祭りのあと③

 目覚めると見知らぬ天井。

 しかも鏡張り。

 陽子はすぐに、ここがラブホテルだと気付いた。

「よう、気付いたか?」

 声がした。

 声のする方へ身体を向けると、そこには樹がゴミ箱を処理していた。

「な、な、何してんの?」

「すっかり酔いは醒めた様だな」

 少しだけ頭が重い。どこから記憶が飛んでいるのか全く分からない。そして何故ラブホテルにいるのかさえ。

 お持ち帰りされたのか?

 途端に陽子は、樹に向かって詰め寄りだした。

「アンタ! あわよくばヤろうとしていたわね! 最低! 信じらんない!」

 きょとんとする樹。そう言われるだろうと予想はしてた。

「言いたい事は分かるけどさ、お前、この匂いで何も感じないのか?」

 部屋中、異様な匂いが立ち込めている。室内に配備されている換気扇が、モーター音を出しながら全力で回っている。

 更にラブホテルだから、基本的に窓はそこまで開かないのだが、全てという窓が限界まで開いている。そういえばうっすらと寒気も感じる。

 そして樹が持っているビニール袋の中身。完全に吐瀉物だ。

 それを見て、陽子はようやく気が付いた。自分の口臭が若干匂う事に。酔った勢いで吐いてしまったのだろう。それを樹が処理してくれたのだ。

 でも疑問が残る。

 何故ラブホテルに私はいるのだろう?

「とりあえずだ、事の詳細は後で説明するから、今は歯でも磨いてこいよ。口の中、気持ち悪いだろ」

 ビニール袋の処理をしながら、樹は陽子に洗面台へと促す。

 口の中が臭い。その匂いが鼻腔びこうを刺激して気持ちが悪かった。言われた通り化粧ポーチをショルダーバッグから取り出して、洗面所に向かう。

 歯ブラシに歯磨き粉を付け、入念に歯を磨いた。

 メンソールが口の中に広がり、徐々にその匂いが緩和されていく。

 歯を磨いている間も、陽子は頭の中はパニックになっていた。

 寝起きで頭がまだしっかりしていない状態でもありながら、何で? という疑問だけが駆け巡っている状態だった。

 口の中を入念に水で濯ぎ、化粧ポーチに入っていた口臭剤も口の中に吹きかけた。

 さっきよりだいぶ匂いが無くなった。口の中がさっぱりとした。

 洗面所から戻ってくると、ゴミ箱にビニール袋に入った吐瀉物を入れている樹の姿があった。

「清掃員の人が見たら困るだろうなぁ。こんなものがゴミ箱に入ってたら」

 樹は洗面所に行き、手を洗い始める。

 その後を追いかける陽子。

「もしかして、服とか汚しちゃった?」

 もしそうだったら飛んだ醜態しゅうたいを晒してしまった事になる。

 みっともなさと、恥ずかしさで俯いてしまう。

 しかし樹は、

「まぁ、間一髪だったよ。ゴミ箱にビニール袋が備えてあったから、ビニール袋に全部ぶちまけただけだし。天野の服にも、オレの服にも被害はなかったよ」

 相変わらずの仏頂面。怒っているのか、呆れているのか、全く表情が読み取れない。

 しかし声のトーンだけ聞けば怒っている様な口調ではなかった。

 そのままソファに座り、樹は煙草を咥え火を点ける。

「少し寒いかもしれないけど、我慢しろよ。天野が酔った勢いとはいえやっちまった事なんだから。あともう少しで匂いもなくなりそうだから、そしたらすぐにでもエアコン入れよう」

 紫煙を上に向けて吹き上げ淡々と喋る樹。

「ごめん、ありがとう」

 と、言った瞬間に肝心な事を再び思い出した。


 何故、自分はラブホテルにいるのか。

 しかも樹と一緒に。


 酔っていたせいで、何も思い出せない。

 ただ分かっている事は、目の前に樹がいるという事。

 しかもラブホテルの一室で。

「一応念の為、確認なんだけど、私に何かしようと思って、ここに連れてきた訳じゃないわよね?」

「んな訳ないだろう。ハメられたんだよ、幸雄に」

 樹は紫煙を再び吹き上げる。

「オレの仮説はこうだ。とにかく天野とオレを同窓会終了後に二人きりにしたかった。そこで自分一人じゃ行動に起こせないから、同窓会のメンバーの何人かに協力を求めて、オレと天野を意図的に二人きりにさせた。そこからオレは地元を知っていても、天野の実家がどこにあるのか知らない。それを見越してこんな事をになった。こんな年の瀬だ、どこのビジネスホテルも空いている訳がない。唯一空いているホテルとすれば、ここ、ラブホテルぐらいだろう。それも計算尽くでハメられたんだよ」

 陽子は呆然とした。

 えっ? なんで?

