第27話 いざドラゴンに

「そろそろ遠征に行きたくないか」


 サナがそう持ちかけてきたのは、夏休みの予定を立て始めた七月の終わりのことだった。

 俺たちは何かにつけてガーデンに駆り出され、しかもそっちのキャンパスでの清掃というバイトもしているため、週に一度はガーデンで寝泊まりしている。


「遠征ってなんだよ」


 最近は麻雀が仲間内で流行っている。ただ不思議なのは、クロスがこのブームを持ち込んできたことだ。

 自分の手配と睨めっこしていると、後ろについてくれたカヤマが「左端」と捨てる牌を教えてくれた。


「生物調査だ。私らの中ではそれが必要な奴が多いだろ。だから、松山に頼んでゼミの日に遠出をしようと思ったんだ」

「理由じゃなくて、それポン、どこで何をするかを訊いているんだ」


 黒辻はボードゲームが得意で、すぐにルールを覚えた。ネット麻雀を少しやっていたらしい。


「酒場で聞いたんだが、近くに龍が出たらしい」

「まじかよ!」


 興奮が手を滑らせ、ちょこんと倒れた萬子の六に、


「銀城さぁん、それアタリですぅ」


 待ったをかける前にクロスが手を開けた。八千点である。


「あ! いやこれはしょうがない! ちょっと中断だ、それ詳しく教えてくれ」

「くっくっく、いいとも。発見したのは山師でな。山を低く飛んでいた小さな飛龍らしいが、羽に紋章があったんだとさ」


 龍にも色々あって、飛んでるやつとか泳ぐやつがいる。こいつらにはボスがいる場合があって、部下には紋章を与え、これが眷属の証というわけだ。


「その紋章、なんと六鱗ろくりんだ。空の覇者バルクーゼルの配下だ。それを見物にいこうというわけだ」


 菱形を六枚重ねたような紋章、それが六鱗である。飛行できる龍の中で最も速いのがバルクーゼルで、鱗が光に反射すると周囲の景観が汚い沼でも絶景に変わるとされるほどに美しい龍でもある。紋章には速度上昇の効果が付与されるため、見物しようにも、たとえ眷属だとしてもその飛んでいくさまを遠目に眺めるしかできないだろう。


