第35話 甘える

 実家に帰省している最中、黒辻からメールがあった。


「龍が出た」


 それはうだるような暑さの八月中旬、ガーデンで龍同士の戦争が始まった。


 その報に落ち着かなくなってとりあえず黒辻に電話をすると、


「私としては今すぐ向かうよ。きみは明日にしなさい。一ちゃんやご両親に挨拶をしてからの方がいい」


 と、二週間ほどの帰省に別れを告げなければならなくなった。


 夕飯の時に、俺はゼミの先生や同期が大変そうだから手伝いに行くと、これ以上ないほどに曖昧な理由をつけて学校に戻る意思を伝えた。


「何それ。何がどうなっているのか、きちんと理由を詳しく話しなさい」


 母は俺をかえって黙らせるような詰め方をする。正論が武器になるというのを、俺は幼い頃から知っている。


「九郎、もう帰っちゃうの?」

「それが終われば戻ってくるよ」


 宥めても、妹の顔は晴れない。しかし父はいつもと変わらず、平然としている。


「まあ、いいじゃないか。大事なことなんだろ?」


 俺にそっと視線を合わせる。その瞳は俺を案じていないはずもなく、母と同じように説明を求めている。

 だが、その言葉を彼がどういう気持ちで紡いだのかを察しなければならない。自分の気持ちを殺し、俺に好きなことをさせてやりたいと言う親心だ、甘えろ、甘える自分を許してやれ。甘えさせてくれる彼に感謝しろ。自分勝手に、すべてはすべてが終わったあとに伝えよう。


「うん。なんか大変そうでさ」

「要領良くやれよ。手伝いに行くんだから、よく考えてやるんだぞ」


 父が場を収めることは少ないが、その分効果は覿面だった。母も仕方なしとため息をついたが、妹はまだぐずっている。


「えー、私も九郎の家に遊びに行きたいんだけど」

「そのうちな」

「どんな部屋?」

「秘密」

「ねえお父さん! 九郎が大学生なのに意地悪するんですけど!」

「そのうちドライブがてら行ってみるか?」

「いぇーい、九郎の負けー」

「はあ? 腕相撲するか?」


 食後、本当にやって、負けた。それで気が晴れたのか、出発する時もたいして文句も言わなかった。


 黒辻とはガーデンの酒場で落ち合うことになっている。一度アパートで荷物を下ろし、大学に向かうと、正門で守衛さんに呼び止められた。


「夏休みなのにどうしたんですか」

「あ、様子を見に」


 これだけで伝わってしまった。やめた方がいいと諭されたが、行かなくてはならない。龍がいて、黒辻がいる。戦争のことはもう頭から抜けていた。

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