アミキリ

ぴとん

第1話 アミキリ

 もう引退したけど、田舎のおじいちゃんは漁師だった。年末にお父さんの実家に帰ると、おじいちゃんの採った新鮮な魚を、おばあちゃんが捌いて振る舞ってくれる。


 いわゆる漁師飯ってやつ。地元の人しか食べられないような珍しい海鮮料理は、どれも絶品だった。


 でもある年、朝方漁から帰ったおじいちゃんは不機嫌そうだった。不漁の年というわけでもないのに、魚が取れなかったらしい。


『網がきれちまった』


『網が?ゴミとかに引っかかったってこと?』


 学校の授業で、海のゴミ問題については習った。海に浮かぶゴミが、網を切ったのではないだろうかと僕は考えた。


 でも、おじいちゃんは首を振った。どこかいたずらっ子なような顔をしていた。


『いやぁ、ありゃ妖怪の仕業だなぁ』


『妖怪?』


『ああ、アミキリの仕業だぁ』


 アミキリ。聞き慣れない名前の妖怪だった。でも、なぜか妙に頭に残る名前で……。





 


 僕は、いや、俺は25歳になった。


 職業はフリーター。いまは先日辞めたアルバイトで稼いだお金で生活をやりくりしているので、無職ともいう。


 辞めた理由は、ネトゲが楽しすぎて、バイトをしている時間がもったいなく感じたからである。


 馬鹿にするだろうか。でもべつに俺の人生なのだから好きにさせてもらう。自由を求めてなったフリーターなのだ。好きに生きなければ損というものだ。


『こんにちは^^』


『今日も例のイベントいきますか』


『いいですね、行きましょう』


 ログインしてすぐ、いつものエルフ少女アバターの子と、いま開催中のミッションに参加する。


 この子は礼儀正しく、しかし気を遣わなくてすむ、なんというか気があうタイプで、数度同じミッションに挑んでいるうちに仲良くなっていった。


 また、一日中どっぷり浸かってる俺と同じくらいこの子もネトゲに依存にしており、どの時間にログインしても落ち合える生活スタイルの合致も仲が深まった理由だった。


 イベントミッションを早々にクリアして、さて今日はなにをしようかと話し合っていたところ、エルフの子は、珍しくリアルの話を持ち出した。


『実は悩みがあるんです聞いてもらえませんか?』


 こんなニートにそんな相談するものじゃないと思ったが、エルフの子は歳下のようだったし、話を聞くくらいはしてみることにした。


 アドバイスはできずとも、歳上にウンウンと相槌でもされれば、多少は安心するものだろう。


『実は僕、専門通っててでもやめようかなーなんて』


『へぇそれはどうして?』


『馴染めなくて……勉強にも興味が湧かないし……』


 ありがちな悩みだった。というかまさしく俺が通った道だった。


 俺もフリーターになる前、少しの間だけ専門に通ったことがある。ある日通うのが馬鹿らしくなって、辞めてしまった。


 もしあの時通い続けていたら、違う未来に辿り着いただろうかと振り返ることもある。


 でもこんな性格だ。結局俺の人生はここに行き着くようにできていたように思う。


 だから俺はこう言ってあげた。無責任なお兄さんの当てにならないアドバイスだと前置きをして。


『なるようになるよ。どんな選択をしたって。自分でやりたいようにするのが一番後悔がないのさ』


 まるで自分に言い聞かせているようだった。


 しかしエルフの子は、そんな俺の虚勢じみた言葉にいたく感銘を受けたようで、ずいぶん喜んでいた。


 そして、ついにこんな提案をしてきた。


『あの、オフで会いませんか?』




 エルフの子は、女の子のアバターを使っているが、一人称が「僕」だし、男の子なのではないかと想像していた。


 万が一女の子だったとしても、専門学校に通っているということは、18以上だろうし、連れ回しても条例には引っかからないだろうと踏んだ。


 電車に乗って街に出ると、この暑いのにずいぶん人間が歩いていた。


 そんなに急いでどこに行くのだろう。そんなに笑って何が楽しいのだろう。


 街を歩く会社員や学生、カップルたちの気持ちがわからない。いまの俺は社会から弾かれているのだと実感する。


 待ち合わせ場所は、俺の住んでるところから数駅離れた場所にあるカラオケになった。向こうに合わせた形だったが、思ったより近所に住んでいるらしかったことは驚いた。


 しかし、少し郊外めな駅であり、はやめに着いてしまったのだが、待ち合わせ時間まで時間を潰せそうなところはあまり無さそうだった。

 

