第43話

 頭の中で、言葉の順番を考えていたその時。

 なにかが響いた。


 雷だったか、耳鳴りだったか。


 そこまではよく覚えていない。

 しかし、閃きがあったのは事実だ。


「だからな、纏愛――」


 声をかけると、ようやく、纏愛がこちらを向いた。

 涙ぐんだ瞳は、暗いこの準備室でも、どこか明るく、煌めいて見えた。


 思わず抱きしめたくなる程――可憐な姿。

 そんな纏愛に、俺は伝える。


「まずは、夢を叶える準備をしよう」


 ポケットに入ったハンカチは、雨で濡れている。シャツの袖で、彼女の涙を拭いながら、俺は言葉を続けた。


「纏愛、今まで俺たちは、何をしてきた?」

「え、えっと、それは……」


 不意な問いに、戸惑う纏愛。

 俺は彼女の頭をポンポン、と二回、優しく叩いてから、答え合わせをする。


「お前が、誰よりも愛される人になるための練習だ。纏愛の夢を叶えるために必要なのは?」

「……人を、知ること」

「そうだ。正解」


 そう言って、頭をくしゃくしゃに撫でてやる。


「もう一つ、必要なことがあったよな」

「うん……言葉を知ること」

「そうだ。それで纏愛は俺を知って、言葉を知った」

「うん。だから、告白した。好きですって」


 この子は、すっかり自分の気持ちを伝えるのが上手になったのかもしれない。彼女が「好きです」と言うだけで、ドキドキしてしまう。


 だが、遅れた青春に浸っている場合じゃない。


「……うん。正直、今でもそれを言われる度に、ドキドキするよ。こんな三十歳越えたおっさんが、しっかりしろよって話なんだけどさ」

「え、するの?」

「そりゃするさ」

「え、可愛い」


 なんでそうなった。

 ツッコミを引っ込ませ、俺は説明を続ける。


「だから、俺の気持ちもちゃんと言う。そのうえで、さっき言った『夢を叶えよう』って話も、するからな」

「…………はい、わかりました」


 体育座りしていた纏愛が、正座に座りなおした。


 態度良し。

 返答もきちんとできるようになってきた。

 これなら、と。


 息を吸って。

 カンタと話した、あの教室を思い出して。

 今度は違うと、証明するためにも。


「纏愛。友達を作ってくれ」

「……え?」

「いや、友達。わかるだろ?」

「うん、トモダチ……ね?」

「わかった。一から説明する」


 今の友達の言い方は絶対にカタカナだった。


 正直、彼女に友達が作れるかどうかなんて、不安だ。以前のように椅子を投げるかもしれないし、変な悪戯をして喧嘩になるかもしれない。


 だが、彼女には俺がいる。

 そんな纏愛を支えるのも教師の仕事であり――俺が、手伝ってやりたいことだ。


「友達を作ってさ。色々な経験をしてほしいんだ。夏休みに花火大会に行ったとか、友達の家で夜通しゲームをして遊んだとか……色んな場所に行って、色んな景色を見て、色んな場面を体験してほしい」

「経験……体験……」


 オウム返しするように、纏愛が呟く。

 しかし、表情はなんとも、といった感じだった。


 この流れは、振られるのだろう。

 そんな悟った表情を見て、からというわけではないが――。


 最初から言いたかったことを。

 彼女に、伝える。


「いっぱい、いっぱい経験してほしい。そしてそれを、実感してほしい。難しいことかもしれないけど、必ず俺がサポートする。これは絶対、約束だ。色んな世界を知って、視野を広げて、センスを磨くんだ。そうやって、夢葉さんも強くなった」

「……」

「そうやって色んな世界を知ったうえで、それもでも尚、纏愛。お前の気持ちが変わらないというのなら――その時は、教師としてじゃなくて、俺として、満道光秀として、改めて返事をするよ」


