第11話『魅入られし者ら』

 金一〇枚、という価値がある。正宗の刀の、当時の相場である。これに来歴や由緒、刀身の出来映えによってさらに価格は上下する。金は銀の相場に迫る勢いであったが、一振りおよそ数千万に値するものも少なくはなかった。

 世が定めた価値を鑑みるなら、銀三千枚とともに献上された『一期一振』の価値たるやと思うと、大名たちが目の色を変えて名物ほしさに奔走するのが理解できようものであった。


 そして武士たちの、大名たちの心を掴んで離さなかったのは、やはり古の鉄の味であったであろう。十六世紀の戦国の世に於いても、古刀は数百年は昔の作品であり、失われし技術体系ロストテクノロジーの塊であった。


 まず製鉄の方法すら遺されてはいない。たたら製鉄がメジャーとなっている昨今、平安の刀工はもしかしたら坩堝による製鉄を行っていたとしても不思議でもなんともないのだ。

 爾来。

 近代現代に於いても古の鉄の再現、その深みを目指す者はあとを絶えず、刀身の出来や斬れ味の向こうにある地鉄の優美は再現されぬままである。いわんや、戦国十六世紀の世でをや。

 されど、いかでかは再現せしめんとの執念によりたかを育んだとんびがいる様子であった。


「真田信繁どのは生き残っておるか」


 無人の一室である。

 座して己が太刀を手入れする武士がひとり。眼差し切れ長の若い男であるが、居住まいは見るものに盤石を思わせる気迫に満ちている。

 軒先で報告する忍者も、障子越しに射竦められているように、額に脂汗を流し始める。


「刺客は二名ほど敢えて逃がしました。そこで面白い御仁が」

「面白いとは。申せ。――」

「柳生宗章どのでございます」

「兄上か」


 武士。柳生宗矩である。

 徳川家康の側仕えであり、今はこうして米沢近くに潜伏し越後の動向を探っている。配下は伊賀と甲賀の者たちだ。


「真田殿を助けようとしましたが、先んじられ申した」

「はは。兄上か。確かに面白い」


 あまり面白みが感じられない声音であるが、充分に可笑しく思っているのであろう。口元がやや柔らかくなる。


 柳生宗矩。通称、又右衛門、または新左衛門。

 柳生宗章の弟であり、刀剣に明るく学芸に秀でた秀才である。理詰めの剣術はその着眼点と相まって、文武ともに柳生家随一と目される気鋭であった。齢はまだ、十六ほどである。


 半分ほどの歳の少年に、手練れの忍びは完全に恐れをなしている。死を与える無体な暴君ではないが、この宗矩には、まず嘘は通じぬことを本能で感じているのだ。


「刺客は治部みつなりのものか」

「おおよそは。観て逃げたのは恐らく武士かと」

「小心者の治部らしいというより、確実を取ったと観るべきだな。で、此度の一件、小早川が絡んできてると」

「おおよそは」

「左様か」


 拵えに納め、太刀を傍らに。


(後継者争いに絡んでくるか。はてさて、殿にはなんと伝えるか)


 彼のいう殿とは、即ち徳川家康である。

 家康は先だって秀吉のご機嫌伺いのために短刀を分捕られそうになったのを恨みに思っている様子であり、その縁で知り合った本阿弥光徳との交流によって、刀剣の美に目覚めてしまったきらいがあった。


(大典太とはの)


 天下五剣の制作者のひとりである三池典太の無銘が出てきたときのことを思い出す。あの質素倹約が常套句の、華美を嫌い質実剛健を旨とする家康が、その箔――いや、箔ではあるまい。その魔性の美を光徳の手ほどきで己が眼で見てしまったのだ。


