第6話 中立な立ち位置とは?

私はこれまで、どんな人も二元、つまり光も闇も両方持っていると話してきた。


では、あなたは今、光側に自分が居るか、それとも闇に傾いていると考えるだろうか?


誰にだって、気分が軽く、ウキウキしたり、逆に沈んだり、モヤモヤしていたり。きっと、日にもよるだろうし、その時の気分にもよるのではないか。


ましてや、誰かと喧嘩したり、また嫌な事を言われたり、また自分が言ってしまったり。


日常の生活の中で、幾らでも光に傾く、又は闇に傾く。毎日、毎日、グラグラと自分の心は動いていないだろうか?


私、個人の事を話すとしよう。


神々のように高次元と呼ばれる方々は正に光側の世界にいる。勿論、彼らの内側にも二元はあるだろう。


それに比べて私は普段は高次元と呼ばれるような所には身を置いてはいない。


どちらかと言えば、闇にかなり近く、光からは遠い。そんな所にいる。


普通ならば、わざわざそんな所には身は置きたくないだろう。出来れば、綺麗な世界で綺麗なものを見ていたいものかもしれない。


闇に近い場所にいる私を見て、闇のように悪い者だと考える方々や、私を敵なのか、見方なのか?と判断に困る方々もいる事も確かだ。


つまり、私は闇の勢力者の仲間なのか?


それとも、光側の仲間なのか?


人間の感覚ならば、


「良い人? 悪い人?」


となるのかもしれない。


あなたなら、どう捉えるだろう。


私は確かに闇側に身を置く勢力者とも話をする。

逆に、光側の者達とも話をする。


だが、私はどちらの見方でもなく、どちらの敵でもない。


いわば中立的な立ち位置にいると自分では、認識している。


なぜ、その認識が持てているのかを話そう。


一言で言えば、その理由は、


「自分の軸よりブレない。」


と言うものである。



かなり、ひねくれたもの言いだと、反発の気持ちにさせるかもしれない。


「何様だ?」とか、「自分に自信があるのか?」など。


つまり、善とする光側の者達からすれば、中には、私に対し反発心、小生意気な奴だと考える者もいるだろう。


が、しかし、私は自分の一番核の部分に関して、ブレない覚悟がある。



ここで言う、私の核の部分とは、つまり、信念とも言えるだろう。


自分と言う存在意義、自分と言う人格


これは、誰にも触らせない。私だけのものだ。


これをグラグラにせず、一本ドシッと自分の内側に入れておく事で、誰にも邪魔されることなく、冷静に物事や、相手を見る事ができる。


そのように考えるのだ。


難しい話をしたが、さて、あなたはどうだろうか?


自分の存在意義を考えた事はあるだろうか。自分はなぜ存在しているのか?


自分が望み存在しているのだろうか?


誰かに存在させられているのだろうか?


人は「自分が生まれてきたのはなぜか?」

と考えるようだが、今生生まれた理由は勿論の事、自分の魂が生まれている事が根底にある事を忘れてはならない。


存在しないとなれば、消えて無となり、無は闇である事から、闇に消えるとなるのかもしれない。


逆に無から生まれた、つまり闇から生まれた魂は、存在を得て光と出会い

存在意義ができるのかもしれない。


あなたも立ち止まり考えてみては、どうだろう。


自分自身と言う存在意義を・・・


そして、闇と光のどの位置に自分自身が立っているのかを・・・



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