川瀬樹の章
川瀬樹①
幸雄に同窓会に誘われた。
オレはスマホに映る出欠アンケートに、
『出席』
をタップしてソファに投げ置いた。
これでオレは同窓会に参加を表明した事になる。
それを確認して幸雄と少し話をして、幸雄はオレの部屋に泊まっていった。
コイツなりにオレの事を心配してくれたのは有り難かった。数少ない親友に悩みを吐露出来た事がオレにとってどれだけ救いであったか。幸雄はオレの親友だ。いや、心の同志と言っても過言ではない。中学高校と大学には進学せず、いち早く社会人になったオレにとって、こうやって付き合いがあるのは幸雄ぐらいかもしれない。
離婚届に手を伸ばす。
これがオレの心の中で膨らんだ、
アルコールの匂いが残る状態で、出版社に原稿を入稿する事なんてしばしばあった。気付く編集者もいて、最近飲み過ぎなんじゃないですか? と言われてもそんな事は構わなかった。
依頼された仕事さえやってのければ、フリーランスなのだから何の問題もない。現にクレームも来ない。仕事上で問題なんてなかった。あるのはオレ自身。現実と向き合う事が出来ない事が問題なのだ。
だが今日幸雄に告白をして、ほんの少しだけ心の痞が取り除けた気がした。ここまで本気で心配してくれる旧友であり、親友に感謝しなければならない。
この離婚届は明日の朝にでも役所に届けよう。
それからだ。新しい自分と向き合うのは。
翌日。目を覚ますとソファで寝ていたはずの幸雄の姿はもうなかった。朝早くに自宅に帰って、着替えて出勤か。
嫁さんにはちゃんとオレの所に行くと、昨夜伝えているのだろうか。
いや、アイツが嫁さんに行き先を告げずに家を出る、というのはあり得ないだろう。
軽くではあるがオレと幸雄の関係性もよく知ってる人だ。それにあの幸雄を扱える女性なんて中々いない。もし自分が女だったら、幸雄と結婚なんて考えられない。オレと同じでとても面倒くさいヤツだから。
だから幸雄と結婚した彼女はある意味凄いと思っている。
オレは失敗したが、幸雄の所はあの嫁さんがいる限り大丈夫だろう。
シャワーを浴びて、着替えて、離婚届をトートバックに入れて外に出た。
今日はオフだ。この間、出版社に入稿したばかりだから、次の依頼は別の出版社での企画会議だ。でもそれはあと三日後の話だ。それまでは身体をゆっくり休ませ英気を養わなければ。ただでさえ浴びる様に、家でも外でも酒を飲んでいたから。
普段のオレは酒を飲まない。
それでも飲まなきゃやっていられない事があった。
オレにとっては、それぐらいショックな出来事だった。命に係わる様な事ではないが、どうする事も出来ない事実。これからそいつと向き合っていかなければならない。
そんな事を考えているうちに、市役所の前にいつの間にか着いていた。
オレの悪い癖だ。
一つの事を考えこむと周りが全く見えなくなる。
よく言えば集中力があると片付けられるが、オレにとってはちょっとしたコンプレックスでもある。
簡単に言ってしまえば、歩きスマホと一緒だ。
下手したら事故を起こす可能性が高い。気を付けてはいるのだが、一度考え込んでしまうと中々その沼から抜け出せなくなる。
しかし考え方によっては現在ライター業を生業にしているのだから、意外に性(しょう)にあっているのかもしれない。
離婚届を提出したら、何だか身体が軽くなった気がした。
心にあるわだかまりは、雪解けの様に時間が解決してくれるだろう。幸雄の言う通り、このままじゃいけないからな。
アパートに帰って来るなり、トートバッグを放り投げそのままソファに寝転がった。
ひとり気のままっていうのも悪くない、と自分に言い聞かせている様な気がした。
そんなにすぐ立ち直れるわけでもない。オレだってそれなりのダメージは負っている。今は仕方がないが、日を追う毎に右肩上がりに気持ちの整理がついていくだろう。
そんな気持ちに切り替える事が出来たのも幸雄のおかげと言ってもいい。その幸雄が過去の事でオレに感謝していると言っていた。
感謝。
多分
オレは何もしていない。敢えて言うならキッカケを作っただけだ。動いてくれたのはその後の信頼できる大人達だ。だから感謝する相手を間違えている。
そう思うと何故だか今日に限って、幸雄と出会った頃の自分を思い出す。
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