路地裏の集い

明日朝

路地裏の集い

 幼い頃から、暗闇が得意だった。

 切れ切れに明滅する電灯、季節よろしく群がる羽虫。遠くから聞こえるサイレンと思しき音。闇の広がる高架下。

 昼間はなんてことのない日常の景色だが、夜になるとまるで別世界だ、と私は思う。

 昼から夜にかけてのバイト。家を出る時はあんな高く昇っていた太陽だが、今や月にすり替わっている。


 暗く湿気った場所に恐怖を覚える人もいるらしいが、私はむしろ逆だった。

 闇色に染まった空間が、何故だかひどく落ち着く。

 明るく華やかな昼間よりも、暗がりの広がる夜中の方が過ごしやすい。夜、という響きが、無性に居心地良く感じるのだ。


 ――しかし、いつもは心地良く感じていたはずのそれは、今日はどこかが異なっていた。

 

 切れかけの電灯、羽音を響かせる虫の群れ、遠のいていくパトカーの音。何ら変わりない日常の風景の端々に、不穏な気配が雑じっていた。

 

 ――何かに、見られているかもしれない。

 

 そう思ったのは、人気のない路地裏に入った時だった。

 いつもは時短のための抜け道として、利用しているこの道。そんな路地裏に入った瞬間だ。何処からか、何者かの視線が向けられる。

 

 誰かがじっと、息をひそめてこちらを監視しているかのような――得体の知れない視線。それは人か動物か、それとも他の何かだろうか。

 私は路地裏に一歩、足を踏み入れた状態で逡巡する。

 幼い頃から霊的なものは全く信用していないし、そもそも暗闇に畏れを持っていない。

 だからか、私は深く考えることなく、いつもの抜け道を選んだ。選んでしまった。

 

 パチ、パチという明かりがはじける音。夜道には心もとない電灯の下を、私は早足で進んでいく。時折、ちらちらと周囲に目を走らせるが、人らしき人の姿はない。

 パトカーのサイレンも途切れてしまい、路地裏には私の足音以外何も聞こえなかった。


 さっさとこの道を抜けて帰ってしまおう。きっと疲れているんだ。


 音のない空間がいやに不気味に思えてきて、私は頭を振る。

 普段と変わらない夜のはずが、その日は異様な静けさで満ちていた。不穏、という言葉は多分こういう時に使うんだろう。

 私は歩調を速め、細い路地の裏を進む。

 

 ――と、そうやって路地を黙々と進んでいた時だった。不意にどこからか、しゃがれた鳴き声が響く。


「ああ、面白いねえ、人間だ」 


「ああ、我らの縄張りに、のこのこと現われた。命知らずだねえ」


 くすくす、と小馬鹿にするかのような笑い声。

 私はぎょっとして、声の主を探すよう、周囲を見渡した。

 だが、狭い路地裏には私以外に人の姿はない。


「せっかくの集いだってのに、とんだ邪魔が入ったよう、全く。興醒めもいいところだ」


「だったらいっそのこと、あの人間を嬲ってしまおうか」


「いいねえ、見せしめにやってしまうのも、また一興か」


 声は、一つや二つどころではなかった。何十という無数の笑い声が、私を包囲するよう、閑散とした路地裏に響き渡る。


「なに……なんなの」


 口からこぼれた声は、恐怖と困惑でみっともなく震えていた。

 ふふふ、ははは、ひひひ、無数の人らしき笑い声が、人の居ない空間を埋め尽くす。

 私はとうとう怖くなって、一目散に駆け出した。半ばパニックに陥りながら、早く路地を抜け出そうと走り続ける。

 

 背後から、がさがさと追いかけてくるような足音が聞こえてくるが、もうなりふり構ってなどいられなかった。

 振り返りもせず、路地裏をひたすら走り――やがて、開けた交差点に出る。


 乱れた息を整えていると、背後からニャア、という鳴き声が響いた。


「……猫?」


 肩で息をしながら、たった今出てきた路地を見る。そこには、金色の目を輝かせる一匹の子猫がいた。


 そして子猫の背後には、闇夜に浮かぶ数多もの金色の瞳が、さながら星空みたく瞬いていた。


 子猫が、おもむろに口を開く。


「次は、ないからね」


 およそ猫のものとは思えぬ、低く歪んだ声。

 唖然と口を開く私を無視して、子猫はゆらりと路地の闇に消えていった。



 ――その日以来、私は路地裏をできる限り避けるようになった。

 夜は特に、だ。


 あの金に輝く目が、また現われるかもしれないから。

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路地裏の集い 明日朝 @asaiki73

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