最終話『まぼろし藤四郎』
春である。
柳生宗矩は城勤めの後、江戸屋敷に届けられた刀の手入れを行っていた。自室のひとつで、南に面した温かく明るい部屋である。
その太刀は――研ぎ減りし、大刀、打ち刀の姿になりかけている兼定であり、宗矩の息子が元服する際に受け継がせるものであった。
冬の神社で、この太刀と兄の死体とやらに出会ったときを思い出す。よぉも、あのような落涙を見せられたものだと我ながら自分の演者っぷりに笑いが漏れる。
(豊臣が滅びても、外様には目を光らさねばならん。――)
自分の後継者となれるかどうかは、考えてはいない。
息子の七郎は、ものすごくやんちゃながきんちょであったからだ。
(まったく、若かりし頃の誰ぞの生まれ変わりかと思うくらいだ)
刀刃に目を落としながら、日の光で鑑賞しつつ、宗矩は息子のことを思いフと笑う。
彼の息子である柳生七郎は、祖父である柳生石舟斎の死後に生まれたため、おじいさまの生まれ変わりであると周りに言われている。その実、あきらかに剣の腕が立つ。立つ上に、強い。強靱であり、命に満ち満ちている。似ているといえば、祖父ではなく、伯父の方であろう。
「もっとも、死んではおらぬようだが。――」
宗矩は兼定の鋒を、じっと観る。
先代遣い手に渡ってからこっち、研ぎ減りの激しさたるや。自分の息子の代で、この兼定も使い潰されるやもしれない。
高く付くか。
ため息である。
「殿」
そう縁側から声を掛けられ、ひとりの
大名となった柳生宗矩は、家格に則した使用人を雇わねばならない。この中間は服部家から武家奉公見習いで雇っている若党で、忍者のひとりである。
「腰の物が届きましてございます」
「おお、来たか」
桐の箱を受け取り、中間を控えさせたまま中を検める。
手に取った重さから、息子七郎へ贈る脇差しであると、つい思ったが――。
「
「は。――」
「持ってきたのは、研ぎ師の与蔵か」
「へぃ」
江戸弁のなまりで控える中間。
手にした刀袋は新しくもない、地味な葵染の着物で縫ったものだ。大名である宗矩が注文した兼定であれば、磐梯兼定のもの、格であるはず。これは異質であった。
身に覚えのある重心である。
剣者の勘が、紐解かせる。
「ほほう」
宗矩は唸る。
「城勤め、黒蝋仕上げ。――刀刃は」
鯉口を切り、抜く。
刃長一尺半、小振りながら豪胆な造り。
私の愛する兼定はこうであろう、という愛が、今となっては面映ゆい。
「見事ですな」
小半蔵が嘆息する。
陽の明かりで、その刀刃の地鉄を見たのであろう。
宗矩は丹念に油を拭い、刃紋をまじまじと鑑賞する。
「初代兼定よ」
「名物ですな」
「観てみよ」
中間は縁側に上がり、脇差しを受け取ると礼に適った鑑賞をする。
そのさまを観ながら宗矩は、姿、刃紋、総てが思い出のままであるのを実感した。どこぞで息子七郎の元服を聞きつけたのか、だれぞが送り付けてきたのだろう。
(らしいといえば、らしい)
「さすがですな、素晴らしい」
小半蔵が脇差しを返し、そう感想を述べるにとどめると、宗矩は生真面目な顔で笑うと、二度三度と頷いてみせる。
「初代兼定の――偽物。むかし私が打ったものだ」
「殿が。――」
「お主の目にも兼定と映ったか。はは、これは刀匠の道もあったやも知れぬな。のう、小半蔵」
「おからかいにならないでください。しかし、見事」
これに笑って応えながら、宗矩はナカゴを含め油を塗りなおさんと目釘を外し――。
「う。――」
数呼吸、愕然とした。
隙だらけである。
剣者、目付の柳生宗矩が、小者を前にこれだけの隙を見せたのはまこと不覚としか申しようがない。
「初代兼定の――偽物」
思わず呟く。
(――そのまた偽物)
続く呻きはなんとか飲み込んだ。
ナカゴに刻まれた『藤』の一文字銘。
偽物の真物は、いまだだれぞの手に遺っておるのか。
遺しておいてくれたのか。
宗矩は目を丸くしている小半蔵に苦笑する。
小半蔵は庭に飛び降り平伏し、宗矩の言葉を待った。
「筆の用意を頼む。この太刀と脇差しを柳生の庄へ届けねばならん」
「ははっ。――」
姿を消す小半蔵。
宗矩はじっと、脇差しのナカゴに目を落とす。
「総ての謎を明らかにするも、闇にするも、この宗矩に任せると」
ため息をつく。
まったく、七郎もあんな男になるのであろうか。
「柳生七郎、か。せめて柳生の意地だけは忘れんで欲しいものよ。仁義と、勇の、三の厳。フム」
元服を以て、柳生七郎は柳生
通称は「七と三を足し、十兵衛とせよ」とのことで、そう決まったという。
宗矩は脇差しのナカゴを、拵えに戻す。
鋒を鞘にくぐらせ、鯉口にきっちりとハバキを噛ませ入れる。
固く袋を締め、桐の箱へ。
総て自分の腹に飲み込んだのだ。
かくして藤四郎はまぼろしと成り果てたのである。
『まぼろし藤四郎』了
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