 せいぜい喫茶店が1店と、コンビニと本屋があるくらい。喫茶店で安いブレンドコーヒーでも飲んで待つことにした。


 俺はLINEで、喫茶店で待っている旨を連絡しようとした。


「あれ……?」


 しかし、そのメッセージは送信済みにならなかった。


 未送信状態になって固まっている。


「なんだ……?通信制限か?ギガ使いすぎたか?」


 格安SIMを契約しているとはいえ、今月俺はほとんど外でスマホを使っていない。LINEの送信ができないような制限はかからないはずだった。


 この異常を調べようと、インターネットブラウザを開く。だが、ニュースを見ようするも表示されない。


「これは……」


「お待たせしましたブレンドコーヒーです」


 店員がカップを運んできたので、俺はダメ元で尋ねてみる。


「あの、この店ってWi-Fi飛んでます?」


 店員は申し訳なさそうに首を振る。


「フリーWi-Fiやめちゃったんですよ……。最近はみなさまご自分の携帯回線利用されるので」


「そ、そうですか……」


 困ってしまった。これでは連絡が取れない。


 そのとき、後ろの席にいた女子大生たちが声を上げる。


「あれ、スマホ繋がらなくなった!」


「えー?うちのは使えるよ。あーみんの回線会社どこだっけ」


「みゆちゃんとはちがうとこ〜えー?繋がらないー!」


 コーヒーを啜りながら、その会話に耳を澄ませる。どうやら俺が使っている回線会社が、現在、原因不明の通信障害を起こしているらしい。


 会社は、復旧には時間がかかると発表しているようで、待ち合わせ時間まで連絡は取れなくなりそうだった。


 どうしたものか。エルフの子はいまどのあたりにいるのだろうか。もう駅に着いているのだろうか。さきにカラオケに入って待つべきか。


 俺はとりあえず、マップアプリで、カラオケ屋の場所を調べようとする。


「あ……」


 と、スマホを操作する指が止まる。


 そうだ、インターネットが使えないんだから調べられないんだった。


 ソファに背をもたれ、喫茶店のモダンな天井を見上げる。


 現代人とは、なんと無力なんだろう。インターネットが切断されれば、なにもできなくなるとは。


「ネットを切断……か」


 そのとき、ふと遠い昔の記憶が蘇る。


 田舎のおじいちゃんが、妖怪にしてやられたとぼやいていたことがあった。


 アミキリによって、漁の網が切られたと。


「網(ネット)を切断ってまさかアミキリの仕業じゃないだろうな」


 なんて、ありえもしない妄想を頭に思い浮かべていると、ふと視界の端にゴミがうつる。


「ん?」


 そのゴミには、柄があった。まるで鱗のような。


 目を擦るも、そのゴミは消えない。目の端に意識を集中させて、ゴミの正体を探ろうとすると、それはやがておおきくなっていき……。


 ゴミは長細い蛇のようなものになった。


 しかも、それはタダの蛇ではない。顔にはクチバシがついており、胴体からは小さなハサミが生えている。


「なんだ……なんだ?」


 思わず立ち上がるも、周りの人は誰も気にしていない。この蛇がみえているのは、俺だけのようだった。


 蛇はチラリと、俺の方を見る。クチバシを動かすも、なにも言葉は発さない。


「……っ!こいつ」


 気がついた。この蛇の姿。おじいちゃんから話を聞いた後、図書館の妖怪大辞典でみたアレと同じだった。


「アミキリ……!」


 蛇はハサミをチョキチョキと動かした。まるでこちらを挑発しているかのようだった。


 妖怪アミキリは、こうして俺の目の前に姿を現した。



 アミキリは、俺の頭上を漂っていた。しかし、そのいかにも危険そうなハサミは、時折動かすだけで、直接俺を襲ってくる気配はない。


 気味が悪いが、無害なようだった。


 なぜ突然俺の前に現れたのか、考える。それは俺がこのアミキリの存在を強く意識したからではないだろうか。


 妖怪なんて、人の恐怖が生んだ想像上の生き物。マヤカシである。


 認識しなければ、妖怪なんて存在しなくなるはずだ。俺は徹底的にアミキリを無視することにした。


 コーヒーを飲みきって、覚醒状態になる。これからするべきことを考える。


 エルフの子と連絡が取れない以上、俺ができるベターな選択とは、カラオケ店に着いて待っていることである。


 土地勘のない知らない街だ。目的のカラオケ屋を探すのも時間がかかる。俺は会計を済まして、喫茶店を出た。


 大通りをざっと見渡すが、カラオケ店はない。となると横道をひとつひとつしらみつぶしに探すしかない。これは骨が折れそうだった。


 通行人に聞ければ早いのだろうが、引きこもりをしているうちにコミュニケーション能力が失われてしまい、ひとに話しかけるのが怖くなってしまった。情けないことである。


 本屋、シャッター商店、民家?事務所、不動産屋。やってなさそうな食堂。公民館?


