二次会④
「おかしいなぁ」
樹がポケットをゴソゴソと探り始める。
「どうした?」
敏哉が樹の行動に気付き、声を掛ける。
「腕時計、外したが覚えないんだけどなぁ。無いんだよ、ポケットにもどこにも」
敏哉の心臓の鼓動が少し早くなった気がした。
ついさっき、幸雄は樹に黙ってこの場を後にした。そしてある約束を取り付けられて、その計画に只今、絶賛乗っかり中である。
ここからわざとらしくではなく、自然に樹に対し『演技』をしなければならない。
しかも台本なんてある訳がないアドリブの演技を。
それは敏哉だけでなく、透も彰もそうであった。敏哉は透の方に目をやる。透は聞こえないふりをして、目の前に座っている前田紗江子と会話していた。そして彰の方に目をやる。彰は耕治達の席に座っていて、全くこちらの状況に気付いていない様子だった。
全てのプレッシャーが、敏哉の肩に音を立てて乗った気分だった。
「コートの中に入れたとかは?」
中川が異変に気付いて、樹のコートが掛かったハンガーを手に取った。樹はハンガーを受け取り、自分のコートのポケットを探る。樹はさらなる異変に気付く。
「スマホが
「えっ?」
中川が身を乗り出す。
「本当か? 本当に無いのか?」
コートのあらゆるポケットを探ってみた。
しかしいくら探ってもスマホらしき感触が一切ない。
樹は自分のトートバッグに手を伸ばし、中を探ってみたがやはり無い。
顔が青ざめる樹。
しかし一瞬にして何かに気付いた。
「幸雄? 幸雄はどこに行った?」
青ざめた表情が一気に仏頂面に変わる。
そこですかさず敏哉が、
「あぁ、幸雄ならさっき新幹線がどうのこうのって言って帰ったよ」
あぁ、アイツ、やってんなぁ。
樹は伊達に意味もなく幸雄と長く付き合ってはいない。すぐに、これは幸雄の仕業だ、と確信した。こんな手の込んだ悪戯をするのは幸雄しかいない。
そして新幹線で帰ったという事は、自分はもう新幹線では帰れない事を示唆している。
つまり帰るとするならば、私鉄でダラダラと鈍行で帰れ、という事になる。
「敏哉」
樹が声を掛けた。相変わらずの仏頂面で。
「な、何だ? そんな怖い顔して」
「スマホ、貸してくれねえか?」
「どうした? 急に」
「幸雄だよ、ゆきお。アイツに連絡させてくれよ」
敏哉は樹のあまりの迫力に押され、スマホを黙って渡してしまう。
樹はメッセージを送る。
村上
川瀬樹だ、バカヤロウ。敏哉のスマホを
借りて今お前にメッセージを送っている。
お前、やってんな?
平野幸雄
まぁまぁ、そう怒らずに。
『村上』って表示されてるから、名前入れて
もらって、樹って分かって良かったよ。
今新幹線の中。
いやー、楽しかったなぁ。
村上
楽しかったなぁ、じゃねえよ!
返せよ、腕時計とスマホ。
何やらかしてんだよ。
平野幸雄
あぁ、腕時計とスマホね。
明日の夜に返すから。
大丈夫!
心配するな。
村上
心配するな?
ふざけた事抜かしてんじゃねえよ!
新幹線で帰るはずが、また鈍行じゃねえか!
ホント、ふざけんなよ。
平野幸雄
そんなに怒るなって。
決して悪い事じゃないから。
とにかくだ。二次会思いっきり楽しんでよ。
村上
お前なぁ…。
何か企んでるだろ?
でなきゃこんな手の込んだ事しないはずだ。
何を企んでんだ?
平野幸雄
べっつにぃ~。
ちょっと悪戯したかっただけ。
中学の時に戻った感じで、
楽しくなっちゃってさ。
それでつい…ね。
村上
つい?
オレにとっちゃ、つい、じゃねえんだよ。
お前、ふざけるのも大概にしろよ?
いい大人が窃盗まがいな事して楽しいか?
平野幸雄
どうどう。
落ち着いて落ち着いて。
とにかく、明日の夜にちゃんと返すから。
ちょっと仮眠取るから。んじゃ。
村上
はぁ? 寝るな、バカ!
こっちは腕時計もスマホも無いんだぞ?
寝るんじゃねえよ!
村上
あのバカ、ホントに寝やがったのか?
明日、覚えとけよ?
絶対にシバくからな?
諦めたのか、樹はスマホを閉じて敏哉に返した。
敏哉は何だか申し訳なくなってきた。
どんな理由があって幸雄はこの計画を考えたのか知らないが、少し強引すぎるし悪質にも思えてしまう。
だが頭を下げるぐらいの事なのだ。だから悪質に思えても、協力しなければならない、という不思議なせめぎ合いが、敏哉の中で葛藤していた。
そこに紗江子と会話をしていた透が、敏哉のもとにやって来て小声で、
「どうだ? いけそうか?」
と聞く。
「分からん。けれど樹がオカンムリだって事は確かだ」
二人は樹に目をやると、再び陽子に絡まれていた。
「とにかくだ。二次会はそろそろお開きだ。そしたら本番だ。透は大丈夫か?」
「あぁ、とりあえず地元の女性陣達は俺の嫁さんの車で送っていくよ。さっき嫁さんにLINE送っといたから」
「返事はきたのか?」
「あぁ、オッケーだってさ」
「そっか。良い嫁さんだなぁ。後はあいつがどう動いてくれるかだな」
二人は彰の方に目を向けた。
彰は耕治達と賑やかに盛り上がっている。
「あいつ、マイペースだからなぁ。どう動くか分からねえぞ」
透は彰の姿を見ながら呆れる様に言う。
「仕方がないだろう? 幸雄が組んだ布陣が俺と透、そして梅安なんだから。あいつはあいつで放っておけば勝手に動いてくれるだろう」
「そうかもな。そうした方がいいか」
小声ではあるが、二人は幸雄が頼み込んだ計画を改めて見直し、実行に移すことを決めた。
敏哉は席を立ち、手を叩いてこう言った。
「えー、皆さん。そろそろいい時間なので、二次会をお開きにしたいのですが、よろしいでしょうか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます