第8話 ガーデン
「このゼミを担当する松山でス。よろしくお願い致しますネ」
それは面接の時にいた、パンツスーツあの人だった。
「えー、黒辻さんと、銀城さン。あとはあっち側に三人ほどいますので、この超常生物学部超常生物学科超常生物探求コースは五名でともに励んでいくことになります。一緒に頑張ろうネ」
何回言うんだよ、超常生物。それにあっち側? 五人? わからないことが多すぎる。
それにしても、がらんとした研究室は、学校内の空き部屋にパソコンと怪しげな呪物が置かれた、ちょっと黒辻の部屋みたいだった。
「質問、あるかナ」
語尾が独特である。どこの訛りなのだろうか。
「あります」
「どうぞ黒辻さン」
「あっち側ってなんですか?」
それは俺も気になった。松山さんは満足気に頷き、
「説明するより見てもらったほうが早いのデ、こちらニ」
隣室に繋がるドアを開けた。広さは同じくらいだけど、部屋の真ん中にぼんやりと光る石造りの物体がある。
高さ二メートルほどで、鳥居のような形をしているそれは、薄暗い室内ながらも、自ら発光しているわけでもないのに、はっきりと視認できた。
「あの、誰もいないっすけど」
この鳥居になにかしらの仕掛けがあるのだろうが、それを認めたくない自分がいる。だから間抜けな質問をして、松山さんをまた満足させた。
「前置きは無シ。はいこレ」
渡されたの銀色のカードには俺の名前が彫りこまれている。黒辻にも同様のものが渡され、彼女はそれを恐怖と興奮の混ざった顔で眺めていた。
「ゲートキー、なくさないでネ。あっちに行くための通行証ですかラ。じゃあ黒辻さん、それをかざして」
「は、はい」
おっかなびっくりにカードを近づけると、鳥居の中心が向こうに見える打ちっぱなしのコンクリート壁の景色をねじ曲げた。いつかプラネタリウムで見たような、黒々とした中にも細かい発光体が激しく明滅した。
「な、なんですかこれ」
「繋がったのサ。
それも一瞬で収まり、鳥居の間には石壁の空間が見えるようになった。松明がかかり、ぼんやりと照らされたその空間から、冷たい空気が流れ込んでくる。
「は、ははは」
乾いた笑声が虚しく響く。黒辻は息を飲み、俺たちのそんな反応に松山さんはドッキリ大成功というような顔で頷く。
「最初の講義はレクリエーションと決まっているのダ」
レッツゴーと背を押され、恐怖すらも感じないままに鳥居をくぐった。石の感触が靴底にある。間違いなく地続きではあるが、ここは今までいた世界とは違うという絶対的な確信があった。
「銀城、そっちにおかしなところはないかい」
あいつめ、俺をカナリアに使いやがった。
「ない。と思う」
「ここは神殿だから、危険は少ないヨ」
神殿ときたか。ゲームなんかではよくきくし、文化遺産とかにはそういうのもあるのだろう。松山さんはそういう身近ではありながらも縁遠い場所に平気で踏み込み、怯える黒辻に手招きをした。
「大丈夫。平気だヨー」
野良猫を誘き出すような声を出し、不思議を手に取るチャンスだヨ、と好奇心をくすぐった。
「むう……」
渋る黒辻。このままでは埒が明かない。
「よっしゃ。神殿探検に行くぞ」
「え? あ、待て、引っ張るな」
袖をつかんで無理やり引きずり込むと、彼女はキョロキョロと周囲の石壁をくまなく観察し、
「松山さん。進みましょう」
と、猫を殺す劇薬で心をいっぱいにした。
長い廊下にはいくつかのドアがあったが、そこからは寝息や笑声が聞こえてくる。松山がさんがそれを無視して進むので、俺たちもそうした。
「突き当たりが玄関。さっきのはガーデンズ・ゲートっていっテ、私たちが行き来するためノ、いわばワープ装置なんダ」
そうか、なんか胡散臭いと思ったら、愛読書の名前と同じなんだ。
「ガーデンだってよ」
黒辻に耳打ちすると、彼女は不敵に笑う。
「これを着てきて正解だったね」
袖を振った。ガーデン製の懸賞パーカーが松明に照らされ、やがて門番がいる広間に出た。
「松山じゃん。なにその子たち」
あの猫耳が飾りでないのならば、革の胸当てがコスチュームでないのならば、持っている槍がレプリカでないのならば、ここはまさしく異世界だろう。
「新入生だヨ。彼女はテリー。神官なんだけど腕が立つから門番に選ばれたすごい人なノ」
「自分で言うのもなんだけど、破戒僧ってやつだ」
豪快に笑うが、それらの会話はすべて日本語である。どうもまだ信じられない。
「街案内なら付き合うけど?」
「私だってそのくらいできるヨ。あなたはお仕事してくださイ」
「あはは、まったく門番は退屈だ。新人の驚く顔だけが楽しみになってるんだもの」
木製の両開きのドアが、片側だけテリーさんの手によって開かれた。
「……嘘だろ」
陽の光は柔らかく、雑踏がやかましい。
この神殿は通りから一本外れているようだが、石や木を材料にした家々の向こうから伝わる人の活気がぶつかってきた。
どこまで広がっているのかわからないほどの土地に建物が、小高い丘には山城のような物々しさでそびえる砦が、そして囲うちょっとした城壁のさらに奥、森林と平原が視界を埋め尽くし、情けないが指先が震えだした。
(感動? 違う、これは)
恐怖といっていい。壮麗で額に収めれば人々の感性をまとめて豊かにするだろうこの光景に腰が引けているのだ。
「ここは私たちがガーデンと呼ぶ世界。レクシア領最大の都市ウルヘイル。講義のために自由行動が許されている街デ、きみたちの青春の舞台ダ」
こんなものを想像できたはずがない。キャンパスライフを誰かと語り合う時、俺はきっと孤独だろう。
「なあ銀城」
「なんだよ」
「どうも……痺れるね」
俺と同じような気持ちなのか、それでも負けん気から笑い飛ばしたいらしい、指で口角を上げている。
孤独が二人いれば、夜が明けても語り尽くせない思い出となる。そのためにも、松山さんのいう奇妙な舞台で青春をしてやろうじゃないか。
「痺れるなあ。やっぱり大学生ってのはこうじゃないとな」
「それは流石に強がりだろう」
「……うん。でも、ガーデンはこうあるべきだよな」
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