 全てを伝えきった。

 今度は息切れなんて起こしていない。


 自分のペースで、しっかりと。

 セリフもきちんと長くなってしまった。

 だからこそ、だろうか。


「……なにそれ」


 そう言って。

 纏愛が、笑った。


 きわめて真剣な話をしたのに、笑うとは何事か。


「いや、だからな。色んな経験を積むことでより一層な、纏愛の魅力ってのが――」

「えー! じゃーなに、今の私には魅力が何一つ無いってこと?」

「そうは言ってないだろ!」

「あ、じゃーどこに魅力あるか、言ってみてよ」

「おま、それ今訊くのズルだろ!」

「アハハ! ごめんごめん!」


 いつものように。

 明るい笑顔を見せる纏愛。

 やはり、この子には笑顔が一番似合う。

 それが発揮されるのが限られているのは、非常に勿体ない。


 だから、外の世界に出させる。

 かわいい子には旅をさせよ。

 すぐに旅立たせるわけじゃないが、旅に出る支度くらいは、手伝える。


 だから、だから。


「今のお前も素敵だけど、正直言うと視野が狭い! まるで昔のカンタと同じだ!」

「え、カンちゃんと同じは嫌だな……」

「だろ? だからこそ、色んな経験して、その度に、この間の実験みたく、自分の中に落とし込んで、これからどう生きていくかとか、そういうのをだな」

「……ミッチー今、私の胸見て言ったでしょ?」

「はぇ?」


 いきなり何を言い出すんだ。


 そう言いかけて、俺は「やべ」と気づく。


 纏愛は夢葉さんの娘だ。強気なところとか、勉強熱心なところとか、距離感が近すぎるところとかは、さすが親子だな、と思わせるほど似ていた。


 しかし、それは胸以外だ。


「なに、色んな経験して、色んなこと学んで、その知識を『胸』に蓄えろって言いたいわけ?」

「そ、そんなつもりは――」

「確かにママのおっぱい大きいもんねー。あー、だから私振られたのかー」

「違う! そういうことで言ったわけじゃないって!」


 必死に弁解すると、あはは、とまたも笑って。


「わかってるよ。ミッチーがそんなこと考える人じゃないってことくらい」

「脅かすなよ……こっちも必死で伝えようとしてたんだから」

「わかってるよ。うん……わかってる、わかったよ」


 そう言うと、纏愛はゆっくりと立ち上がった。

 先程まで泣いていたからか、目が赤い。


 だが、綺麗だった。


 今までで一番、美しい彼女の笑顔を前にして。

 俺は、彼女をもう一度、振った。


「じゃーそーいうことで、ミッチー!」

「ん?」


 すると纏愛が、俺に右手を差し出した。

 なんの合図だろう。


 そんな俺の疑問を吹っ飛ばす提案が、彼女の口から放たれる。


「友達になってよ、ミッチー」


 まさかだった。

 好きですから始まり、友達になってよ、と。


 一応、教師ですよ?

 でもこれを言うのは、野暮というものだろう。


 俺は差し出された手を取り、立ち上がって。


「あぁ。でも、友達第二号を作るための作戦会議をしなくちゃな」

「えー! そんなことしなくても作れるよ! 今までだって――」

「今までだって……? 纏愛お前まさか、パパ活してたときの人たちと友達になるとか、そういうのじゃないだろうな?」

「げっ」

「今どき『げっ』って言うやつがいるか! 漫画の読みすぎだ。ほら、作戦会議するぞ」

「ちょ、待ってよミッチー! 雨すごいんだから帰ろーよー」

「雨が止むまで徹底的に仕込んでやる」

「ママのお説教よりひどい!」


 そんなやりとりをしながら、俺たちは理科室へと戻る。

 彼女は文句を言っていたが、なにやらすべて、楽しそうな声だった。そんな気がする。


 さて。

 彼女の夢に、どう応えようか。


 その先に待つ俺は、いったいどんな答えを用意しているのか。

 もしかしたら、纏愛が別の人を好きになって、家族を作るかもしれない。

 その子がこの高校に入学したら、また俺の夢も叶うかもしれない。


 それもまた、人生であり、これから彼女が紡いでいくものだ。

 そこに俺がいるかどうかは、また別。


「まずは纏愛! 同性の友達を作れ」

「一番苦手。無理」

「苦手を克服できるのがお前の良いところなんだ。そんなの朝飯前だろ」

「結構大変なんだよ!?」

「じゃあ黒焦げハンバーグをちゃんとしたハンバーグにするのと、どっちがいい?」

「ちょ、それ出すの反則!」


 また二人で笑い合える時間が、増えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る