第18話 唸り声の主

 道中、朝日は暖かく、踏む草木の生命の強さから足取りは軽い。

 そうなってもおかしくはなかったが、そうはなっていない。爽やかな気分も宿で店主と揉めたために台無しになっている。


「松山さんから話がいってないのか? 宿代だけで銅貨がなくなったぞ」


 一泊の支払いが四枚の銅貨だった。これが全財産であるため、黒辻は言葉が通じないからかひとしきり抗議した後、渋々それを払った。


「朝飯も食えちゃいない。なんだ、こんなことあるか」


 一度帰宅すればよさそうなものだが、これは授業だし、それになんか格好悪い。共通認識にそれがあるから、強行している。だから、どれほど爽やかな空気の中、自然ばかりの丘を目指していても、


「なんで自動販売機すらないんだよ」


 と黒辻からは無茶な愚痴が心を晴らすためだけに突いて出てくる。


「あったら便利だな」

「そうだろう。自転車でもいい、車でも……夏に免許を取ろうかなあ」


 愚痴をいうのに飽きたのか、それからはいつもの黒辻で、歩くことに一切の苦労を感じないまま目的地の丘へ到着した。特に感慨もなく、本当に子どもの足でも楽に来れてしまう場所だった。


「ぱぱっと採って帰ろう。この世界は、よそ者に厳しいからね」

「馴染んだ奴が言うセリフだな」

「だって……あのポケット辞書みたかい? ひどいものだよ」

「ああ。表紙から索引まで全部こっちの言葉だったもんな。読めるわけねえよ」


 松山さんのスパルタなのか天然なのかは考えれば考えるほどわからなくなる。どうだったとしても、俺たちは与えられたものをこなすことしかできない。それすら反故にするのは、完全にガーデンと彼女に敗北してしまうような気がしてできなかった。


 到着すると黒辻はすぐに葉っぱを何枚かちぎって持ってきた。


「銀城、どれだ。これか?」

「それだ。なんだよ、お前もわかってたのか」

「意外と勉強家だろ」

「意外じゃないよ」


 カゴを満たすと軽く説明を受けたが、小さなカゴとはいえ底まで三十センチはある。半分も埋めるとその場所からは薬草がなくなった。


「これって乱獲じゃないのか?」

「個人的な意見だけど、依頼を受けた以上、他のことは知らない」


 肯定も否定もしない仕事人はさっさと別な場所で草をむしり始めている。腰が痛いといって立ち上がり、また座ったり、寝そべりながらナマケモノのようにちぎったりもしていた。


「お腹がへったね。今は何時頃だろう」

「腕時計もしてくればよかったな」

「こっちに時間の概念はあるのかな」

「街中に時計はなかったけど、あるだろ。日本だってかなり昔からあっただろ。ウマの刻とか」

「そもそも日付はあるのか。一年の長さは」

「講義でやるだろ。それよりカゴ見せろ」

「ダメ」

「なんで」

「反射的に答えただけだよ。まだ半分くらいだから見せたくなかったんだろうね」

「あはは、他人事みたいに言うなよ」


 体感で三時間ほどだろうか、俺のカゴは植物の青臭い匂いで満ちたが、黒辻はまだ七割ほどで、


「草むしりが得意なのかい」

「普通だと思う。でも、得意ということにする」


 これだけ差がついたからなとカゴを揺すった。彼女に勝てるものはほとんどないので、ちょっと嬉しかった。


「じゃあ」

「手伝ってほしいか」

「いつになく高圧的だね」

「あ、そういうわけじゃなくてだな、早く帰りたいなら……そう、効率的だろ」


 彼女は喉で笑った。そして気晴らしに散歩に出たいと言う。


「厳密に言えば、花を摘みたい」

「いいよ。俺はどうしたらいいんだ」

「……理解はあるようだね。でも少しくらい恥じらいなよ」

「お前がな。とはいえ適当な藪もないし」


 俺だったらその辺でできるが、などと周囲を見回すと、一キロほど歩けば林がある。発見したのは同時で、


「じゃあ行ってくる。視力はいくつだい?」

「見えるわけないだろ。そこでされたって、誓えるよ、決してまぶたをあげない」

「……んー、それはそれとして。どうだろう、きみが一人でここに取り残されるわけだが、不安には思わないかい」

「心細いのは間違いない。町は近いけど、地図もないし、助けを呼べそうな何かすら知らないからな」

「ここではなく、あの林に置き去りにされたら、どうだろう」

「——なるほど。俺も用を足したいと思っていたんだ」

「話は早いが、妙な気は起こさないように」

「妹もな、ホラー映画のあとはそうだったから大丈夫だよ」

「一ちゃんには悪いけど、一緒にされては困るよ」


 カゴを背負ったまま林へと移動した。ややあって、俺たちはまた薬草摘みに戻ろうとしていたとき、林の奥から不気味な唸り声がきこえてきた。


「動物かな」

「あんな声、聞いたことないけどね。ちょっとみてみようか」

「戻ろうよ」

「まあまあ、ちょっと近づくだけさ」

「人間が勝てる動物は中型犬までらしいけど、あの声の太さはもっと大きいよ」


 危険は極力避けた方がいいというのはどこの世界でも同じだ。それを知らないはずはないのだが、すっきりして機嫌がいいのか、行こうと俺の腕を引く。


「見るだけ。見るだけだから」

「動物園じゃないんだぞ」

「大丈夫。大丈夫だから」

「怪しい勧誘みたいになってるじゃん——ああ、わかったってば引っ張るなよ」


 声はするものの、見かける動物は小型ばかりで、大きな足跡だったり糞だったり、大型生物のいる証拠がない。

 二人してむしろ探すようになるまで時間はかからず、日が傾き始めた頃、それはあった。


「これが……ああ、吠えてるな」


 黒辻はこれで間違いないねと真剣と冗談を混ぜ込んだ調子で肘をぶつけてきた。


 それは洞窟である。二メートルほどの石の口に蔦が絡まり、風が吹き込むと音がする。それが唸っているような低い旋律を俺たちにまで伝播させていたのだ。


「入ってみようか」

「俺は怖いから嫌だ」

「一泊二日だよ? どこかで眠る場所を探さないといけないんだ、あそこでいいだろう」

「ちなみにさ、俺が嫌だって言っても、お前はあそこで寝るつもりか」

「無論。しかし、どうやってきみを上手くあそこまで運べるかの挑戦でもある。そして自らの意思で私を連れ込むくらいの気概があるかを見定めるテストともいえる」

「積極的には……無理だなあ。怖いし」

「じゃあ私が先に行くよ」

「あ! 待て、だったら俺が行く」


 こいつめ、自分が無茶をするとツレが動くということを知ってやがる。俺もそれがわかっていながらその通りのことをしているから、余計におもしろくない。


「それでこそ銀城だ」

「もっと安全行動してくれよ」

「うん。そうする」


 そうやってヘラヘラして肯定したところで真実味がない。こんなことが何度もあるようじゃ命がいくつあっても足りないよ。不老不死になりたい欲求がこんなことで高まるとは思わなかった。

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