第2話

ぼくは発達障害という障害を抱えている。これはどういうことかというと、脳の特性ゆえに雑談ができなかったり空気が読めなかったりするという、コミュニケーションや社会生活に障害を抱えているというものだ。今では子どもの頃からそうした発達障害を見定めてその子に合った教育をして、就労支援を行って一生をサポートしていく体制が整いつつある。でも、ぼくが自分の発達障害がわかったのは33歳の頃のことだった。ぼくはその頃、酒に溺れて毎日死にたい死にたいと思いながら生きていた。子どもの頃からいじめられっ子で就職活動も就職氷河期にぶつかってぜんぜんうまくいかなくて、惨めな思いをしてその日暮らしに近い暮らしをしていたからだ。


40歳の頃、ぼくは町内で同じように発達障害を抱えた娘さんを持った方と出会う。仮にSさんとしよう(ぼくはその娘さんに恋をしたのだけれど、これは別の機会に書くかもしれない)。Sさんと交際するようになり、ぼくはその方に導かれて自炊を始めてみたり発達障害者なりのライフハックをいろいろ試してみたりするようになった。Sさんは元英語教師だったので、ぼくは試しに自分の英語を披露してみた。「わかりやすいきれいな英語ですね」と言われて、恥ずかしかったけれど嬉しく思った。その時、ぼくは昔のことを思い出した。ぼくはかつてGoogle+というソーシャルメディアに加入していて、その参加者のアイリーンという人とその後もやり取りをしていたのだった。彼女が「Your English is Good」と言ってくれたんだった。


ぼくはその時、自分の英語に対する自信が芽生えたのだと思う。英語で表現すればアイリーンや先述したSさん、それ以外に世界各国にいる人に届くかもしれない。ぼくは日本語で小説を書いたり書評を書いたりしていたのだけれど、その軸足をずらして英語で表現してみることにした。それは決して平坦な道のりではなかったけれど、アイリーンやSさんはぼくの英語を読んでくれてアドバイスをしてくれた。ぼくは書き続けた。みんな知っていると思うけれど、語学の勉強は地道に英語を使い続け、覚え続けることからしか始まらない。そうして続けていると思いもよらない飛躍を遂げることもある。ぼくだって最初は日本語で考えて英語で喋っていたけれど、次第に英語で考えられるようになった。


このことからぼくが言えるのは、英語を学ぶモチベーションをどこに置くかということだと思う。真面目に将来のキャリアアップを具体的に設定して、そこから逆算して今の自分に何が足りないのか考えるという勉強法がありうる。それはそれでひとつの手だと思う。でもぼくのようにそんな大層なことを考えず、ただ目の前にいる人が喜んでくれるからという動機で続けることだってできるだろう。なるほど、下世話な動機かもしれない。でも言葉を学ぶとはそうした具体的な伝達を喜ぶこと、楽しむことではないだろうか(村上春樹が喝破したように)。今でもアイリーンやSさんと交際は続けている。ぼくのこうした進歩を喜んでくれている。それがとても嬉しい。

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