もちろん、そんなムチムチおっぱいの侍女たちに話しかける勇気がない僕は、今日も相変わらずポツンに近い状態だった。


(……あ、今日も蜂蜜入りの紅茶だ)


 部屋に入ると、紅茶に混じって蜂蜜の甘い匂いがして口元が緩んだ。周りはミルク入りを好む人が多いけれど、僕は断然甘い蜂蜜入りのほうが好きだ。それに少し果汁を入れるのがまたおいしいんだけれど……、この屋敷だと精力増強の果物を選ばれそうだから、うっかり言わないようにしよう。

 激務だったときにはありがたかっただろう伯爵家の食事は、いまの僕には持て余し気味になりつつあった。おかげで「僕って性欲が薄いんだろうなぁ」と思っていたのは間違いだったとわかった。「いまなら恋人の二人や三人、毎日ベッドインできるわー」なんて阿呆なことも言えそうなくらい、息子が元気なのだ。

 その元凶である人物は、今日も表情ひとつ変えずにソファでくつろいでいる。


「失礼します」


 いつもどおり言葉をかけてから、はす向かいのソファに座る。返事はないものの、いつもチラッと見られるから今日もそうだろうと思っていたんだけれど……、珍しい。座ったあともスピネル様の視線がこちらを向いたままだ。


(なんだろう)


 もしかして何か話したいことでもあるのかと少し様子を伺ってはみたものの、声をかけられることはない。


(うーん、余計に厄介な感じになっちゃったなぁ)


 発端は僕のうっかり発言だったとしても、そこまでこじれるような内容ではなかったと思う。そもそも最終目標は内容が内容だし、ちょっと本音が漏れたとしても許してほしいくらいだ。


(こんなんじゃどうしようもないし、やっぱり後任をどうにかしないと)


 それもあって今日はきちんと話をしようと思っていた。まずはスピネル様に話をし、許可がもらえたら伯爵様に話をして後任に引き継ごう。


「スピネル様、お話ししたいことがあるんですが」


 おっと、まだ僕を見ていたか。きれいなオレンジ色の目に、ちょっとだけドキッとさせられる。


「あのですね、明日からちょっと家に帰ることになりま……」

「なんだと!?」


 うおっ、驚いた! え、なに、そんな大声を出すほどのこと、言った?


「あの、スピネル様……?」

「……っ」


 あ、そっぽ向いてしまった。なんだよ、子どもみたいだな。っていうか、いまの反応はどういうことだ?

 気にはなったものの、待っていてもどうせ何も言わないだろうし……。よし、さっさと要件を話してしまおう。


「明日の朝から家に戻ることになりました。あ、ちゃんと伯爵様にも許可をいただいています。それでですね、スピネル様に少々伺っておきた……」

「戻って来ないつもりなのか」

「はい……?」

「……」


 食い気味に訊いてきたわりには、僕が聞き返すと答えてくれない。顔だってそっぽを向いたままで、何を考えているかさっぱりだ。まぁ、顔が見えていたとしても考えていることなんてわからないだろうから、向いている方向は関係ないか。


「ええと、家に帰るついでに父に、医長に相談したいことがありまして、それでスピネル様にお伺いしておきたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」

「……」


 あーもう、この人は本当に噂の“優秀で聡明な次期伯爵様”なのか? 僕にはそうは見えないんだけどなぁ。


「スピネル様の潔癖気味なところなんですけど、王宮医に詳しい医者が……」

「後任をという話なら、断る」


 食い気味な言葉に、「なんで後任を考えてるってわかったんだよ」と突っ込みそうになった。


「でも、こういうことは専門の医者が診たほうがですね、」

「きみ以外が近づくなど、耐えられない」

「あ、そのあたりはきちんと配慮します。身綺麗にしていて香水をつけていない男の医者なら、王宮医にもたくさんいますし」

「……」


 うん? 今度はなんだ? そっぽを向いていた顔がこちらを見た。そうしてオレンジ色の目がじっと僕を見ている。


(…………って、何やってんだよ、僕は)


 滅多に見ないくらい綺麗な色の目だからか、思わず無言で見つめ合ってしまった。


「あー、ええとですね、潔癖気味になった原因に関しても、口外しません。うまく伝えますので、心配には及びませんから」

「…………本気で辞めるつもりか」


(おや……? もしかして、ちょっと困ってる……?)


