第15話 帰省

「割りのいいバイトあるヨ」


 松山さんが勧めてきたのは、異世界、つまりはガーデンキャンパスでの構内清掃だった。


「放課後にちょこっとモップかけたリ、倉庫の整理だったリ、それだけでいいんだけド、人手が足りなくてサ」

「それっていくら出るんですか」


 四月もそろそろ終わる頃、ゴールデンウィークには実家に帰るので、黒辻の家に遊びに行く予定を立てている。お土産は自腹であるし、それを補填し、その後の生活にも役立つようならば引き受けようと思う。


「一日銅貨が三枚」

「それってこっちだと」

「でネ、なんと掃除の名目であちこちを覗けちゃうノ。たとえば図書館、超常生物の知識やその対策、出現地域なんかも詳しく把握できル。残って勉強に励む生徒や先生方ともお近づきになれル。一ヶ月もすれば今の倍以上の知識が得られるかもしれないヨ」


 どうかナ、とすでに黒辻の肩に手を置いている。


「私はやってもいいけど」

「俺もいいよ」

「決まりだネ。詳細はメールしておくから」


 松山さんはすぐにその旨を学校側に伝えた。迅速な行動は素直に称賛できるのだが、気になることもある。


「あの、銅貨三枚って」


 切り出すと、ヘラヘラ笑っている。ちょっと眉が下がっているあたり、弱みなのだろう。


「……物価が違うからサ、なんとも言えないかナ」

「ここの購買って銅貨対応していたかな」

「してない」

「あっちではしてるヨ」

「早まったかな」

「うん」

「大丈夫! ちょっと安いかもしれないけどさっき言ったことは本当だかラ!」


 そんなわけで、バイトが決まった。しかし五月の連休明けからということで、バイト代は間に合わず、


「いらっしゃい銀城くん」


 と、そのまま黒辻の家に遊びに行った。


「お久しぶりです」

「ただいま。ちょっと部屋で荷物を片付けるから、また後でね」


 彼女の妹さんが元の部屋を使っているが、外出中だったので黒辻はそちらに向かった。 

 それはいいのだが、


「……」

「あ、あの、ご無沙汰してます」


 黒辻のお父さんってこんなに仏頂面だったかな。いつもはもっと笑顔で、肩を揉んできたりなんかしてスキンシップも多かったのに、どうも様子がおかしい。


「ごめんね銀城くん。あの子が誘ったんでしょ、お昼を家で食べたいなんて言って」


 助け舟はおばさんからである。

 そう、夜は実家で過ごすと伝えると、黒辻はならばうちで昼を食えばいいと誘ってきた。午後をまるっと遊びに使いたいから、それに家族もお前に会いたがっているといわれれば、悪い気はしない。


「でもおばさんのご飯美味しいので嬉しいっすよ。誘ってもらえてラッキーでしたけど、よかったんですか?」


 いつもの二倍はお行儀よくしていろと黒辻に厳命されている。理由は不明だが、おじさんの態度に原因があるのかもしれない。

 今もなんだか睨まれているし。


「いいのよ。全然いいの。ね、お父さん」

「……」

「あ、あはは……」


 なんか変だな。具合が悪いわけではなさそうだし、久しぶりだから緊張とか——するはずないよな。俺もそうだもん。


「あ、おじさん。将棋やりませんか?」

「……うん」


 将棋はしてくれるんだ。「手加減しないよ、銀城くん」と先行後攻を決める前にコマを動かした。とんでもない気迫である。


 二十分ほどでボロ負けすると少しは機嫌が戻ったようである。もちろん本気で挑んだが、手も足も出なかった。


「はっはっは! まだまだだな銀城くん!」

「めっちゃ強いんですけど。修行しました?」

「したね、きみに勝てるものはこれくらいしかないからね、めっちゃしたね」


 こういうところが若いし、なんか格好いいよなあ。うちの親父なんて格闘ゲームで俺をボコボコにして、静かに煽ってくるからたちが悪い。


 昼食の支度はおばさんが全部やったらしいが、黒辻も少し手伝ったという。それがどこか不安である。


「ところで、銀城くんは」


 と、黒辻が一人暮らしをするにあたり俺を質問ぜめにしたように、おばさんはあれこれと生活や学業について質問してきた。その度に黒辻がハラハラしたようにこちらを窺ってきたが、任せておけ、お行儀よくやってやる。


 一問一答をほとんどノーミスで終えたことは、おばさんと黒辻の顔色からわかるのだが、またしてもおじさんの様子が変である。


「なぜそうも完璧なんだ」


 呟いて、おばさんに肘でどつかれていた。


「うちの真紀ちゃんは顔は可愛いけど、性格に難があるじゃない?」


 そう言われてもどう返事をすることもできない。


「でも銀城くんは根気よく遊んでくれてるみたいだけど、大変じゃないかしら」

「いやあ、楽しいっすよ。今日だって誘ってもらって嬉しかったし。俺が臆病だから引っ張ってもらってばっかりで、あはは、これ美味いっすね。めっちゃ美味いっす」


 気が抜けてそんなことを言ってしまった。何もかも馬鹿みたいにうまいこの、料理名のわからない魚の卵とじがうまいせいだ。


「……母さん、ね、質問はそのくらいで」


 黒辻が長い面接を打ち切ってくれた。あとは学校でのこととか体調とか不便はないかとかありきたりなものに話題は移り、何事もなく食事を終えた。


「きみはやればできる男だな」


 黒辻はそうやって褒めてくれたが、大したことはしていない。いや本当に。


「銀城くん」


 帰り際、ゲームセンターに行こうとしていた玄関で、おじさんに呼び止められた。


「あのね、私から見ればちっとも臆病じゃないよ」

「お父さん。もういいからね、それじゃ行ってきます」


 歩いている途中、さっきのあれはなんだったのか訊いた。


「堂々としていたからそう思ったんじゃないのかい。私がそう指示を出しておいたおかげだね」

「なんかすごいたくさん質問されたけど」

「……うまく答えられていたよ」


 特に最後は。と靴紐を締め直した。


「解けてないじゃん」

「うるさい」

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