天野陽子⑤

 何度か小澤と食事を重ねる様になった。

 週一が週二と、会う回数も増えていった。

 聞けば最初、私だと気づいて、驚いたのと少しだけ恐怖心が蘇ったという。

 確かに運動音痴だった事もあり、結構厳しい事も言っていたと思う。バスケは好きだったから、教える側の私の熱量も強かったに違いない。

 多分それが、小澤にとっての恐怖心だったんだと思う。

 けれど会話を重ねるうちに、その恐怖心も薄れたみたいで、少しは普通に会話が出来る様になってきた。

 私も、小澤と食事をするのが、楽しみになってきていた。過去の男性遍歴を振り返ってみても、ひとつだけ彼の良いところは『誠実さ』だと思った。

 今までの男は、食事の後にホテルに誘ってくるなんてざらにあった。

 スーパーで働いていても、誘ってくる男はいたりする。他の店舗の店長だったり、社員だったり。数でも打っていれば、引っかかるとでも思っているのか、と冷ややかな目で私は丁重に断っていた。

 だけど小澤はそんな言葉や態度を微塵も見せることがなかった。

 散々な目にあってきたけれど、小澤だったらもしかして、と思う自分がいた。

 そしてついにその時が来た。

 小澤から、結婚を前提に付き合って欲しいと、私の誕生日に告白されたのだ。

 その時の私は、あまりにも突然すぎて、頭が真っ白になってしまっていた。何故なら、夢にも思わなかったからだ。

 今まで私の前を通り過ぎていった男達にはロクなのがいなかった。

 ヤレればいいと思っている男が多かったから。

 だけど今、目の前にいる男性は、そんな男達とは違う。真っ直ぐな目で、私を見つめて告白してきたのだ。

 場所も少し高級なレストランで、しかも個室だった。わざわざ私なんかの為に、無理をしたに違いない。そう思うと、涙で溢れ返った。もちろん返事は「お願いします」の一言に尽きた。

 夢にまで見た、女性としての幸せを、掴み取れた瞬間だった。

 それからはとても早かった。

 私は自分のアパートを引き払い、小澤の住むマンションに引っ越した。必要な物だけを持って、家具やテレビなどは全て中古屋に売り払った。

 これから新しい生活が始まるんだ、と胸が高鳴る気持ちと幸せで満足だった。

 その日の夜、私は小澤と初めてセックスをした。

 小澤は童貞だった。

 彼曰く、するんだったら好きな人と決めていたらしい。三十四になってまで、その考えを変えずにいたのは凄い事だと、私は感心してしまった。と、同時により一層、 

 小澤の事が愛おしく思えた。

 だから彼が求めれば、私は答えてあげた。

 こんなに愛おしい人に巡り会えたのだから。何十年ぶりの愛があるセックス。それだけで私は満足だった。

 共働きだったけど、料理だって手は抜かずに、必ずお弁当は持たせていた。

 彼の喜ぶ顔が見たかった。

 だから炊事、洗濯は勿論当たり前、夜の営みも、彼に嫌われたくない一心で、今までの男達にされてきた事を、彼にもしてあげた。

 きっと喜ぶと思っていた。

 愛おしいから。

 嫌われたくないから。

 ただそれだけだった。

 でもそれから一年弱、小澤は浮気をした。

 私がスーパーの残業で、帰りが遅かった日の出来事だった。

 彼に帰りが遅くなる、とメールをしたが返事がない。

 とにかく忙しかったから、すぐに職場に戻って品出しをした。

 残業が終わり、休憩室で帰り支度をしている時に、スマホにメールが来ていた。

 小澤からだった。

 私は「遅くなってごめんね」と返事を返そうと、画面を見た時に目を疑った。

 知らない女の名前、そして内容は明らかに浮気をしました、と言わんばかりのメッセージ。

 浮気相手と間違えて、私にメールを送ったのだ。

 すぐさまスーパーを出て、マンションに急いで帰宅した。

 普段と変わらず、おかえり、という小澤。

 私はスマホを取り出し、メールの内容が映し出されている画面を、小澤の目の前に差し出した。

「なに、これ?」

 それを見て、顔面蒼白になる。そして肩を落としてうつむいた。

「ねぇ、説明してくれる? どういう事なの、これ?」

 私は小澤に詰め寄った。

 彼は小さな溜息を吐き、私に向かってこう言った。

「ごめんね、浮気をしてしまった。それは僕が悪い。それは分かっている。でも…陽子さん、重いよ。僕に対しての接し方も、その気持ちも。正直に言って息が詰まる」

 その言葉を聞いた時に、自分の愚かさに身をもって知った。

 舞い上がって、空回りしていた事に気付いていなかった。

「やっと、結婚出来るんだ」

 相手の気持ちも考えず、只々ひとりで舞い上がり、勝手に自己満足して、勝手に自己完結して暴走していただけ。実に哀れで滑稽である。

 冷静に考えてみれば、私は好きになってしまうと、何でもかんでも、してあげたくなってしまう傾向がある。

 大学時代から今日に至るまで、そんな簡単な事に気が付かなかった自分が恥ずかしく、愚かにも思えてくる。

 何も学んでいない。

 ただ夢だけを見ている。

 不憫ふびんな女だと気が付いた。

 結局、小澤とは別れ、私は抜け殻の様になり、長く勤めていたスーパーも辞めて、実家に戻る事になった。



 これが今までの私の歩んできた、愚か極まりのない半生。

 男運がなく、今は西山に好き放題されている。

 もう夢や理想を追いかける事に疲れてしまった。

 私には恋愛なんかより、こういう恥ずかしい人生がお似合いなのかもしれない。

 だけどその反面、このままではいけないと思っている自分もいる。

 しかし結果、泣き寝入りの状態で、まるで遊び道具の様な扱いで、欲のおもむくまま捌け口にされている。

 私の意思とは無関係に。

 こんな自分は汚れている。

 その反面、醜いとも思う。

 どんなに着飾って、外見を誤魔化せたとしても、私の心が変わらない限り、きっとこのままなんだろう。

 だからなのかな。

 同窓会の知らせが入った時に、凄く楽しみに思えたのは。

 この有り得ない現実から、少しの時間でもいいから、私は逃げたいんだ。

 早く、同窓生に会いたい。

 あってあの頃の様な自分に戻りたい。

 そんな悲観的になっていた時、ふと思い出した。

 平野幸雄と川瀬樹。

 よくこの二人とは、馬鹿みたいな話ばかりしてたっけ。

 幸雄と樹は来るのだろうか?

 そういえば卒業式間際に、樹から告白されたのを思い出す。

 友達としてしか見ていなかったから、何も考えずにフッてそれっきりだなぁ。

 樹は今、どうしているんだろう?

 そんな事を思いながら、段々とベッドの上で、まぶたが重くなってきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る