第2話

百合の品種から名付けられたというこの学園は、小中高一貫校ということもあって敷地が広い。

ゆえに、迷いやすい。

つまり、関係者立ち入り禁止区域に入っても「迷いまして」と愛想よく笑えばどうとでもなる。


「会議……どこでやんだ?来賓室か?会議室か?」


一般参加者を装って、教会や校舎付近を探ってみる。小さな噴水と彫像、やや伸びた草木――ここは中庭のようだ。

昼下がりのこの時間帯は、生徒も先生も授業中だ。人がいないぶん探りやすいが、下手に動くとオレ自身も目立つ。


――無闇に歩くのは避けて、場所を絞ったほうがいいな。


立ち止まって、前日調べた学園のメモを取り出す。

人間、頭を使ってると周りへの注意が疎かになるものだ。

だからオレは、声をかけられるまで、奴らがそこにいることに気づかなかった。



「……おじさん?」

「なにやってるの?」


「!?」


さすがに驚いて、メモを閉じる。


鈴を転がしたような声。

幼く儚い見た目の、少女ともとれる少年が一対。


そこにいたのは、聖歌隊衣装に身を包んだままの、あの『純白の神童様』だった。


授業中じゃないのか――そんな疑問も、その人形然とした姿を間近で見て消し飛ぶ。

これが聖歌隊信者だったら、卒倒ものだろう。



「あー……仕事だよ」


「「……仕事?」」


同時に言って、同時に首を傾げる。

今気づいたが、この双子、顔だけでなく声まで全く一緒だ。一瞬乱視かと思って目を擦ってみるが、双子はやはり双子だった。

興味深そうに宝石のような碧眼を四つ向けてくる。



「カメラのお仕事。ってかまだ二十歳過ぎたばかりの野郎におじさん言うな。ほら、分かったら散りな」


子供は下の兄弟を思い出して世話した気分になるから、あんま好きじゃない。しっしと手で追っ払うついでに少し睨みをきかせる。


「ひ……!」


効果はてきめんだったようで、一人がビクッともう一人の後ろに隠れた。

だが、もう一人は隠れたほうを優しく撫でて、立ち去ろうとしない。「……お兄さん」と言い直してきた。


「僕たちもここに用があるんだ。邪魔、しないから……」


「あぁん?そんなら静かに用を済ませろ」


微笑みを浮かべた一人はお辞儀をすると、「……探そ?」ともう一人に声をかけ、二人で地面に座り込んで何かを探しはじめた。


こうなると、オレのほうが気になってくる。

周囲の雑草を不慣れな手で探る彼らに、つい声をかけてしまった。



「……なにやってんだ?」



「よつばのクローバー探してるの」


「りつが聖書に挟みたいんだって」


「クローバー見つけたら、うたも聖書読んでくれないかなって」


「聖書?」


「うん、聖書」


一人が小脇に抱えていた分厚い本を取り出して、嬉しそうにオレに渡してくる。

ファンタジー映画の書庫に出てきそうな魔術本の勢いだ。ついでに中身も魔術じみてる。


「うっわお前、んなもん読んでんのか?幾つだ?」


「七歳」


「七歳のガキが読むもんじゃねーだろ……ガキはガキらしく漫画読んどけ漫画」


「マンガ?神様のマンガなら図書室にあるよ!」


「そういうこと言ってんじゃねぇ……」


思わず痛む頭を押さえる。

ここは組織も信者も腐ってりゃ、教育も腐ってんのか?


