第4話 一時帰宅やら別人疑惑やら

 久しぶりに太陽が出ている時間に家に帰った。いつもは深夜も深夜、街の灯りもほとんど消えているような時間にフラフラと帰り、翌日は朝からズルズルと足を引きずるように城へと向かう生活だった。

 おかげで家の庭に二つ目の薬草用温室ができていたことに、今日気がついたくらいだ。

 そこそこでかい温室の存在にも気づけないほどの激務は僕だけじゃなく、二人の兄も似たり寄ったりだった。そんななか、医長である親父に兄たち、それに僕までもが仕事を休んで家に集まったのは、大兄に子どもが生まれたことと、ちぃ兄の結婚祝いを一緒にやるためだ。


「こういう祝い事すらまとめてやるってこと自体、どうなんだって思うんだけど」

「仕方ないだろう、みんな忙しいんだ。同じ日に休暇が取れただけでも奇跡だぞ」

「大兄はそう言うけどさ、こんなんじゃ王宮医のほうが先にぶっ倒れるんじゃないかって思うんだよね。医者が真っ先に病気になる状態なんて笑われそうだけど」

「だよねぇ。そのことは何度も父さんに話してるけど、まーったく聞いてくれなんだよね」

「そう簡単な話じゃない。それに医長だけでどうにかなる問題でもないだろう」

「兄さんは真面目だなぁ。そんなんだから、父さんに仕事を押しつけられるんだよ」

「おまえがそれを言うか」

「そうだよ、ちぃ兄はもうちょっと働けよな」

「嫌だよ。父さんや兄さんみたいに仕事の奴隷になんてなりたくないからね」


 ちぃ兄は僕そっくりの栗色の髪をブンブン振りながら、そんなことを言っている。


 僕たち兄弟は全員が王宮医だ。長男の大兄は将来医長になることが決まっているからか、親父並の仕事人になってしまった。おかげで婚期を若干どころかそこそこ逃してしまい、なんとか結婚はしたものの子作りの時間すらなく、結婚十年目にしてようやく子どもができた。

 親父にとっても初孫ということで相当喜んでいるとは思うけれど、初孫祝いよりも仕事を優先するあたり、まったくぶれていない。

 そんな親父や大兄をずっと見てきたからか、次男のちぃ兄は少しばかり緩々な性格で、腕はたしかなんだけれど率先して働こうとはしない。たぶん大兄に押しつけられている仕事の半分は、この緩々なちぃ兄の仕事じゃないかなと思っている。

 で、何事にも要領がいいちぃ兄は、美人で家柄もすばらしい公爵家の末のご令嬢を見事に射止めた。七ヶ月前に盛大な披露宴をやり、その後も何度か公爵家でパーティを開いたと聞いている。

 だから実家ではそういうことはやらない予定だったらしいんだけれど、それではカンターベル家の名に関わると言い出したのが親父だった。せめて内輪のパーティだけでもやるぞと号令がかかり、こうして集まることができたのが号令から半年後の今日になったというわけだ。


 僕がスピネル様に指名される前に決まっていたことだからということで、二日間だけ実家に帰ることが許された。

 伯爵様にしても祝い事の半分は公爵家ご令嬢絡みのことだから、絶対に駄目だとは言えなかったんだろう。一日でも早くスピネル様のことをどうにかしたいという圧力がすごい伯爵様だけれど、今回は貴族馬車まで手配して帰してくれた。

 ……まぁ、そのぶん戻ってきたら成果を上げろっていうことに違いない。


「伯爵家のほうはどうだ? 食事はちゃんととっているか?」

「うん、毎日豪勢な食事だし、午前午後のお茶の時間まであるよ」

「うわぁ、さすがはサンストーン伯爵家。いいなぁ、俺もそんな家に雇われたい」

「ちぃ兄は公爵家のご令嬢を射止めたんだから、将来は同じようなものだろ? っていうか、ちぃ兄はもうちょっと真面目に働けばいいのに。これじゃあ大兄がかわいそうだ」

「サファイヤ、もっと言ってやれ」

「奴隷のように働くなんて嫌ですよー。それにしても、サファイヤが貴族のお抱えになるなんてねぇ」

「違うって言ってるだろ。親父の命令で貸し出されてるだけだって。それに僕は独り立ちしても貴族のお抱えにはならないからな」


 そう言ったら、兄たちが急に黙り込んだ。


「サファイヤ……、もしかして、無理してる?」


 あれ? ちぃ兄がなんだか神妙な顔になった。


「嫌なら、俺から親父に言おうか?」


 え、大兄まで怖い顔になって、どうしたっていうんだ?


