天野陽子④

 ある日、私は倉庫で在庫整理をしていた。

 トラックから届いた段ボールやカーゴの中に入っている品々を取り出して、所定の棚に分けていた。

 隣で店長が製品チェックをしている。

 ちゃんと納品書に書かれた物が届いているかのチェックだ。

 腕時計を見たら、もう休憩時間に差し掛かっていた。

「店長、休憩に入っていいですか?」

「えっ? もうそんな時間か。そうだね。後は僕がやっておくから」

 私は礼を言って、スーパーの休憩所兼事務所に向かった。

 休憩所はスーパーの二階にあった。その階段の脇に自動販売機があり、私はジュースを買って、二階に向かおうとした時だった。

「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが」

 関係者立ち入り禁止、と書かれている看板の手前に、スーツ姿でいかにも営業マンの男性が立っていた。しかも何だか、気の小さそうな雰囲気で肩を縮こませている。

「何でしょう?」

「私、実はこういう者なんですが」

 と、懐から名刺を取り出した。私は近付いて名刺を受け取る。


『宮田ミート株式会社 営業部 小澤道雄』


 小澤道雄?

 どこかで聞いた事がある名前だった。多分大学在学中だった気がする。私は小沢という男性の顔をまじまじと見た。

「あのー、何か?」

 髪型が変わっているせいなのか。それとも単なる他人の空似なのか、だけど聞いた事あるしこの顔、どこかで見覚えが……。

「あっ!」

 相手は驚いていた。

 当たり前だ。思わず声が出てしまったのだから。

 小澤道雄。私がいた大学のバスケ部に在籍していた、確か学年は一つ下の、大人しい気の小さいあの小澤だ。

 当時は別の学部でいかにも貧弱そうな身体で、運動音痴だから直したいという理由でバスケ部に入部してきた。

「あのー、もしかしてxx大学で何学部までは分からないけど、バスケ部にいた小澤君じゃない?」

 確認しないといけない。

 もし間違っていたら、さっきの反応は失礼になる。

 すると驚きの表情で、

「何故、御存知なんですか?」

 と、逆に尋ねてきた。間違いない、小澤道雄本人だ。

「覚えていないかな? 天野陽子、あんたにバスケを一から教えてた、あの天野」

「えっ? 天野さん?」

「そうだよ。まぁ、大学はフェードアウトしちゃったけど、久しぶりだね。あんた、営業マンなんだ?」

「えぇ、まぁ。成績はあまり良くないですけれど」

 これだ。

 小澤は昔からこんな感じだった。

 大人しいし、気も小さい。本当に営業が務まっているのだろうかと疑ってしまう。 

 でもバスケ部の頃よりはだいぶマシな方になった気がする。

 当時は、何でこんな奴が入ってきたんだろう、と思ったぐらいだ。いくら運動音痴だからといって、少しぐらいは出来るだろうと思ったけれど、本当に運動神経ゼロ。

 壊滅的といっても過言ではないくらい酷かった。

 それでいて、コミュニケーションが余りにも取れないから、誰も彼にバスケを教えようとしない。

 そういう姿を見て、私がつい、彼の教育係に名乗り出てしまった。傍から見たら、それこそ集団無視をしている様で、可哀相だったから。

 あまりにも下手な為、毎回私に「すみません」と謝っていた。というか多分、彼の口癖何だろうと思った。

 営業マンになって、小澤は大丈夫なんだろうか? 上手くやっているのだろうか?

 昔のよしみで、何だか心配になってしまった。

「久しぶりなんだけどさ。ところで、このスーパーに何か御用?」

「あ、あの店長は居られますか? 商品のお話で来たんですけれど」

「店長なら倉庫にいるよ。今、入荷在庫のチェックしているんじゃないかな」

「倉庫? あのー、場所はどちらに」

 あぁ、この感じ。当時よりはマシになってはいるけど、要領が悪いというか、何というか。

「分かった、ついて来て」

 結局休憩所には行かず、そのまま小澤と一緒に倉庫に逆戻り。案内したら、とっとと休憩してしまおう。

 私はその時まで、そう思っていた。

「溝口店長、こんにちは。小澤です」

「おぉ、待ってたよ。少しは勉強してくれたかい?」

「一応、勉強させていただきました」

 あの小澤がまるで、スイッチが入ったかの様に、流暢りゅうちょうに話し始めた。あまりにも驚いてしまい、私は二人の会話している光景に見入ってしまった。

 さっきまでのあの、しどろもどろは、どこにいってしまったのだろう?

 こんな奴だったっけ? 

 私は信じられなかった。

 さっきまでの会話を思い出す。


 「あまり成績は良くない」


 みたいな事を言っていたけど、ここまで営業会話が出来るのなら、それなりの成績は出しているんじゃないか、とさえ思ってしまう。

 謙遜けんそんでもしていたのだろうか。

 あまりの変わり様に、只々驚くしかなかった。

 会話が終わって、小澤はその場を後にしようとしていた。

「ねぇ、あんたって、さっきまで猫被っていたの?」

 私は嫌味な聞き方をした。

「そんな。営業の時だけですよ。結構、無理してやっているんです。そうでもしないと今のご時世、厳しいじゃないですか」

 私はジュースを飲みながら、こいつなりに頑張っているんだ、と思うと同時に、大学時代の小澤と全く違う顔を垣間見て、少し興味が湧いてきた。

「ねぇ、久々に会ったんだからさ、食事でもしない? どう?」

 すると小澤は少し考えて、

「僕と食事なんか行っても、つまらないだけですよ」

 と、申し訳なさそうに答えた。

 また急にスイッチが入った様に、大人しい小澤に戻っている。

「あっそ。先輩の言う事が聞けないんだ?」

「大学の時の話じゃないですか」

「いいから、今度食事でもしようよ。それとも彼女とか結婚でもしているの?」

 そう言いながら、私は小澤の左手薬指を、ちゃっかりチェックしていた。指輪はしていなかった。

「いや、その、実は…生まれてこの方、そういう関係になった事が……」

「えっ、ないの? あんた確か、今年で三十四ぐらいじゃないの? えっ、本当に何にもなかったの?」

「もう、わかりましたから。行きますよ、行きます」

「それじゃあ、決まりだね」

 それからお互いの連絡先を交換して、小澤はその場を後にした。

 不思議なもので、あんなに変わるとは思わなかった。

 それが逆に私の心をくすぐった。

 大学時代のあの頃とは、少し変わった気がしてならなかった。

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