第55話 帰還

「秋学期は今回のこともあったしもっと精力的に活動しても良さそうだネ」


 松山さんは転送ゲートで俺たちを見送る際、背筋が凍るようなことを言う。


「座学、やりたくないっすか?」

「ふム。黒辻さんはどうかナ」

「どこにでも行きますよ」

「じゃあそういうことデ」

「……もう予定くんでるんでしょ、どうせ」


 正解、と彼女は朗らかだ。戦中にあっても、この人はきっとこうだったのだろう。


「気をつけて帰ってネ。それと紋章の力は多用しないようニ。目立つといけないかラ」


 それがバレると悪用を考える連中が近寄ってくるそうだ。またねと松山さんはガーデンに引き返した。あちらで用事があるらしく、俺たちは物事の解決に浮き足立つこともなく、校門まで無言で歩いた。


「なあ。家に帰ったら、あとは寝るだけだよな」


 時刻は午後六時を回っている。眠くはないが、横になればすぐに寝付けるだろう、体の芯にこれでもかと疲労が詰め込まれている。


「そうだね。そうだろうとも。それくらいのことをしてきたさ」

「だよなあ。実感はあるけど、なんか変な気分だ」


 眷属になり、龍と拳を交え、関節技を極め、死ぬほど血を流した。それらの半分以上は、隣で気怠げにしている友人のおかげだ。並んで歩いていると、肩の位置が違うそれだけで、どれほどの労力を強いてしまったのかと胸が痛む。


「黒辻、腹へらないか」

「きみの食い気には驚嘆するね。とはいえ、否定するとそれは嘘になる。道中は保存食ばかりだったし。あんなにパサパサしているのに栄養はそれなりというのが信じられないね」


 饒舌なのには理由があるはずだが、この際理由はどうでもいい。彼女から受けた恩を、こんなかたちでしか返せないのは心苦しいが、しないよりはずっといい。


「奢るぜ。好きなもん食いに行こう」

「え? どういう風の吹き回しだ」


 お前のおかげで助かったよ。と、ガーデンで龍と対峙していた時ならば言えただろう。

 しかしどうしてか、この帰り道では言える気がしなかった。

 余計なことばかり言って龍たちをかき乱したこの俺が、一言もその理由を述べることができないのだ。

 魔女だと恐れられた彼女の、野良猫を目で追うツレの前では、無言を貫くことしかできないのだ。


「なんで奢るだなんてことを言うんだい。咄嗟の思いつき? それとも、何かあるのかい?」

「あ、いや」

「もしや——手料理が嫌になったとか」

「違う! おかしな方にとらえるなよ、そんなことはないんだ本当だ。もしそうだったら、ほら、俺は嘘が顔に出るだろ? お前ならすぐに見抜けるはずだ」

「そうだね。真実舌に合う、というくらいにがっついているもの」


 今のはからかっただけさ、と彼女は自分のマンションの方に続く分かれ道で立ち止まった。


「じゃあな銀城。何日かしっかり休みなさい」

「あ、うん」


 気の抜けた返事に、彼女は訝しげな顔をして背を向けた。その背中に夕日が当たっている。ガーデン製のパーカーが怪しく反射し、俺の目には紫色か鈍い緑色に見えた。


 大袈裟だが、このまま別れてはまずい気がした。今生の別れでもないし電波の届く現代だ、じゃあなと大声で呼びかければそれでいいし、次に会ったときにでもさりげなく礼をすればいい。その程度のことなのだが。


「ふぇ?」


 体の芯に残った疲労が一時的に姿を消し、代わりに胸を強く打つ。気がつけば俺は彼女の腕をとっていた。


「な、なに?」

「疲れてるとこ悪いが、まあ付き合えよ」


 自分でもバカなことをしたと思う。寝たいから帰るよと黒辻が言うのを待ち望みながらも、どこで飯を食おうか脳内でこの周辺の飯屋を総当たりしている俺がいる。


「……付き合うって、何に」

「……近いのは四丁目の定食屋。その斜向かいの居酒屋。商店街の通りには和洋中が一通りある。駅前でもいい。電車使ってもいい」


 あ、流石に定休日はわかんねえな。どうしよ、ガーデンに戻るのもなんだし、しくじったかな。そもそもどういうシチュエーションだこれは。俺は腹がへっていて、こいつに感謝を伝えたいだけで、腕をとってまでするようなことじゃないんだ。


「私は映画が見たいな」

「ある! シネマ不思議町があるぞ。駅前ビルの八階だ」

「カラオケとか」

「無論! 近くに三軒、選び放題だ」

「魚が食べたい時は」

「むろやがあるぞ!」


 この「むろや」はアジフライの店だが刺身も出している。夜だと学生には少し高いが、ランチはワンコインのすごい店だ。


(あれ? もしかして断り文句だったのかな?)


 ならば大変なミスを犯している。強引過ぎた、これでは嫌がる女子にしつこくナンパをしているようなものではないか。


「あ、ごめん。バカな気分になってたな。俺も帰るか。そんじゃ」


 腕を離すと、ぐっと引かれた。絡まる彼女の制服は、どこかでひっかけたのだろう、少し破れていた。


「急に冷めないでくれよ。希望を出したのだから、せっかくだ、全部やってやるつもりでいるよ」


 まずは腹ごしらえだと勇み足。まだ理解のできない俺に、彼女は呟く。


「大胆な誘い方ができるとは思わなかった。事有れば銀城に偽りなしだな」


 茶化すその頬を夕日が染める。声にはいつもと違う軽さがあるが、何もかも盛夏があやふやにしていた。


「大胆って……いつもと同じだよ」

「そうかな? かなりしつこかったよ。そんなに私と、どこかに出掛けたがるなんて。しかもお風呂にも入ってないんだぞ」

「あ、じゃああとで集合にしようか。いやそれなら明日にでもするか」

「だから冷めないでくれってば。魔法で匂いは消してあるし、除菌もバッチリだ」

「それ俺にもやってくれないか」

「もうしてあるよ。なんなら毎朝やってた」

「……ん、ありがとう。風呂入れって言ってくれてもいいんだぞ?」

「龍と同じ匂いがしていたから関係ないかと。かく言う私もそうだったけど」


 それからは説明のしようもない。龍との喧嘩と同じくらい、どういう説明もしようがない。

 飯を食って、遊んで、いつもの俺と黒辻だ。彼女を家まで送り届け、寄っていけというから家に上がって、ガーデン帰りだがこれが日常なんだ。


 不老不死にならなくてはならない。そして彼女の夢であるこの世界とガーデンの融合も手伝いたい。みんなの思うような大学生活ではないけど、俺は気に入っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガーデン 〜大学生活は異世界で〜 しえり @hyaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