第3話 闇側の勢力者達と因縁達

「因縁」と言う言葉をどれ位の人々が知っているだろうか。


よく耳にするとすれば、「○○との因縁の対決!」などと言う、別に恐くも何ともない、戦いや、勝負の世界などで用いられる。


私が解釈する所の「因縁」とは、何か元になった原因があり、それに対しての縁者が関わっている。簡単に言えばだが。


だから、勝負事でも、勝負するに値する何か元になった原因があり、勝負する相手は、原因の主である縁者と言うような解釈だ。


さて、その「因縁」だが。面白いもので、この日本に存在する霊的な者達をさす。


つまり、他国には「因縁」などと言われる者はほとんど存在しない。


「怨霊」やら、「悪霊」、又は「悪魔」等と言われるのではないだろうか。


では、それ等と「因縁」とは何が違うのか?


ここで、はっきりさせておくが、私は別に「因縁」の研究者でも、「闇」の研究者でもない。


ただ、闇と光の境目に身を置く者とし、闇側の者達とも、光側にいる者達をも見る事が出来てきた結果にすぎない。どちらかと言えば、闇側に身を置いているとも言える。


話を戻そう。


前回お話した、心の二元論。覚えているだろうか。内側には常に闇と光が横たわり、広がっている。


この二元こそ、「因縁」が生まれる要因なのだ。


「ジャンの話はいつも、難しい。」と感じる方々も居るだろうが、理解出来るような自分になってもらいたい。


とは言え、噛み砕いて話はするつもりだ。どう、読み解くかは、皆さん次第と言う所だが。


さて、日本には、「日本神道」と言われるものがある。古来より、日本人は全ての物に神が宿り、「八百万の神」と言われている。


皆さんは神社に何気に参拝しているのではない。日本人として、八百万の神より恩恵を受け、この日本に住んでいる。勿論、他国から、移住して長きに渡り日本人として住んでいる人々もそうだ。


八百万の神は、日本人に対しての課題を受けさせている。それが、「相手の心を察する」である。日本人は、他国と比べて、特有な特徴があり、それが、「黒白はっきりさせない。」「曖昧さ」である。


会話1つでも、「嫌だ!やりたくない!」と本音をはっきりとは言わず、遠まわしに、濁し回避しょうとしたり。


誰かを褒める事でも、少し、曖昧な表現をし、伝えようとしたり。


これは、相手の気持ちを察する事の出来る、「思いやりの心を育てる」と言うものだと、私は捉えている。


曖昧さから、感じ取る力を養うというものだ。それは、光であり、愛である。


この神々からの課題を取り組むにあたり、生じるのが、「我」である。「自我」は己を形成するのには、必要なものだが、この「自我」の「自」をとれば、「我」だけが残る。自分を形成する為の「自我」ではなく、唯の「我」は闇側の要素にもなり得るのだ。


因縁に落ちてくる者の多くは、この「我」が原因と見ている。


例えば。

結婚した男女が浮気をしたり、されたりするとしよう。


よくありがちだが、さて、浮気する側、される側、どちらが悪いと考えるか?


皆さんならば、どう考えるだろう。


原因は、様々だとしても、双方の間には必ずそこには「我」が潜む。


「私は悪くない!」「あいつのせいで自分は、他所に目を向ける羽目になった。」


そう、「自分は何も悪くない」と言う考え。気持ちだ。


何か悪い事が起こると、人はよく、言う。


「何か、悪い事したのかな?何も悪い事なんてしてきたつもりないのに。」


そう、考え、思う事がそもそも、間違いなのだ。生まれてきた時点で闇と光は双方あり、少なからず、人は闇とも関わる。己の中に闇がある限りだ。


全く善ばかりな人は闇を持ち合わせていない事になる。


因縁は、「愛している。でも憎い」


     「可愛がってやったのに

      こんな目にあうなんて」


陰陽の闇と光、双方持ち合わせている者が何と多い事か。


憎むならば、はっきり憎み、怨むとはいかないのだ。そこには一欠片の愛が混ざり、「愛憎」となるのだ。


これは、神々からの課題を取り組むにあたり、失敗したも同じである。


神々は、「自我」を大切にされるが、

「我」は忌み嫌う。


それは、自分をも愛さない唯の「我」であるからだ。


因縁は、誰かのせいにして、自分を正当化し、自ら闇側に落ちてくる。


己の中にある闇であり、毒な「我」に全く気が付く事なく。


因縁に落ちる事は、誰のせいでもない、己の内側を見ようとはしなかった、己の責任なのだ。


自分をもっと輝かせる為の必要な物は「我」ではない。


光へ己を導く「自我」である。


因縁達の更に後ろ、奥には闇側の勢力者がおり、彼らは、てぐすを引いて待っているのである。


善なる光の人々が一瞬にして、闇に変わるのを。


彼らは、熟知しているのである。


如何にしたら、光は闇に変わるのか。


闇から光を遠ざける方法を。


人々は、その罠に引っかからないように、神々からの課題に取り組む必要があるである。

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