 何でそんな事、されたのだろう?

「幸雄のヤロウ、帰ったら捻ってやる。悪戯にしちゃあ悪質過ぎる」

 吸い終わった煙草を灰皿に擦り潰した。

「ゆっきーに? そんな事される理由なんてないじゃない? そもそも何で私と樹を二人きりにしたい訳?」

「知るか。ただ、大方の予想は付いている、かな。考えるにはアイツはお節介がしたかったんじゃないか?」

「お節介?」

 そこまで言うと、樹はソファに乱暴に寝そべった。

 いつもの仏頂面で鏡張りの天井を見つめている。

「ねぇ、お節介って何? 幸雄ってそんなキャラだっけ?」

 信じられない様子の陽子。

 自分の知っている幸雄は、明るくムードメーカーで、いつもクラスの中心にいた人気者だ。

 『悪質』だとか『策士』というイメージとは程遠い。

そんな彼がこんな手の込んだ、趣味の悪い悪戯をするなんて信じられなかった。当時の幸雄を思い浮かべても、中々想像が難しい。

天井を見つめながら樹は少し呆れた様に、

「天野には分からねえよ。アイツの本当の姿ってヤツ。オレは長い付き合いだからよく知っている。時々、手の込んだマネをする様なヤツなんだよ」

「それって社会人になってからも? それとももっと前から?」

 陽子の疑問は止まらない。

「そうだな、いい機会だ。アイツの話をしてもいいかも知れねぇな」

 ソファからむくりと起き上がり、樹はそのまま開けっ放しになっていた窓に向かい、窓を次々と閉め始める。

「天野も手伝えよ。元はといえばお前がゲロ吐いたからこうなったんだぞ?」

 陽子は痛いところを突かれたと同時に、そんな言い方しなくてもいいじゃない、と思ったが、何も言えずに一緒に窓を閉めるのを手伝った。

 室内の空気がちゃんと戻り始めたので、一応換気扇だけを回し、エアコンを付けた。

 部屋も少しずつ暖かくなり始める。

「本当に迷惑かけてごめんね、ありがとう」

 改めて陽子は謝罪と礼を言う。

 樹は何も言わずに、再びソファに横になった。

 しかし、

「お礼を言われてもなぁ…当たり前の事をしただけだし」

 すると、陽子は、

「せっかくラブホに来てるんだからさ、一夜だけ、楽しんじゃう?」

 どこまで本気なのか、樹をベッドに誘う陽子。

 樹は仏頂面のまま返す。

「天野、お前ってそんな風なキャラだったっけ? 悪いけどオレはそんな気は微塵もないから。その証拠にお前の着ている服、一切手を付けてないし、乱れているところなんてないだろう?」

 言われてみれば確かにそうだった。

 乱れている様子もなく、樹の言う通り手を出された痕跡も一切ない。

 自分のその様を見て、本当にそういうつもりでラブホテルに入った訳ではない、とここでようやく悟った陽子。

 自分が発した台詞せりふが何だかとても恥ずかしくなってしまった。

「それより」

 樹が口火を切る。

「幸雄の事を知りたいんじゃないのか? 何でこんな事をしたのか? アイツがどんな人間なのか?」

 そうだった、幸雄が何故こんな手の込んだことをしたのかを知りたかった。

 そして。

 樹の事をもっと、知りたくなっていた。

 樹に興味が湧いて仕方がなかった。

 ここまでしてくれた行為、失礼な事をしても何も変わらない樹に、妙な事だが、今までの関係を持った男達とは、比べ物にならない包容力を不思議と感じる。

 だからなのか、陽子はこの自分の不思議な気持ちを知りたかった。

 樹のこれから話す内容によって、何かが分かるかもしれない。

 幸雄がここまでするという事は、何か余程の事なんだろう。

 樹には女に分からない、隠された魅力があるに違いないと陽子は踏んでいる。

 仏頂面ではあるけれど、その心中は計り知れない。

 幸雄は分かりやすいけど、その分かりやすさで本心を隠しているかもしれない。

 二十四年経った今だからこそ、それを聞いてみたい。

 幸雄と樹の関係性を。

 その計り知れない絆を。

 陽子は覚悟を決めて、樹からこれから話す事に耳を傾ける事にした。

 どんな事であっても決して聞き逃してはならない。

 過去に告白されて自分が振った男。

 過去に告白して自分が振られた男。

 この樹、幸雄の二人の話を聞かずにはいられなかった。

 そして樹は静かに語り始めた。

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