「ったく……」


見ていられなくなって、オレは地面にしゃがむと足元に生えていたクローバーを手当たり次第に引っこ抜く。

「え~?」と一人が声をあげた。



「ねーねー、それみつばだよ?」


「そんな根っこから摘んだら、しおりにできないよ?」


「「おじさん仕事サボってていいの?」」



幼い声が二つ綺麗に響く。

そんなとこまでハモらなくていい。



「うるせー。お前らはよつばでも探しとけ」


「「はーい」」


同時に返事をして、クローバー探しを再開する双子。


作業をしつつ改めて双子を観察してみるが、評判の通り作りもんみたいに綺麗な顔をしたガキだ。

二人で相談しながらクローバーを探しているが、利き手も同じらしく、じっと見ていると物が二重に見えているような、変な錯覚に陥ってくる。



――なるほど、これが『天使』で『化け物』ね。


敷地内を歩いている最中、いろんな話を耳にした。その大半がこの双子の噂話だ。


大人や信者から評判がいいこの双子、どうも子供たちからはいいように思われていないらしい。


先生に贔屓されてる、ズルい、歌が上手いだけ……などなど、どの学校でも聞きそうな陰口ばかりだが、その最たるものが『化け物』ときた。


双子というのは昔から忌み嫌われがちだ。そんな風習が廃れた現代でも、やはり珍しい目で見られる。


この双子は見ている限り、驚くほどに違いがない。クローンを疑うレベルだ。

ある人間が二人いて、同じ姿同じ声で同じ仕草や話をする――そんな見方をすれば、誰だって不気味に感じるだろう。


畏敬と畏怖は表裏一体。

天使だの神童だのと称されるなら、その逆もまた然りだ。


有名人でさぞご立派な身分だと思っていたが、本人たちの意図しないところで、こんな幼い子供がよくも悪くも異端視されているのかと思うと、少し哀れに思えた。



「よし……と」


ひとしきり作業が一段落したので、「おい」と声をかけてみる。その頭に手を伸ばしたところで、双子はビクッと反射的に目を閉じた。


殴られるとでも思ったのだろうか。人にビビられるのには慣れているから、特になんとも思わないが。


柔らかい髪のその上に、作ったものを二つぽんぽんと乗せる。双子は青い顔で、全く目を開けようとしない。



「……つまんねぇ本のしおりなんかより、ガキンチョはそれらしく花冠でも被ってろ」


「「え……?」」


そろそろと目を開けて、互いを見つめる双子。

頭の上にあるものを見て、その目が徐々に輝き出す。



「「わあぁぁぁ~っ!!」」


「すごい!冠だ!」


「冠だ!!」


下の兄弟の面倒を見てきた経験が、こんなところで活かされるとは思わなかった。

まぁ自分でも柄じゃないと思うが、こんな小さいのが小難しい本を読むためのしおりを探しているのは、ガキらしくなくて気持ち悪い。


「うたとりつ、どっちのが大きい~?」


「見て見て!おんなじ大きさだよ!」


「「お揃いだ~!」」


互いの花冠を比べ、交換し、頭に乗っけてはまた外してぱちぱちと宝石の瞳を輝かせて花冠を見つめる。

初めて海を見たお子様みたいな反応だ。想像以上に好評で、オレの心も少しだけ和む。


「……こっち見な」


鞄の中に忍ばせていたポラロイドカメラを取り出すと、双子が顔を向けたタイミングでシャッターを切る。

カシャッと懐かしいような、古めかしいような音がした。


「わ!それもカメラ?」


「なんか出てきてるよ?」


「写真がすぐ出てくるカメラだ。……見てな」


印刷口から吐き出される紙。出てきてすぐは真っ白だが、徐々に色がつき、被写体が浮かび上がってくる。


「えー!凄い凄い!」


「僕たちの写真だ!」


「「おじさんくれるの?」」


「……おじさん言うとやらねーぞ?」


「「じゃあお兄さん!」」


「……『じゃあ』は余計だ」



こいつらと話していると疲れてくる。……まぁ、構うオレも大概なんだが。

写真を見る人間全てがこいつらみたいな顔をしていたら、オレも今頃は違う場所で違う写真を撮っていただろうか。


「なにやってんだろうな……」


思わず口に出してしまう。オレは汚い写真を撮るために、カメラに手を出したわけじゃない。

オレが撮りたかったのは、もっと綺麗な、あの空みたいな――……?



「……おい、待て」


気づいてしまった。大きめの聖歌隊服の袖から見えた、陶器のように白い腕。

見間違いじゃなければ、その腕に。



「お兄さん?」


すぐ隣にいた片割れの腕を掴んで、袖を捲る。

くっきりとした赤黒い痣。

痛々しいそれは、白い紙を虫が食うかの如くいくつも並んでいる。


もう一人の袖も捲ると、同じように痣があった。

同じ白い肌に、違う模様の痣。


明らかに外から加えられたその傷が、彼らが天使でも化け物でもクローンでもなく、ただの『虐待されている二人の子供』であることを物語っている。



「お前ら、この傷……」


あまりに痛々しいその傷に絶句していたが、当の本人たちは、気まずそうに隠すでも痛がるでもない。

ただただ、互いに顔を見合わせて不思議そうに首を傾げた。


「神様の役に立てなかったから怒られたの」


「役に立たないと、僕たちいらない子なの」



「……は?」



耳を疑った。こいつらは何を言ってるんだ?



「うたとりつは、いみご、なんだって」


「いみごはいるだけで不幸を招くから」


「だからお歌を上手になって」


「神様のために、役に立たなくちゃいけないの」


「世の中の役に立って、神様に愛されることが」


「僕たちいみごの幸せなんだって」



台詞のようにつるつると出てくる言葉。

それは本人たちの意思によるものなのか、それとも洗脳のように何度も繰り返し言わされてきたのか――


双子がどうして授業に出ないでここにいるか、今分かった。

礼拝のあとに呼び出されて、この時間まで虐待されていたんだ。


手足の至るところに古い傷跡が散見されるが、目立つ傷はかなり新しい。

ここ数時間でつけられた傷だとすぐに分かる。

顔や露出する部分を避けて虐待しているのがまた陰険だ。


「第二章がダメだったって先生に怒られたの」


「僕たちの歌が下手だと、神様が喜んでくれないって」



「……言ってる意味、分かってんのか。お前たち」


声が掠れる。隠す気が全くない。

そんなことってあるのかよ。


これが異常だと、こいつらは知らないんだ。


これが日常だと、当たり前だと……自分たちの幸せだと思わされている。異常に気づいて隠すほうがまだ救いようがあるってもんだ。


認識を改める。

こいつらは天使でも化け物でもない。


身勝手な大人に翼をもがれた、才能を摘まれるだけの哀れな商売道具だ。



「役に立たないからって見捨てる神は神じゃねぇだろ。そんなん愛でもなんでもねーよ」


よそモンの言葉なんざ、物事の善悪もはっきりつかない七歳の子供には響かないだろう。

だが、世の中知らないほうがいいこともあるにしても、この子供たちの無知はあまりに哀れだった。



「神様のためなら、兄弟が殴られてもいいのかよ」


ぴくりと双子の肩が跳ねる。

それはこの問答で彼らがはじめて見せた、人間らしい仕草。



「……僕、りつに痛い思いしてほしくない……。りつ、いつも僕のこと守るから……」


「僕は大丈夫だよ。だって、うたに痛い思いしてほしくないもん」


りつ、と呼ばれたほうが淡く微笑む。

「でも……!」ともう一人が食い下がった。


「僕はやだ!うたとりつをいじめる奴らなんかより、神様なんかよりも、りつのほうが大事だもん」


「うた、そーゆうことは言っちゃダメ。神様も言ってたでしょ?平等に愛さなきゃいけない。どんなに辛くてもね、憎しみをもっちゃいけないんだよ」


天使の名に相応しい笑みを浮かべ、花冠を片割れに乗せると、そいつはその華奢な体を柔らかく抱きしめる。



「大丈夫。僕が毎日お祈りしてるから。ちゃんと役に立てたらね、僕たちきっと幸せになれるよ」


「……うん……」



信仰に盲目的ではあるが、双子の間に人間らしい確かな愛情が垣間見えて内心ほっとする。

今はこの現状が『正しい』と思い込まされ、また本人たちもそう盲目的に思い込んでいるのだろう。サンタがいないと分かっていながら、サンタを信じる子供と同じように。



「さて、どうしたもんか……」


虐待の事実を知った今、放置するわけにはいかない。


だが、どうする?

サツに通報して保護?本人たちを連れていく?


……いや、無理だ。相手は巨大な宗教団体。

こいつらは従順で価値ある商売道具。動いたところで潰されるのがオチだ。



打開策が思いつかない。

そしてこういう時に限って、タイミングというのは重なる。


「あ……」


二階の渡り廊下、その窓に。


「あいつ、あんなところに……!やっぱ会議室か!」


ターゲットが動き出した。

今を逃すと、半年間追い続けた努力が無駄になる。


哀れな双子の今後と、オレの今後――天秤にかける間もなかった。



「お仕事?」


「行ってらっしゃい」


見捨てられたことを知らない天使は、傷だらけの腕で手を振ってみせる。



「「お花の冠ありがとう!」」


顔なんて見れやしなかった。

きっと写真をくれてやった時と同じように、こいつらは笑っていたんだろう。



感謝の声が背中に刺さる。

やがて遠くなり、聞こえなくなっても、オレの心臓はいつまでもじくじくした。

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