「俺も父さんに言うよ?」

「ちぃ兄までそんなこと言って、二人ともどうしたんだよ。それにこれは仕事だよ? 理由もなく放り出せるわけないだろ?」

「たしかにそうだが……」

「患者本人は協力するって前向きになってるし、大丈夫だって。それにスピネル様は、貴族にしてはいい患者だと思うし」


 いい患者なんて我ながらおかしな表現だと思うけれど、兄たちに泣きつかないといけないようなことは起きていない。それにようやくスピネル様と意思疎通ができるようになったわけだし、ここで放り出せるはずもなかった。ろくでもない最終目標については、スピネル様の様子を見ながら考えればいい。

 そもそも、二人が言ったところで親父が考え直すわけがない。二人ともわかっているはずなのに、どうしたんだろう。まぁ、心配してくれるのはうれしいけどさ。

 そんなことを思っていたら、しばらく振りの顔が見えた。


「おっ、サファイヤも帰ってたんだ」

「ファルク、久しぶり」


 幼馴染みのファルクが、やたら大きな箱を持って部屋に入ってきた。あの箱の模様と大きさからすると……。


「おばさん特製の特大ケーキか!」

「当たり。って言っても、おまえのじゃないからな」

「わかってるって。でもおばさんのケーキなんて久しぶりだなぁ」

「涎出てんぞ、サファイヤ」


 ファルクに言われて慌てて口元を拭った。

 ファルクの母親は昔、城でデザート作りを担当していた料理人だ。結婚を機に城勤めを辞めて街で小さなお菓子屋さんを始めたんだけれど、すぐに人気店になった。いまじゃあたくさんの貴族が御用達にしているし、ご令嬢たちにもファンが多い。


「ブロッシア様もファンだったのかぁ。それで特製ケーキが食べられるなんて、幸せだなぁ」

「公爵様には昔からご贔屓にしていただいてたらしいぜ。つーか、少しは遠慮しろよ? おまえのケーキじゃないんだからな?」

「わかってるって。あー、クリームは何かなぁ。生クリームもいいけどバタークリームも捨てがたいし、チョコもいいよなぁ」


 僕は小さい頃からおばさんの作るお菓子が大好きで、誕生日のたびにケーキを作ってもらっていた。王宮医になってからは忙しくて食べる時間がなかったから、すごく楽しみだ……!


 ケーキが届いたということで、大兄は奥さんと生まれて半年経った赤ちゃんを、ちぃ兄は公爵家ご令嬢で奥さんになったブロッシア様を呼びに部屋を出て行った。

 僕は箱からケーキを出すため、ファルクと一緒にサンルームにあるテーブルの上を適当に片付ける。


「そういやサファイヤ、いまサンストーン伯爵家に行ってるんだって?」

「うん、親父の命令でね。今回は二日間だけ休暇をもらって帰って来たんだ」

「帰って来たって、伯爵家に住み込みなのか?」

「そのとおり」

「……伯爵家とここって、そんなに離れてないよな」

「あー、まぁ、ちょっといろいろ事情があってね……」


 そう、カンターベル家は一等地ではないものの、王城に割と近い場所にある。だから伯爵家に毎日通うことだってできる。

 それなのに住み込みになったのは伯爵様たっての希望で、それだけ早くなんとかしたいということなのだろう。ゆくゆくは旅行鞄トランクの中身を使うことになるはずで、それなら屋敷に住んでいたほうが便利だということかもしれない。


(そんな気遣い、ちっともありがたくないけどな)