「殿には上杉の、この宗矩が観ると伝えよ。太閤らがは、本田どのらがなんとかするだろう」

「承知仕った」


 庇の音が変じる。忍者が姿を消したのだ。


「人を斬り、目減り磨り減る道具に、何故もかような美を凝らしたるか。ふふ、私もまた兼定に惚れてしもうておる故、大きいことはいえぬが」

「柳生どの」

「入れ」


 襖が開き、灯りを持ってきた侍が行灯に火を移しながら近くに座る。

 もうそんな時間かと宗矩は笑う。


「で、どうだ。山師の話は」

「それが。――」


 配下のものとの会話に切り替える。

 いまの宗矩は、山師――鉱物資源を見つける者たち――の話に乗って、地質を調査する一団の長となっている。無論、太閤の、家康の許可を持っての行動である。

 金銀鉄、銅、貴重な資源である。

 とりわけ北の鉄資源には興味が多く、豊家政権が検地を進めながらこの接収独占も考えているは明白であった。

 故に煙たがられるが文句も言われぬ。そんな都合のいい立場として宗矩は今動いている。


(しかし兄上か)


 もともと徳川には宗章が仕えるはずであったが、あまりにも呆れた男だったので、若輩であったが一族随一の切れ者である宗矩にお鉢が回ってきたという過去がある。

 無論、世に出る機会を窺っていた宗矩にとってはまたとない機会であったし、それを察している宗章が自分の武者修行への渇望を盾にごねた結果であることも知っている。


 真田信繁が柳生宗章に語ったように、すでに秀吉亡き後の権力争いは始まっている。最高権力者である秀吉の下には――。

 宗矩が仕えている、徳川家康。

 信繁が仕えている、上杉景勝。

 そして毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家と続く。

 聚楽第、その刀蔵の騒動が家康の耳に入っていないはずもない。

 家康は上杉を攻める大義名分が欲しかったのである。事実、後年行われた天下分け目の関ヶ原の戦い、その発端は家康の上杉征伐によるものである。


「いかがしました、柳生どの」

「ふふ。いやすまぬ。山師の言動に乗るのも、また面白きことよなと思ってな」

「はァ」


 山師は、ペテン師ともいわれる者たちである。口八丁で金を引き出し長期間の調査を請け負い、何も出なかったらトンズラなど日常茶飯事である。なぜか山師が本当に大物であった場合、己が兄の姿を思い描いてしまい、笑いが漏れてしまったのだ。


「よい。もう少し南へ下るか。……越後が遠く望めるな」

「これから寒ぅなりましょうなあ。では、それがしはこれにて」

「ご苦労」


 そうだな。と、宗矩は相手に頷きひとつ明らかになり始める月を見上げる。朧であった。

 月影は今、どのあたりに落ちているであろうか。

 あの兼定を振るっているのだろうか。


「銭が要る。名物が要る。古刀を作れし者がいれば、総てがうまくゆく。たかが鋼の薄板に、そこまで血眼になるとは……とは、私には何も言えぬ。美の他に、殿らには殿らの欲望がおありなのだろう」


 この欲望の交錯点、月影の落ちるところに、兄である宗章がいる。

 それがたまらなく不安でもあり、面白くもあった。


「誰かある」


 宗矩は下人を呼ぶ。書状を送らせるためであった。






 月影が落ちている。

 魚沼の南である。

 北上していた宗章は野営を組み、馬に草を喰わせながら木根のくぼみに身を潜り込ませる。石を枕に油紙を纏い、目をつむる。深編み笠は顔にかけている。寝るためだ。

 しかし、脳裏に去来する音がある。


「きえい」


 あの音。声。佐助の猿飛の術である。

 いかに縦横無尽予想もつかぬ軌道であれ、その軌道を担う鉤縄は佐助がその手で振りかぶり、投げ、引き掛けてから始まるのだ。剣者であれば見抜ける、予備動作である。動きが読めるそこに、棒手裏剣での阻害。

 一撃必勝のタネであったが、次はそうはいくまい。

 さて、どう斬るか。


 そんなことを考えていると、ふと空気に気配が混じる。

 刺客であろうか。

 宗章はそのまま笠の中ですっと目を閉じ、呼吸を緩くする。寝たふりである。仕掛けてくるなら起きるし、来ないなら寝るつもりであった。


(さてさて、どうくるか)


 脱力し相手の動きを待っていると、はたして相手はすたすたとこちらに歩いてくるではないか。


「もし、もし。――」

「うぬ」


 宗章は笠を取って体を起こした。闘争の気配はない。

 声の主は老爺だった。

 その腰には、真田紐で通した一文銭が六枚。

 手の者であった。


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