第31話 発見
「あれが龍か」
その距離百メートル。茂みに身を伏せながら、小声での会話なのに、やけに黒辻の声が近い。
泉の水をのみ、周囲を警戒するでもなく、その身を横にし完全に無防備だった。
ほとりには小動物が何匹かいて、ときに龍の足に体を擦り付けたりと、龍という畏怖される想像の姿とは一線を画している。
「六鱗の紋章、やっぱりバルクーゼルの眷属だ。牙が口から飛び出していないし、角は額の側面から後ろに流れるように曲がってる。鱗は空色で、翼は背中のほぼ中心、体長はおよそ六メートル。まだ若いな」
図書館で叩き込んだ龍の知識が、その口から吹き出される火炎のように流れ出る。案の定、緊張感のない連中ばかりだから突っ込まれた。
「詳しいな。さすがは人外を目指しているだけのことはある」
「きみは興味があると一直線だな。拍手をあとでしてあげる」
「すごい視力。よく見えるね」
「図鑑の丸暗記って役に立つんですね」
「そのくらいしてもらわないと連れてきた甲斐がないもノ」
びゅうと音がする。開けた水源が小さな湖を形成するその中心地、波紋が大きく広がった。
「みんな、離れるよ」
松山さんはすぐに引き返し、サナと黒辻の腕を引いた。この場所から素早く移動するのに適していない二人を直接引率し、俺たちには振り向かないでと指示を出す。
空を仰いだ。鋭敏になった感覚が、そこに気配を認めた。
「——松山さん、もう一匹きた。四鋭の紋章、マレイルの眷属だ」
爆音と閃光が五感を強烈に叩いた。それが空から落ちた火炎球であるとは、木々を粉砕し泉を枯らしてから気がついた。焼け焦げた匂いが鼻をつき、二匹は空で交錯し、ぱたぱたと何か降ってくる。
「これ、血だ」
「龍の喧嘩ダ。小競り合いだけど離れなきゃ危険。なので逃げまス」
「うは! すげえ状況だなあ! 銀城、お前の言葉で止められるんじゃないか?」
「冗談言ってる場合じゃないですよぅ! あぶ、わ、危な!」
火球の破片がそこかしこにばらまかれている。散弾のようなそれは、あまりにも無差別で、前方の道にも当然降り注ぎ、俺たちは幾度か進路を変えなければならなかった。
「……冗談じゃないかもですネ。一声かけて収まるな御の字。やってみてもいいかモ」
「俺が? いや、こんなの無理だって!」
やれ。できない。そんな押し問答を全力疾走しながらも行えたのは、危機迫る中での火事場の馬鹿力があったからだろう。通ってきたルートはめちゃくちゃになり、森はとことん人間嫌いのようで、どれだけ走っても先ほどから同じような道ばかりである。
空には円を描くように衝突する龍。地上では迷える小さな小さな人間。その一人のちっぽけな付け焼き刃に頼るのも無理はないのかもしれない。
「銀城、足がもつれそうだ」
泣き言をいう黒辻も珍しい。ガーデンが休刊になると判明したあの時くらいの弱々しさが、俺を奮い立たせた。
「……じゃあ、ちょっとだけやってみますよ」
「勿体ぶらないでくださぁい! げんか、限界ですのでぇ!」
こんなに早く会話のチャンスがやってくるものか。緊急事態だけど、どこか浮かれている自分がいる。極限の精神状態が、逆にポジティブをもたらしてくれた。
大きく息を吸い込み、日本語と同じような練度にまでなってしまった龍語を吐き出す。
『そこまでにしとけ』
「やっぱりゴロゴロ言ってますよねぇ」
「いやグオーじゃなかっタ?」
ほら、こうだもん。なんだかんだ切羽詰るってことがないんだからこいつらは。
俺の声に反応してか、マレイル側の赤っぽい鱗の龍は身を翻し、その場を後にした。残った方は、静かに森へと着地した。地響きからして、そう遠くないことがわかる。
「うわ、なんとかなっちゃったぞ。銀城、なんて言ったんだ」
いつの間にか黒辻はカヤマに背負われていた。よほど疲れたらしく、しかし声だけはまだまだ元気である。
「そこまでにしとけって。それだけだよ」
「どちらも相手の援軍だと思ったのカ、それとも横槍を嫌ったのカ。まあ全員無事なら……無事だよネ?」
「はーい」
心身ともに元気なのはカヤマだけである。他はあの巨大な生物たちに動揺し、普段の精神状態ではいられないはずだ。俺も、奇妙に興奮している。
『何者だ』
みんなには雄叫びか唸り声に聞こえただろうが、俺には現代龍語として耳に届いた。
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