第28話 いざドラゴンへ 2

「これがドラゴンかあ……」


 動物園に遊びにきた子どもが初めて象を見たような、そんな感嘆が黒辻が漏れ出した。


「二メートルくらいの飛べないタイプだな。トカゲのでかいやつだ」

『ふざけんなよ。元に戻せ』


 俺の身体は、サナがいうようなでかいトカゲになった。奇妙な薬のせいで俺の姿形はまるっきり変わってしまったのだ。


「なんか喋ってるっぽいけど、これが龍語なの?」

『カヤマ、呑気な感想はやめて先生を呼びに行ってくれ』


 手足は鱗に覆われ、太い爪が伸びている。先端の鋭さは、図書館の床に引っ掻き傷を作り、なんとなくでも動かすことができた尻尾に椅子が当たり、その足をへし折った。



『あ、これ無闇に動くとまずいな』

「ゴロゴロ言ってて猫みたいだな。銀城、猫じゃらしでもとってこようか」

「人間ができる発音じゃなさそうですねぇ」


 酷い状況だ。しかしそれは俺だけなようで、こいつらは観察を始めやがった。


「鱗って剥いだら痛いのかな」

『やめろよ。絶対痛いだろ』

「肌も肉も硬いし、なんか翼のなごりみたいな突起があるね」

『あ、そこに力いれるとちょっと動くぞ』

「顎の強さってどれくらいですかぁ?」


 試しに机をかじった。それをするに抵抗はなく、机の方も粉々に砕けた。


『……自分でやっといてなんだけど、どうすんのこれ』

「ずっと何かは言っているようだが、全くわからないな。人間の言葉は話せないのか?」

『喋ってるつもりだよ』


 意思の疎通は一方的にはなるができている。カヤマが吠えてみてというので、軽く「がおー」とふざけると、たちまち図書館の窓ガラスが砕け散り、本棚は倒れ、黒辻たちはみんな腰を抜かした。


『なんでお前らがビビってんだよ』

「やばい。これはやばいな。マジでドラゴンだぞ。このサイズのドラゴンが暴れたら……私らは全員死ぬだろうな」

「薬はサナの提供ですよね?」

「お前も協力しただろう!」

「責任のなすりつけあいをしている場合じゃないよ!?」

「ぎ、銀城? 大丈夫だよな、お前はドラゴンになっても銀城だよな?」


 当たり前のことを言いやがる。首を縦に振ると、彼女はおそるおそる鼻先に触れた。鏡を使わず自分の鼻の全景を見れるなんて、その先にいるビビった黒辻も含めて、得をした気分だ。


「サナ、これはいつ戻るんだ?」

「一時間くらい。だと思う。多分」

「害はないんだよね? 銀城くんは暴れたりしないもんね?」

「このサイズでそんなことされたら死にますねぇ」

「どうだ。暴れないと約束できるか」


 頷くと彼女たちは明らかに安堵した。ちょっと傷つくぜその反応は。

 そしてそうとわかると、てきぱきと壊れた机と椅子を片付け、魔法によって窓を修復した。倒れた本棚も同様に、元の図書館に戻し終えると、あろうことかドラゴンの背中に腰を下ろした。


「硬いなあ。龍に騎乗するときは鞍がいるぞ」

「茶褐色の鱗は種類が多いから見分けが大変だよね」

「銀城さんはちゃんと……これって学習といえるんですかねぇ。本人とは無関係に龍語を話しちゃってるんですけどぉ」

『雰囲気は掴めているからいけると思う』

「まあ大丈夫だろう。龍化する方法の一つに心身を完全に変化させるというのがあって、それはなんの知識も力もないまま変身してそのまま空で同族を狩れるらしいから」

「外法じゃないのかそれは」

「うん。まあそれの劣化版だから平気だ」

『外法なのかよ……』


 龍になってわかったが、気が長くなったというが、感情の変化に乏しくなった気がする。良いことも悪いことも受け入れらるような、それでいて何かを強く欲するような、これが龍の心理なのだろうか。