 知らない街並みは、まるで異世界に迷い込んだかのようだった。


 俺はとにかく足を動かす。探せばそのうち見つかるはずだ。時間はまだある。


 小道をのぞき、反対側の道路を渡り、周辺をくまなく探す。ちなみに、この間もチョキチョキとハサミを動かす音は聞こえている。


「うるさいな……くそっどこだよ」


 毒づくも、アミキリはくるくる俺の頭上を回遊するだけだった。


 駅に着いてから、カラオケ店を探すのはまちがいだった。事前に調べておくべきだったのだ。


 俺は先の予定が見えていない。行き当たりばったりで生きている。よくないくせである。


 こういうところを治さなければ、社会人なんてやっていけない。自由なんて語っているが、俺はただ逃げているだけなのだ。できないから、逃げただけなのだ。


 自己嫌悪に苛まれそうになり、俺はふと足を止めた。そして、アミキリを見上げる。


 子供の頃に存在を知った妖怪が、いま目の前に現れたこと。これは意味のあることなのではないか。


「なぁ……アミキリ。お前は何のために出てきたんだ?」


 アミキリは何も答えない。からだをくねらせるだけだ。


「…………」


 俺は考える。俺は内心、道から外れていることに気づいていたし、それをよくないことだと思っていた。


 深層心理が、俺をちゃんとした道に連れ戻そうとして、まだ純粋だった幼少期における印象的な記憶の代表として、アミキリを出現させたのではないだろうか。


 だとすると、アミキリを消す方法。それは、まともになること。


 つまらなくも、当たり前で、まっとうな選択を選ぶことが鍵なのではないか。


「…………」


 俺は、大通りの道に戻る。


 笑顔で歩く人々のなかに、紛れ込む陰気な俺は明らかに異物だった。


 だけど、俺は……。一歩踏み出さなきゃ、次にはいけない。


 ガキでもできる、普通のこと。俺は、前から歩いてきた、楽しそうに会話するカップルに、話しかけることにした。


「それでね、ミキがねー」「うんうん」


「あの!」


 突然声をかけられて、ビクッとする女の子。男の方は咄嗟に身構えた。


 変な声の掛け方をしてしまったが、ここで引けばそれこそ変な人だ。俺は掠れそうな声で、尋ねた。


「○○○っていうカラオケ店、ど、どこにあるかご存知ですか……?」


「ああ、それなら」


 男は警戒心をといて、優しく教えてくれる。女の子も、ただ道を聞かれたのだと気づき、ほっとする。


「ありがとうございました」


 お礼を言うと、カップルはにこやかに去っていった。


 そうなのだ。よほどストレスが溜まってる人でない限り、聞けばひとは知ってることを教えてくれるというもの。


 世の中そんなに捻くれちゃいないのだ。




 無事カラオケ店に着いたとき、まだ待ち合わせの時間より30分早かった。


 スマホを覗くと、通信障害はそのままで、まだエルフの子と連絡はつかなかい。


 俺は店の前のベンチに座り、空を眺める。


 太陽が沈もうとしていた。夕焼けはやけに綺麗だった。現実も案外悪くないものだ。


 アミキリは、いつのまにか俺の視界からは消えていたのだった。



 そして、エルフの子は暗くなっても俺の前に現れることはなかった。




 後日、ネトゲにログインすると、エルフの子にすぐさま謝られた。


「すみません!あの日会えなくて……」


「いやいや大規模通信障害でたいへんだったし気にしてないよまたの機会に会おう」


 エルフの子は、そのアバターでお辞儀をする。俺も自分のアバターで、笑顔アクションをおこす。


 エルフの子は、チャットを続ける。


「あの、実は私、女なんですね、あの日会う前に髪切ったらいつもと違う感じなって、その前髪がうまく決まらなくて……」


「?」


「会うの恥ずかしくなってそのまま帰っちゃったんです、ごめんなさい、、、」


「あ、そうだったの?」


 言わなくても別によかったろうに、エルフの子は正直に話してくれた。


 俺はパソコンの前で、顎を触る。ヒゲが生えていた。


 身だしなみをちゃんとしてから、人に会う。それは当たり前のことだろう。


 あの日俺は、マスクをしているからと、髭を剃らずに外出していた。


 もしかしたら、髭を切らなければいけない、こんな深層心理もアミキリに反映されていたのかもしれない。


「……ちゃんとしないとなぁ」


 俺は必死に謝るエルフの子を宥めて、この日のディリーミッションを2人で仲良くこなし。


 その夜、履歴書を書いて、新しいバイト先候補に送った。


 アミキリはあの日以来、見ていない。



 

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