「なるほどな。次期伯爵様が病気じゃないかって噂は本当だったのか」

「なに、そんな噂が出てるの?」

「大々的にはまだ広がってないみたいだけど、騎士団の上層部ではそういう噂が流れてる」

「そっか、ファルクは副団長補佐だったっけ」

「まぁな」


 笑顔で胸を張るファルクが、なんだかかわいく見えた。騎士団に入っているだけあって体はでかいし、見た目は全然かわいくないけれど。

 それにしても、騎士団でもそういう話は広がるんだなぁと感心した。それとも、騎士団の上層部には貴族出身者が多いからだろうか。


 この国は長い間戦争と無縁だからか、貴族も騎士団ものんびりしている。そのぶん貴族同士のいろんな噂話はすごくて、とくに健康問題と結婚関連の話題は途切れることがない。そういう部分で足の引っ張り合いやお近づきなんてことがあるからだろうけれど、王宮医の耳には毎日のようにそういう噂話が入ってくる。

 ついでに言えば、ちょっとした怪我やなんかで王宮医を呼びつけるのも大半は貴族だ。健康状態の変な噂が立ってほしくないから、すぐに診察を受けたいってことなのだろう。それに王宮医なら、立場上口が堅いっていうのも貴族にとっては便利に違いない。

 だからといって、ちょっと便秘気味だとか、ベッドの上でがんばりすぎて腰が痛いだとか、そういうことでいちいち呼びつけるなって話だ。おかげで王宮医の仕事は増える一方で、病人みたいな顔をした王宮医がどんどん増えている。

 それでも王宮医という仕事が人気なのは、医者のなかでも飛び抜けて高級取りだからだ。それに、ちぃ兄のように貴族と結婚できる可能性も高い。さらに言えば、元王宮医となれば市井に出ても箔がつく。


(優秀な医者だって、ご褒美がなきゃやってられないってことだよなぁ)


 僕みたいに代々王宮医という家は別にして、大方の医者はそういう理由で王宮医を目指している。


「それにしても、住み込みになるくらい大変なのか……。って、そうだった、そういうのは聞いちゃダメだったっけ」

「僕も医者だからね、患者のことに関しては口外できない」

「そりゃそうだよな。でもさ、サンストーン伯爵家って言えば相当な家柄だろ? 飯とかすごそうだよな」

「朝から豪華だね。午前午後のお茶の時間もあるし、毎食後にデザートまで出るよ。それにシャワーはピッカピカの最新式でさ、取っ手をひねるとお湯がジャバーッと勢いよく出てくる。ベッドもフカフカだし家具も高そうなものばかりだし、いろいろすごい」

「おー、やっぱり有名な家は違うんだな。スピネル様もあの美貌で優秀な方って話だし、早くよくなるといいよな」


 美貌は頷けるとして、優秀っていうのはいまいち実感が……。


「ファルクって、スピネル様のこと詳しいのか?」

「直接は知らないし詳しくはないけど、いろんな噂話は騎士団内でも有名だぞ? 若いのにそつがないとか、やたら記憶力がいいとか、会話がうまいだとか。それにあの美貌だろ? 貴族のご令嬢たちだけじゃなくてご子息たちも夢中って話だ」

「へぇ……」


 綺麗な顔っていうのは納得だし記憶力がいいらしいってことも頷けるけれど、会話がうまいっていうのは本当だろうか。僕とは会話らしい会話なんてほとんどない。ぶっちゃけ、あんなんでよく次期伯爵様でいられるよなぁなんて思ったくらいだ。まぁ優秀だって噂されるくらいだから、それなりに仕事はできるんだろうけどさ。


「遠目で何度か見たことはあるけど、すっげぇ綺麗な顔してるよなぁ。やっぱり近くで見るとすごいのか?」

「あー、まぁ噂どおりの美貌ではあるよね」

「なんだよ、その歯切れの悪い言い方は」

「え? あー、いや、それよりケーキ出してしまわないと、みんな来ちゃうよ」

「おっと、そうだった」


 聞いた話と僕が知っているスピネル様が一致しないような気がして仕方ない。「一体どういうことだ?」と疑問に思ったけれど、箱から出てきた七色ケーキを見た瞬間どこかへ消えてしまった。


 その後、家族全員が居間に集まって特製ケーキを食べながらのパーティが行われた。

 僕は大きく切り分けてもらった二切れをペロリと平らげた。それを見たブロッシア様から「こんなに小さいのにそんなに食べるなんて、すごいわ!」と、よくわからない褒められ方をしたんだけれど……、微妙に納得できなかった。




