第40話
いつも昼休みになると、この準備室は騒がしくなる。
『ミッチー! 今日もお昼食べよー!』
そんな元気な声が聞こえてきたかと思えば、彼女はいつの間にか隣に来ていて。
『またミッチーそんな不健康っぽいもの食べてんのー?』
と、悪戯に言われる。
俺はその指摘に対し、別にいいだろ、といつも答えていた。決まって彼女は、明るく返してくる。
『じゃーまた、作ってきてあげよーか?』
前回、失敗したから食べなくていい、と言っていた本人から出る言葉とは到底思えなかったが。
楽しそうに訊いていた。
その楽しそうな笑顔に、俺も釣られて、また黒焦げで頼むよ、と仕返しをする。彼女はむーっと頬を膨らませて、拗ねる。その様子がとても可笑しくて、二人で笑い合う。
こんな日常を過ごしていた。
これが毎日続いていくような、そんな気がしていた。
ザァ、と雨が強く校舎を叩きつける音がする。
毎日続くと思っていた笑顔や楽しそうな声は、今のこの準備室には無い。雨音と、沈黙。
今までとは、真逆な状況。
纏愛は俺に気付いてから、気づいていないフリをした。明らかに合った目が、逸らされた。
体育座りで、ただただ俯いていた。
一先ず、俺は纏愛の姿を見て、安堵のため息を吐く。
ここにいてくれてよかった。
話しかける前に、俺はスマホを取り出し、カンタに短く連絡を入れる。纏愛を見つけた、と。
今はこれだけで充分だろう。
あとは、俺のするべきことを、するだけ。
「……纏愛、探したぞ」
「……」
声をかけてみるものの、彼女は返事をしない。
これは拗ねているとか、子供のような真似じゃない。纏愛の心に、傷が入った。それが原因であり、それは俺の言動によるもの。
彼女が俺の言葉に耳を貸さないのは、必然的なものだ。
だが、俺はそれで諦めたくない。
「纏愛、あのな――」
「聞きたくない」
やっと返事をしてくれた。
そう思いきや、拒絶の一言。
「ミッチーの気持ちはもーわかったよ。わざわざ、二回も聞きたくない」
「そうじゃないんだ。纏愛、俺は――」
「聞きたくない!」
纏愛が、声をあげた。
いつものような、元気で明るい声ではなく。
全てを拒絶する、怒りの叫びだ。
「……ここにいたって、ミッチーは困らないでしょ。だから、一人にして」
「それは無理だ。ここにお前が一人でいれば、俺は帰れなくなってしまうぞ」
「……なにそれ。じゃー、私が出ていく」
「それも無理だ。今のお前を外に出すわけにはいかない」
立ち上がろうとした纏愛に、俺は端的に話す。すると、ピタリと彼女の動きが止まった。次第に、膝から崩れ落ちるように、再び座りこんだ。
「…………じゃー、どーすればいいの」
「まずは俺の話を聞け」
「そんなの、聞きたくない」
「いいから聞いてくれ。俺の気持ち、ちゃんと伝えたいんだ」
「教師と生徒だからでしょ。もーそれは聞いたし、聞きたくない」
水掛け論。
今日のは互いに熱くならず、そして湿気の高い。そんな論争に、俺は負けずと一言、一言と、纏愛にぶつけていく。
「たしかに俺は、教師と生徒だからって言って、お前を突っぱねてしまった」
「違うよ。ミッチーが振ったんだよ」
「そうじゃなくて! あの時は、ちゃんと俺の気持ちを伝えきれてなかったんだ! まずはそれを、謝らせてほしいんだ」
頭を下げる。
伝える方法は、言葉や文字だけじゃない。
態度、行動で伝わることだってある。
そう、今は信じたい。いや、信じ込みたい。
「すまなかった。お前に伝えたいことは、もっとあったんだ。それを伝えられなかったこと、お前が出ていくところを止めてやれなかったこと――本当に、すまなかった」
俺は頭を下げたまま、纏愛に謝る。
これで許されるとは、許されて良いとは、思っていない。
だからこそ、俺は伝えたいことがあった。
彼女に、もう一度チャンスをもらうため。
「……」
しかし纏愛は、返事をしなかった。
おそらく、許さない、ということなのだろうか。
ならば、と。
俺は伝えられなかった続きを。一方的に、頭を下げたまま。
「さっき、お前の家に行ったんだ。それでカンタから色々聞いて……纏愛が、俺のために頑張ってくれてたってことを、初めて知ったんだ。捨てたと思ってたネクタイを元通りにしようとしてくれたり、美味しい料理を作るためにカンタに手伝ってもらったり、手紙で俺に気持ちが伝わるようにって、夢葉さんに相談してたことだったり……」
「……」
彼女は黙ったまま。
聞いてくれているかはわからない。
それでも、俺は言葉を続けた。
「俺に喜んでほしくて、努力してたんだよな。それを俺は、正直に受け止められなかったんだ。だから、カラオケ屋でお前に手紙を渡された時、素直になれなかった」
息が荒くなる。
きっと呼吸を忘れて話しているからだろう。
それでも俺は言う。
彼女に伝える。
「だからもう一度チャンスをくれ。お前の気持ちをすべて受け止めて、素直に返事をする機会を、俺にくれ。頼む」
言い切った後で。
息切れで俺はしばらく、頭の内に違和感を感じる。
脳が風に晒されているような感覚。
荒くなる息が止まらない。
はぁ、はぁ、はぁ、と。
すると、ポン、と。
暖かい、小さな何かが、俺の背中に触れた。
見上げると、そこには纏愛がいた。
息を荒げている俺に、背中をさすってくれているのだ。
「纏、愛……?」
「いーよ。チャンス、あげても」
その言葉に、俺は思わず膝から崩れ落ちそうになる。纏愛が必死に支え、ゆっくり、ゆっくりと。
二人一緒に、ゆっくり座る。
俺は息を整えるのに必死になってしまう。
それを見守るように、纏愛が背中をさすってくれる。
これではどっちが教師で、どっちが生徒なのかわからないではないか。
「水、いる?」
「……あぁ、あると……助かる」
ちょっと待ってて。
纏愛は自分の鞄から水筒を取り出し、俺に差し出してくれた。
ぐっと一口。
冷たい水を喉に流し込み、もう一度息を整える。
大丈夫、大丈夫。
自分に言い聞かせながら、呼吸を鎮める。
ふぅ、と息を吐き、もう一度、冷水をいただく。
「ありがとう。助かった」
「どーいたしまして」
纏愛は俺から水筒を受け取ると、すぐに鞄の中に仕舞った。
そして俺のもとに戻り、次は肩をさすった。
「ミッチー、身体冷えてるよ」
「……お前の家行くとき、傘なかったから」
「……そっか」
そう言って、何故か俯いた。
何を気にしているのだろうか。
「……じゃー、そんな頑張ってくれたミッチーに、チャンスね」
「お、おう」
急に始まったチャンスタイムに、俺は戸惑う。
チャンス、といっても、俺がただ言葉を紡ぐだけ。
だから、俺の答えを。
「私はさ――」
彼女に対して向ける言葉を――。
「ミッチーの夢、叶えられたかな」
予想外の問いに、俺の鼓動が再び、早まる。
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