 相変わらず表情は変わらないけれど、いつものすまし顔じゃない気がする。


「お恥ずかしい話ですが、僕では力不足が否めません。これでは伯爵様のご希望にも添えられないでしょう」

「父のことなど、どうでもいい」


 ちょっと待った、依頼主の要望に応えられないのは大問題でしょうが。


「わたしは、きみに側にいてほしいんだ」

「はあ……」


 側にいてほしいって、これまでそんなふうに思っているようには見えなかったけれど……。

 スピネル様が僕のことをどう思っているかは別として、患者本人が交代を嫌がるなんて困ったことになった。これじゃあ本当に後任に引き継ぐことができない。


「たとえ王宮医であったとしても、他の医者はきみと同じじゃない」

「それはそうですが、より専門的な知識を持つ医者のほうが、よい結果が出ると思いますよ?」

「……きみも、早くわたしが女と寝られるようになったほうがいいと思っているのか?」


 おっと、直球だなぁ。たしかに依頼主である伯爵様はそうなんだろうけれど、医者としてはそれ以外もどうにかしたいところではあるんだ。


「そういうご依頼ですけど、その前にまず人と接触できるようになったほうがよいと考えています。そうでないと、今後もいろいろと大変でしょう? たとえば手を握ったりできたほうが、きっと楽しい人生を送れると思うんですよね」


 本来なら、僕がそこまで考える必要はないのかもしれない。でも、親しい人と肩を組んだり手を握りあったりできたほうが楽しいと思うんだ。

 まぁ、伯爵家の次期当主であるスピネル様がそんなことをするとは思えないけれど、まだ先の長い人生だ、どんなことが起きるかわからないじゃないか。

 そう思っての返事だったんだけれど、スピネル様はなぜかオレンジ色の目を少しだけ見開いた。


「これまで父が連れて来た者は皆、早く女と寝られるようにということばかりを口にしていた。つくづく嫌気がさして……、そういうこともあって、今回はわたしのほうからきみを指名したんだ」

「あー……、その、ご期待に添えず、不甲斐ないばかりで……」

「そんなことはない、よくやってくれている」


 ……びっくりした。何もやっていないに等しいのに、怒るどころか慰められてしまった。


「無理やり話を聞くような無粋なことはしないし、不快になるほど擦り寄ったりへりくだったりすることもない。女と寝られるようにすることだけ考えているわけじゃないこともわかった。……あのとき感じたとおりの、思っていたとおりの人物だということもよくわかった」

「ありがとう、ございます……?」


 さすがに褒めすぎじゃないだろうか。それに、聞き方によっては診察すらできない奴だと言っているようにも聞こえる。実際、医者としての役割はほぼ果たしていないから言い訳のしようもない。


「きみには、引き続きわたしの側に留まってほしい。わたしも協力すると誓おう」

「ご協力いただけるのであれば、大変ありがたいですけど……」

「それに、このままでは側にいてもらえなくなるのだろう? それだけは何としても避けたい」


 そこまでして側にいてほしいと思われるようなことを、僕は何もしていないと思うんだけどなぁ。


「……理由がさっぱりわからない」

「なにか?」

「いいえ、なんでもありません」


 理由は不明だけれど、ここまで言われてしまえば後任という話はできなくなってしまう。

 うーん、どうしたものかなぁ。医者として診るのはまだいいとして、その先がなぁ……。親父に手渡された旅行鞄トランクの中身を思い出し、ブルッと体が震えた。


「家に帰り、そのまま戻って来ないわけではないんだな?」


 当初はその予定だったんだけれど、できなくなってしまった。患者本人が協力すると言ってくれているのだし、ここで放り出すことは医者としてできない。

 ……うん、そうだな、今後のことは戻って来てから改めて考えることにしよう。


「伯爵様には二日間の休暇をいただきましたので、三日後には戻ってきます。それから今後の治療方針などを話し合いましょう」

「わかった」


 おっと、ちゃんと返事が返ってきた。なるほど、言ったことはちゃんと実行する性格なのか。

 あとで診察記録に書いておこうと頭に留めながら、たっぷりの蜂蜜を入れた紅茶をグイッと飲んだ。

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