 休暇の二日間はあっという間に終わり、三日目の朝、僕は待ち構えていた貴族馬車に乗せられて伯爵家へと戻った。

 たしかに三日後には戻ると話したけれど、朝っぱらに馬車を寄越すとはどういうことだ。そんなに圧力をかけてもらわなくても、ちゃんとやることはやる。ちょっとばかり憤慨しながら伯爵様に馬車のお礼と挨拶をしたら、「早い戻りだったな」と少し驚かれてしまった。


(ということは、今回の馬車を寄越したのはスピネル様ってことか)


 どういうことだと思いつつスピネル様の部屋を訪ねたら、なんとスピネル様のほうが僕を待ち構えていた。

 これまでは、部屋に入っても声をかけても視線を寄越すくらいの反応しかしなかった。それなのに部屋に入るなり「おかえり」と声をかけられた。あまりの出来事につっかえながらも「た、だいま、戻りました」と答えれば、「座るといい。紅茶を用意させる」なんて気遣いまで見せられる。

 やっぱり、三日前のあのときからスピネル様は別人だったんじゃなかろうか。そうだ、きっと瓜二つの双子か誰かだったんだ。じゃなきゃ僕に「おかえり」なんて言葉を自らかけるなんて、あり得なさすぎて開いた口が閉じなくなる。


「何か失礼なことを考えている顔だな」

「えっ!? あ、いや、そんなことは少しも……。あはは、なんだかスピネル様がいつもと違うような気がして、驚いたといいますか……」

「協力すると約束しただろう?」

「あー、はい、それは聞きました」

「約束は守る」

「それは大変、ありがたいですけど……」


 そうだとしても変わりすぎじゃないか? 別の病気にでもなったんじゃないかと疑いそうになったぞ。そりゃあ協力的な患者のほうが医者としてはありがたいけれど、本当にどうしたっていうんだ。


「これまでも別にきみを、……嫌っていたわけじゃない。こちらの事情でいろいろあっただけだ。だから戸惑うのもわかる。だが、これからは協力すると約束する」


 うーん、よくわからないけれど、どうやら僕が考えていた以上に前向きになったらしい。会話もちゃんと成立しているし、きっとこれが噂話で聞いたスピネル様本来の姿なのだろう。


「それに、このままではきみは帰ってしまうだろう? 実際、後任も考えていたはずだ」

「そう、それです。伯爵様にもまだお話していなかったのに、どうして僕が後任を考えているなんてわかったんですか?」

「日々、様子を見ていればわかる。診察記録らしき紙の記入もあまり進んでいないようだったし、何より診察時間を早く切り上げようとすることが多かった。たまに強引になることもあったが、ほとんどは診察という名の観察ばかりで、頭では別のことを考えているように見えた。総合的に考えれば、わたしに見切りをつけようとしていたのはわかる」


 なんという観察力。いや、僕がうっかりしすぎているんだろうか。

 小さい頃から親父に「医者とは常に冷静であれ」と言われ続けてきたけれど、ちぃ兄からは「サファイヤは顔に出やすいからなぁ」なんて頭を撫でられることが多かった。今回も、僕のそういったことが原因で気づかれてしまったに違いない。

 どちらにしても考えていたことを悟られていたなんて、医者としてどうなんだろう……。


「この二日間、きみが側にいないことがどれだけつらいか身に染みて理解できた。これからは協力を惜しまない」

「よい心掛けかと思います。医者として、うれしく思います」

「自分の気持ちもはっきりと確認できたしな。もう迷う必要もなくなったことだし、準備も進めている」


 迷う必要がなくなったとまで言うなんて、またとんでもなく前向きになったものだ。

 でもそれは、決して悪いことじゃない。なにより本人が現状をどうにかしたいと思っているんだから、きっとよい方向に向かうはず。


「それにあのままでは、ほしいものは手に入らないということもよくわかったしな」


(うん? ほしいもの……?)


 よくわからないけれど、それでも本人が前向きになってくれたのはいいことだ。

 僕をじっと見ているオレンジ色の目に「がんばりましょう」と笑いかけたら、想像していたよりずっと綺麗な笑顔を返されて心臓がドキンと跳ねてしまった。

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