 何を求めているのか。胸の奥でそれを探ると、すぐに見つかった。


『ああ、やっぱりイメージ通りだ』


 背に四人の友人を乗せ、軽く尻尾が揺れる。悪い気分ではないのに、渇望しているものがある。


 闘争だ。洞窟で黒辻と俺を待ち伏せしていた傭兵との対峙、自然と真っ向からぶつかった狩り、それらをまた望んでいる。


「翻訳者が龍になったから、我々も誰か一人くらいは学んでおかないとまずくないか?」

「みんなで少しずつ分ければいけるかもよ? 四分の一ずつくらいで、僕は現代龍語、黒辻さんは古代とか」

「文字の文化がないから仮置きされた記号ばかりで意味がわからなくなるな。それに発音とイントネーションも、なんだこれは、ゴ……グァ……ゴァ……」


 黒辻のそれにちょっと笑ってしまった。なんだか赤ん坊が初めて言葉を口にしたような可愛らしさがあった。

 笑うと体が揺れ、彼女たちの腰が浮き、鱗の硬さに悲鳴をあげた。


「痛! な、なんだ、動くなよ」

『笑っただけだよ』

「銀城さぁん、ちょっとクロスって言ってみてくださぁい」

『クロス』

「ゴアーですかぁ」

「僕にはグアーに聞こえたよ」


 感情の起伏に乏しくなったとはいえ、感性にはそれほど影響はない。彼女たちにはいつも笑顔にさせられる。


『カヤマ、クロス、サナ、黒辻。わかるかな、全然違うと思うけど』

「おい! わかるように喋れよ!」

「落ち着けサナ。こうなったのはお前の薬のせいなんだから」

「毒とか薬に耐性があるかと思いましたけどぉ、結構がっつり変身しましたもんねぇ」

「耐性の種類が違うような……」


 時間の感覚も間延びしていて、竜の姿になってほんの数分しかたっていないと思っていたが、現実には一時間が過ぎていた。唐突に体が収縮し、寝そべる俺とそこに乗しかかる黒辻たちという奇妙な構図になってしまった。


「重っ!」

「四人ですので仕方ありませんよぅ」

「普通に喋ってるな。龍の言葉はどうだ、いけるか?」


 椅子に移動した連中は足を組んで、まるで俺を見定めるようである。


 喉に触れると、それは人の皮膚で、内部にある構造も人間のものだ。ここからどう音を出すのか、


『わかんねえ。どうって言われても困るよ』


 わからないと思っていたが、わかってしまった。

 一度その姿になってみるのは案外いい勉強法かもしれず、龍の呼吸や筋肉の動かし方を完全に体得できる。さらには彼らの言語も自然と脳に染み込んでいた。


「マジかよ! なんだこいつは、本当は半分ドラゴンなんじゃないのか」

「ドン引きですぅ」

「体のどこか痛いとか、そういうのはないの?」

『平気だぞ』

「ゴロゴロいうな。銀城の姿なんだから、銀城の言葉で話しなさい」

「ああ、うん。お前らもやってみたらいいんじゃないか? わかると楽しいぞ」

「もう薬はない。薬品庫から拝借しただけだし」

「ずいぶん危ない橋を渡ったな。サナ、足がつくんじゃないか?」

「そんなヘマはしないよ。そうなったらお前の呪術を頼るからな」

「俺も吠えるよ。さっきみたいにな」


 がおーとまたやると、サナの体が勢いよく吹き飛んだ。雄叫びが凝縮され衝撃波となり、背中から激しく床に叩きつけられるように着地すると、半笑いになって目を回している。


「ま、まあ……薬を飲ませたことはこれでチャラにする」


 睡眠時間は極めて短くなり、生半可な運動量では疲れず、さらには龍の言葉を理解し、吠えれば人が吹き飛ぶ。

 俺は俺でなくなった。大学デビューといっても差し支えないだろう。


「ここまでくると、人外——」

「言うなカヤマ。私のツレだ、私たちの同期だ。面白がるくらいにしておこう」

「完全に人外ですぅ」

「あー痛え、加減を知れクソドラゴン」

『人外ってほどじゃないだろう』


 それをやめろ。声が重なって、途端におかしくなったのか、笑い出した。サナの無様に吹っ飛んだ醜態と、あけすけのないクロスと、そして黒辻曰く猫のような龍語がどうも面白くなって、俺たちは龍に変身するという不気味なものを見た直後の恐怖を拭い去るように、しばらくは笑っていた。

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