第7話 怪しいカレー
「腹へったな」
「自炊せよと命じられているんだろ。もう少し我慢してくれ」
ぶっ通しで四時間はやっただろうか。段ボールは半分以下になったけど、一日では片付かなかった。それでも厳重に仕舞われていた薄型の42インチのテレビや電気ケトルがあったため、我が家よりは快適だろう。明日には他の家電も届くらしく、入学式までには万全の状態になるだろう。
「もうこれをしまったら終わりにするから」
何冊かの本を拾い、できたばっかりの本棚に差し込んだ。犬でもわかる黒魔術とか、明日から大魔道士とか、そういう彼女が大好きなシリーズである。
「はい終了。お腹がへったのは私も同じだよ、さて、どうしようか」
「どうって、帰るよ。カップ麺があるから」
「あー……その、提案というか、食費の問題というのは我々に大きくのしかかるテーマであって、それをどう抑えるかが金銭的な負担を」
「奢れってこと?」
「違う! 世話になった私がするならまだしもなぜきみが奢るんだ」
私が振る舞おう。
そう言って胸を張ったが、彼女に料理ができるとは思えない。そんなことをしているとも練習しているとも聞いたことがない。
「それは嬉しいけど、できんの?」
「古くから最も美しいことの一つに、挑戦が挙げられている」
そんな話も聞いたことがない。が、したいということを妨げることはしたくないし、なにより感謝が根底にある挑戦だ、受けてたとうじゃないか。
「……材料、買いに行こうか」
「よし! 何かリクエストはあるかい? なんでも作ろうじゃなか」
「カレーがいいな」
何度か作ったことがあるから、カレーなら手伝えることも多いはずだ。そもそもそれほど苦労しない料理だから、黒辻の初挑戦には丁度いい。
「よしやろう。ところで、きみはカレーが好きなのか」
「みんな好きじゃないかな」
「ふーん。まあ、それもそうか」
スーパーで材料を買う際、黒辻はカレーの材料に悩んだ。工夫を凝らしいたいようで、隠し味として俺の目に触れないようこっそりとあれこれ買っていた。
「本当に頬が落ちるかもしれない。病院の予約は時間が遅いから、救急外来だな」
帰り道に物騒なことを言うくらいにはご機嫌で、いざ台所に立ってもずっとニコニコしていた。
「なんで鍋が二つあんの?」
「きみ用だ。黒辻真紀スペシャルと、普通の私の分」
「俺のはどっち?」
「銀城、野暮なことをきくなよ」
剥いた野菜の皮を片付けながら、蓋から昇る蒸気を眺めると、どうもカレーだけの匂いではない気がした。
「あのさ、何が入ってんのかきいてもいい?」
「野暮だぞ」
「……だよな」
盛り付けと配膳は黒辻がやった。折りたたみ式のテーブルを出し、フローリングに直接座って待っていると、
「辛いのは平気かな」
と今更確かめても遅いことを言う。
「ちょっとくらいなら」
この程度のことが不安に思える。彼女の機嫌と俺の不安感は比例しているのだろうか。
カレーにしては、高い粘性を持ち、色は黒く、ところどころに野菜ではない固形物が混入している。それが黒辻スペシャルカレーだ。
「自家製のイモリの」
「隠し味は! 秘密にしてこそ! だろ!?」
自家製だろうがなんだろうが、俺はそれを今から食べなければならない。余計なことはか聞きたくないのだ。
「せめて食べ終わったあとにしてくれ」
「そんなにお腹がすいていたのか」
「そうだよ、腹ペコだ。それと悪いが味の感想には期待しないでくれよ、得意じゃないんだ」
「いいとも。それじゃいただきます」
いい出来だ、なんてバクバク食っているのを羨ましがっていても仕方がない。
「南無三」
「なにか言ったかい?」
「うまそうだって言ったんだ」
スプーンですくうと、もうこの具材がイモリのなにかにしか見えない。
(待てよ? 別にイモリにだって食用のがあるんじゃないか)
世の中は広く、カタツムリとかカエルを食べたりもする。
妹だって昔は雑草をサラダとしてままごとの皿に盛り食わせてきたんだ、それに比べればどうだ、俺はあのときも食ったじゃないか。
思うと食事に集中できた。実際、味は普通のカレーである。舌が微妙に痺れる辛さと、胃の奥の奥まで染み込んでくるような熱がひたいに汗を滲ませた。
「ど、どうかな」
「うまい。まじでうまい」
いつだって何を食ったってうまいとしか言わないが、これは本当にうまかった。
「本当かい?」
「うん。おかわりしていいのか?」
「え? もう普通のしかないから」
「スペシャルじゃなくてもいいよ」
「だめだ。どうしてもというなら、準備をするから待っていてくれ」
あ、これイモリを用意するからってことだ。
「……食べられるものしかいれてないよな?」
「……野暮だよ」
食事が済んだので帰って寝た。泊まって行けば明日の荷解きが楽だと引き止められたが、やけに体が熱く寝汗でひどいことになりそうだったので断った。
目が冴えて眠れないほどで、夜中にジョギングをしたり、色々やって、色々やったんだ。それでようやく収まった。
翌日も昼から遊びに、じゃなくて片付けを手伝い、彼女の感謝は異状なほどで、
「この部屋にある全てのものからなにか一つきみにあげる」
とまで言った。しかしすぐに本は止めてくれとつけ足すあたりは小心者である。
「いいよ、ガーデンのグッズはだいたい持ってるし。外に出よう。暇なんだ」
「……それは私が欲しいという婉曲表現か?」
「それでいいよ。歯ブラシとか言ったら気持ち悪いだろ」
「それが思いつくってことは」
「うるさい。財布と携帯を持て。玄関に行け。靴を履け」
入学式には父だけが来た。母さんは泣きそうだからと止めたらしい。
「それ、スーツ。一緒に買ったやつだな」
「そうだけど」
ネクタイのかたちが悪いと、式が終わったあとに言った。校門の前で整えてもらい、なんだか照れた。彼も照れくさそうにしていた。
「あのな、まあ、頑張れよ」
それだけ言って、黒辻の両親に挨拶をして帰った。妙に長く喋っていたが、そんなに仲がよかったっけ。
「なあ銀城、一緒に履修登録をしたわけだが」
「ん、さっそく明日から講義があるな」
黒辻もスーツだが、本当は羽織袴で出席したかったそうで、それを母親に注意され渋々着替えたらしい。
「……よろしく頼むよ」
これから黒辻は家族で食事に行くので、ご両親を待たせている。返事をする前に小走りで行ってしまった。
「妹さんも来てんだ。一とは大違いだな」
名前は忘れたが文武両道だったはずだ。一にそれを伝え、俺にもあんな妹がいればと茶化したら大泣きされたのは中学の頃だったかな。
思い出を楽しむのは現状になにか不足があるからだろうか。
「これがホームシックか」
まさか自分がそれになるとは思わなかった。誤魔化すようにポケットに手を突っ込んで、すぐに出して、ネクタイに触れた。
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