第48話 始めたからには

 いかに俺が龍を超えるだけの力を持っていたとしても、それを扱えるだけの思考力や、耐えうるだけの肉体を持っていなければ、それは意味を持たなくなる。


 所詮は付け焼き刃の、半年ほどしか習っていない護身術、それも週に一回の講義でやるような自衛の術だ。戦場で暮らし自分の力を弁えている龍を前にしては、通用しないといっていい。今度こそ、そうである。


 ルーとの試合開始から十分。腕をへし折ってから三分後、俺は膝をつき天を見上げている。


「もう終わりか」


 会話すらままならない。息をするのがやっとで、四肢に力は入らず、出血から少し気も遠い。指だけがかすかに動く程度の、ほとんど死に体である。防戦一方で、ついに力尽きてしまった。


「銀城」


 黒辻の声も不明瞭で、樹海の枝葉の隙間にある青空だけが五感を刺激してうるさいほどである。


「ま、なかなかだったな。まさか腕をやられるとは思わなかったが」


 このまま終わればどれだけ楽だろう。戦う覚悟もあったし、肉体はいつもよりも活発だった。授業での教えは発揮できた。それでいいじゃないか。

 出がらし同然の俺を、ルーは蹴飛ばそうとしている。胸板を足で押すようにして仰向けにひっくり返そうとしているのだろう。その足が、地面から離れた。


(敗けて元々だろう。しかし)


 ここにいる以上、責務がある。どうせお祭りのようなこの騒ぎだが、俺がつくった敗者たちは、この背が地面につくことをそう簡単に許すだろうか。


 胸に足が触れる。そっとドアを開けるように、子猫を抱くように、その程度の力でも倒れてしまうだろう。それがわかっているからこそ、この足は柔らかく俺を押している。


「銀——!」

(あいつ、まだ吠えてやがるな)


 黒辻の悲痛な表情が脳裏に浮かぶ。

 ルーの退屈そうなが目に飛び込んでくる。


(もうちょっとだけ頑張ってみるか)


 そんな顔をさせてはいけない。

 退屈だったなんて感想を抱かせてはいけない。


 俺にだって意地がある。ここまできたんだから、もう一つ、いや二つくらいは芸を見せなくちゃ。


固定ロック

「お?」


 ルーの足首と俺の胸を魔法の紐で固定する。自分の腕を両指で操り人形のように操作して、またしても体を捻った。今度は自分から倒れ込むようにして彼女の足を巻き込むと、驚きの感嘆とともにルーはそのまま倒れた。


「……次は足か。器用なやつだな」


 操り人形は比喩ではなくなった。両足も操作し、力のないまま立ち上がる。


「器用なんて言葉で片付けないでくれ。こっちは全身全霊命懸け、しかも擦り切れる寸前だ。俺が始めた、俺が仲介した、この大会だ。最後は誰かに押し付けるなんて無責任だろ。力はないけど当たって砕けろだ。誓うぜルー、優勝するよ」


 もう何度かこれを繰り返せば、マレイルとぶつかる。勝算なんてあるはずないけど、これが覚悟だ。


「お前が優勝?」


 彼女はよろけることなく立ち上がる。重心こそ無事な足の方にかけているが、平然としていてその痛みを顔色から察することはできない。


「おう。これでも六鱗の紋章を持つ眷属だ。まあ……狙ってもいいかなって」

「弱気になるなよ」


 空の一族だろうが。と彼女は龍語を用いて降参の宣言をした。

 沸く会場、ド派手な咆哮、アナウンスも絶叫している。何が起きたのかわかっていないのは黒辻と、そして俺である。


「な、なんで」

「いや、普通に考えたら足が折れたら戦闘は難しいだろ」


 それはそうだが、その不利を覆せそうなのも彼女である。まだ眼光は鋭く、一本でも腕があれば、残っていなくても牙がある。そういう戦意が漲っている。


「人間もやるもんだな。今度は、戦場で会いたいよ」


 龍としてな。と龍語で凄んだ。アナウンスが彼女の敗北を告げると即座に自ら魔法によって骨折を治療し、誰の肩も借りずに退場した。背中で俺に手を振ったのは、決着は戦場でという願いを現実のものにしたいからかもしれない。


「や、なんか勝っちゃったよ」


 セコンドに声をかけると、無言で俺の腹に手を当てた。


「……治療が雑だよ。まだ塞がっていない」


 真っ赤に染まった制服とは対照的に、彼女の顔色は悪い。


「こんな無茶はしなくていいよ。危なくなったら降参すると約束してくれ」

「セコンドが優秀だからだってば。それに、あと三回くらいやればマレイルだ」

「紋章の長だぞ。擬人の法を使うとはいえ、あまりにも」

「無茶だよなあ」

「何を笑っているんだ」


 腹に触れる心地の良い治癒魔法、冷たい掌、ムッとするその声のせいである。が、まあ言わなくてもいいことだ。


「笑ってないよ。大丈夫、覚悟はできてる。死ぬ方じゃなくて、勝つ方のな」

「なんでもいいけど、もっと自愛の精神を持ちなさい」

「そうする。あ、その血、よく洗えよ」

「ん? うん、わかってるわかってる」


 全然わかってなさそうなおざなりな返事である。俺の覚悟の原因を知れば、もう少し真面目に話を聞くだろうか。

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