第6話 引っ越しで上がる心拍
新居には荷物がほとんどない。段ボール箱が二つだけで、あとはリュックサックだけが俺の新天地での初動を支える。
「家電は送ってもらうからー、布団敷いたら出来上がりー」
適当なメロディをあてて歌ってしまうほどに興奮していた。一国一城の主なのだ、領土は広がらないけど、高揚している。
「……出来上がりじゃねえな。荷解きしないと」
我に返ると三十分ほどでそれも終わり、あまりの娯楽のなさにスニーカーを履いて家を出た。商店街をうろつき、生活雑貨店やドラッグストアの場所を頭に叩き込む。
昼過ぎになると携帯が震えた。メールが来ている。
『今起こた。来てくれ』
寝起きであることがわかる簡素な文章だ。惜しい誤字が奴らしくなくて面白い。
黒辻は近所のマンションに住んでいる。間取りは俺のところよりもかなり広い。
向かうとジャージ姿で出迎えてくれた。青いそれは高校指定のもので、
「お前もそれで寝てんのかよ」
奇しくもお揃いである。
「いいだろ別に。楽なんだから。さ、上がってくれ」
間取りは1LDKである。学生の一人暮らしにしては冗談のように豪華な部屋だ。
「ひっろいなあ。やっぱアレだな、黒辻お嬢様なんだなあ」
「まあね。で、その召使いがきみだ。この惨状を放っておいたままでは気分が悪いだろう?」
段ボールが部屋の七割を埋め、足の踏み場が隣の部屋から玄関まで、強引につくられている。このままでは座ることもままならない。
「業者さんを呼んだ方が早くないか」
「もう呼んでいるじゃないか」
「……召使いでもあり清掃業者でもある銀城さんに任せておけ」
おどけると彼女はクスクス笑った。「顔を洗ってくるから」と洗面所までまた道を作った。
「参ったな。どこから手をつけようか」
幸か不幸か、彼女は荷物に一切手を触れていないようである。メタルラックや棚を作らなくてはならないのだが、部品がないとかそういう心配はなさそうである
「黒辻! ドライバーあるか!」
「ない」
ドア越しのくぐもった声はまだ眠そうである。
「じゃあうちから持ってくるから待ってろ。できれば場所を空けておいてくれ」
「了解した」
急ぐ必要はないけど、黒辻があの部屋で段ボールをまたいで生活させるわけにはいかないという奇妙な責任感が、横断歩道を渡る足を速めた。
ドライバーは必要である。という報告を妹にしなくてはならないと思いつつ戻ってみると、ヘアピンで髪をとめた黒辻が玄関先にたたずんでいるではないか。
「……は?」
その後ろ姿は一糸まとわぬ姿である。肩甲骨の間にうっすらと陰影の線がまっすぐに降り、わずかにういた肋骨を抜けると、もちろん終着点には尻がある。
「な、なに、何をやってんだ馬鹿!」
彼女は「おかえり」と振り向きそうになったので、慌てて玄関のドアに回れ右をして覗き穴を凝視した。
「着替えようと思ったのだけど、昨日着ていたものをまた着てもいいかどうか迷ったんだ。どうせ家から出ないから着替えはジャージしか出していなくて」
「それを着ろよ!」
肩をすくめているのだろう、苦笑とため息が、何故か先程よりも近くで聞こえた。
「おいおい、これでも女子だぞ? 男子の前で洗濯していない服を着るのは抵抗があるんだ」
「だったら素っ裸でうろつくな!」
「ここは私の家だもの」
帰る、とノブに手をかけると、肩をぽんと乗るその手は、いつもと変わらないはずなのに、手首から繋がる腕までもが艶めかしい。
「約束したじゃないか。荷解きを手伝うと」
「からかってんのか試しているのか知らないけど、それはどっちのためにもならないぞ」
「だろうね。臆病者が二人だもの」
着替えてくるよと部屋に戻る音がしても、しばらくは玄関先で突っ立ったままの俺がいる。臆病者というか、いや、ここで振り向いてああだこうだができる男ならば、俺の高校生活はオカルトに染まらなかっただろう。
「もういいよ。さ、続きをやろう」
「あのな、からかうのは百歩譲っていいとして、臆病者はひどいぜ」
「たらーん」
口で効果音をつけたその出で立ちは、ジーンズに黒のパーカーで、特に変わった様子もない。
と、そこらのやつなら思うだろう。
「ガーデンのパーカーじゃん! すげえな」
「そうだろう。フリーサイズだから袖が余るが、結構質もいいんだ」
触ってみると厚くもなく薄くもない。素材表示のタグもなく、ガーデンと背中に赤くプリントされているだけだった。
「私の私物にはガーデン製が多い。どうだい、荷解きではなく宝探しだと思えばやる気が出るだろう?」
「それはそうだけど、何もなくたって手伝うよ」
「そ、そうかい? それは、よかった……」
まずは棚を作らねば。工作は苦手だが、黒辻は器用だし、
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