「でも、六鱗の縄張りはもっと西のはずじゃないのか? 本にはそうあったと思うけど」

「こっからは完全な憶測だが、龍の連中で揉めてるんじゃないかと思ってな。少し南に行けば四鋭しえいの領域だから、偵察かもしれない」


 炎を吐く龍のボスが、四鋭の紋章を持つマレイルだ。鋭く長い針が交差したような紋章で、眷属は炎に耐性を得るという。


「龍同士の喧嘩って」

「伝説によれば、空が裂け地が割れ、大気は腐り生き物は彼らだけを残し生き絶える。これは誇張があるだろうけど、ひどいことになるだろうな」


 ゾッとするが、好奇心は抑えられない。龍を見るチャンスなんて滅多にないだろうし、松山さんに相談するのはタダだからな。


「俺、俺が頼んでくる! カヤマ、卓に入ってくれ」

「いってらっしゃい。……じゃあ、楽しく遊ぼうか」

「黒辻さんは行かなくていいんですかぁ?」

「メンツが足りなくなるだろう? それに、ここからが本番だ」

「イカサマはどうする」

「僕は構わないよ? ご自由に」


 誰もついてきてくれないのかよ。それに急に楽しそうに始めやがって。後ろ髪を引かれながらも松山さんを訪ねることにした。




「失礼します、松山さん!」


 彼女の研究室は俺たちがいつも講義をしている場所なので、ゲートをくぐればすぐ彼女がいる。


「どうしたノ? 急ぎの用事?」

「ドラゴン! なんか近くに来てるっぽいんで、次のゼミの時間で見学に行きましょう!」


 すると彼女は顔をしかめ、賛成できないヨと唇を尖らせた。


「バルクーゼルの眷属でショ? どうせもういなくなってるだろうシ、危ないもン」

「松山さんも一緒になら安全でしょ?」

「そこらのドラゴンなら平気だけド、紋章持ちは群れるからネ。みんなを守りきれる自信がないんダ。ごめんネ」

「見たいっす! 守ってください!」


 しつこいナと舌を出されても粘り続けると、条件付きで許可された。


「ドラゴンの言葉。龍語を覚えてきたら見学を許可しまス」

「やった! ありがとうございます!」

「ただし一週間デ。ルーン先生に会話のテストしてもらうかラ」


 そのルーン先生は言語学担当の龍人で、千二百歳という若さ(龍人基準)ながらもあらゆる魔法と言語を扱えると噂の人物だ。


「約束ですからね!」

「当然。麻雀を覚えるより難しいから覚悟なさイ」

「了解っす! あ、先生も今度やりましょうよ麻雀」

「素敵なお誘いありがト。でも勉強が先だと思うヨ」

「はい! 図書館行ってきます!」


 許可をもらえたことを報告しに戻ると、十五分くらいしか離れていないはずなのに、黒辻たちの精神はすり減り、目を血走らせて手牌と格闘していた。


「あ、おかえり銀城くん。どうだった?」


 ただ一人、カヤマだけが変わずにいる。


「条件付きでオッケーもらったよ」

「わあ! すごい——それロン」

「ぐぁあああぁああ!」

「サナ、飛びですねぇ」

「銀城、その条件ってなんだい」

「龍語を覚えろってさ。一週間で」


 頭を抱えていたサナが、その勢いのまま立ち上がった。


「無理に決まってんだろうが! そもそもドラゴンに限らず他の言語を短期間で習得するなんて無理がありすぎる! 一週間だと? 馬鹿馬鹿しい、遠征は中止だ糞ったれ!」

「やってみなきゃわかんないだろ。俺はやるぞ」

「ああやってみろ。手伝ってやる。お前たち図書館いくぞ」

「すごい。面倒見の良さが爆発してる」

「さすがは未来の王ですぅ」

「茶化すな馬鹿者ども。黒辻とカヤマは辞書と資料を用意しておいてくれ。私はちょっと用意するものがある」


 その際にクロスも連れて行った。残ったもので図書館で教科書を集め、それだけで一時間以上はかかった。一口に龍語といっても古代から現代、訛り、紋章の龍ごとに使われる固有名詞など、過去の研究者たちのもはや性癖といっていいほどに細分化された論文と翻訳が、一週間を待たずとも頭と心に諦めろと訴えかけてくる。


「無理だなこれは。四年間かけてやることじゃねえか」

「諦めるのが早いだろ。まあ、気持ちはわかるけど」


 銀城! と他の利用者がいないのをいいことに、サナたちが無闇に笑顔でやってきた。


「……図書館だぞ。静かにしろよ。」

「誰もいないだろ! それより、これ! これを飲め!」


 虹が描けるような何種類もの小瓶を机に並べた。半分はクロスが用意したという。


「ヤだ」

「これはな、龍の」

「聴きたくない!」

「生き血、それと左から喉、内臓、舌、牙、顎が龍になる薬で」

「俺で遊ぶな! これ飲んで言葉が喋れるようになったら苦労しない!」

「一回くらい龍になれよ。龍の気持ちになれ。会話ってのは気持ちの交換だよ」

「もっとなこと言われたって騙されないぞ。サナが毒味してくれ、平気だったら飲むから」

「毒味だとぉ? 黒辻の劇薬飲んでるお前に」

「ストップ! 私も飲んだほうがいいと思うなあ! これで遠征に行けるようになるなら飲んだ方が得だってば!」

「人体に影響はありませんしぃ」

「変化するんだろ!? 影響出すための薬だろ!?」

「痛みも中毒性もない。それに何かあれば教師たちが駆けつけてくれる。だから」


 サナが指を弾くと、見えない力が俺を椅子に拘束した。どれだけ力を込めてもびくともしない。


「俺にもっと魔力があればなあ! 何が怖いって、お前らがワクワクしてることなんだ! 同期が龍になってさあって、笑い話にしようとしているところが怖いんだ!」

「一ちゃんに土産話ができるね」

「誰ですかぁ?」

「銀城の妹さんだよ」

「会いに行こう、龍に乗ってなあ!」

「ふざけんな!」


 小瓶の栓が抜かれ、カヤマの飲み残したお茶のペットボトルで混ざる。


「致死量とかもないから、まじで平気だ。安心しろって」

「じゃあお前が飲めってばぁ! せめて一種類ずつにしてくれ――」


 あーんと口を開けてしまったのは、魔法のためである。喉から落ちるその違和感は、炭酸飲料のような刺激で、むかつくほどに爽やかだった。

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