第38話

 手紙を読み終えた。


 俺は数分の間、纏愛の気持ちを握りしめたまま、動かずにいた。

 彼女の気持ちは伝わった。これを受け、自分の気持ちを整理しなければいけない。でなければ、カンタの言う通り、俺が纏愛を探す資格など、無いのだから。


 それだけじゃない。俺の喜ぶ顔が見たくて、彼女は必死に頑張った。そのうえで、俺は纏愛を教師と生徒という関係を盾にして、彼女を振ったのだ。


 ちゃんと、それも謝らなければ、いや、謝りたい。


 教師としてではなく、満道光秀として。


 ふぅ、と深呼吸をして、俺は手紙を封筒の中へと戻した。そして鞄に仕舞い、タオルと共に手に取ると、纏愛の部屋を出る。


 下の階に降りると、カンタがいた。


「どー? ちゃんと俺の言いたいこと、伝わった?」

「あぁ。面倒かけたな」

「面倒かけてるのはこっちなんだから、お互い様っしょ」


 そう言って、カンタは拳を俺に向けてきた。

 俺は同じように拳を作り、彼とグータッチする。


「そーだ。一応纏愛に電話を何回かかけてたんだけど、さっきよーやく繋がった」

「本当か!?」

「うん。場所は聞き出せなかった。けど、生きているのは確かだから、ミッチーもそこは安心して」

「そうか……それは本当に、良かった」


 そう言うと、ふらっと、横に身体が揺れた。


 足の力が抜けそうな感覚があった。

 しっかりと力を入れ、踏ん張った。


 まだ、まだだ。


 安心すると言っても、それは彼女の安否が確認できただけだ。


 纏愛の気持ちに応える――本当に彼女を救い出すのは、本番は、ここからなのだから。


「場所がわからないのが厄介だな」

「そーだね、どこか行きそーなとこを探すしか……」

「カンタ、お前に時間があるなら、二人で探そう。それが一番効率が良い」

「時間が無くても、無理矢理作るよ。俺の娘なんだから、何よりも優先しないといけないんだから」


 カンタはそう言って腕をまくった。

 頼もしくなったというか、大人になったというか――。


「親らしくなったな、カンタ」

「そりゃ、中学生の時からやってたら、父親らしくもなるべ」

「……確かに、そうだな」


 そんな話をしつつ、俺たちは玄関のある一階へと降りて行った。扉の向こうから、雨の音が聞こえる。まだ強い雨が降り続けている。傘を持って探すとなると、さらに難易度は上がっていく一方だ。


「こりゃ、まずいな」

「ミッチー傘持ってなかったっしょ。これ使いなよ」


 カンタは玄関に立てかけてあった傘を一本取り、俺に渡してくれた。

 ありがとう、と短く伝え、ボタンを外す。


 さて、どこから向かうか。

 そんなことを考えていると。


「ミッチー」

「ん? どうした?」


 カンタが声をかけてきた。

 振り向き、訊き返す。


「ミッチーさ。俺が進路で悩んで、相談したときのこと、覚えてる?」

「……あぁ、覚えてる」


 カンタが子育てに悩んでいて。

 就職するか進学するかで悩んでいて。

 金を稼がないといけないという明確な理由だけを聞かされて。

 必死に考えて、俺はカンタの気持ちを優先しても良い道があるはずだと、そう伝えた。


「あの時にはもう纏愛が産まれてて、カンタはそれを悩んでいて、俺に相談してくれたんだよな」

「うん、そーだよ。あの時、俺すっげー悩んでさ。自分の意思って何だろうって思って。自分の気持ちって、何なんだろうって」


 カンタは俺から目を逸らしながら、言う。

 きっと、本当に、真剣に、最後まで悩んでいたのだろう。


「俺の気持ちってさ。多分、中学生の時に置いてきちゃったと思うんだよね。本当はもっと友達と遊びたかったかもしんないし、もっと勉強して、良い企業とかに就職とか、夢を叶えるとかさ」

「……でもカンタ、お前にそんなこと考える余裕は――」

「うん、無かった。だからミッチーに相談して本当に良かった。だってミッチーに相談してなかったら、自分の気持ちを無視して、無理をしているって、気づけなかったんだからさ」


 だから、だから、と。

 カンタは言葉を続ける。


「今度はミッチーの番だよ。ミッチー、纏愛のことをどー思っているか、教師としてじゃなくて、ミッチーとして、ちゃんと纏愛に言ってやってよ。その結果がどっちに転んだって、あの子ならきっと、乗り越えられる」


 次に、だって、と言葉を加えて。


「ミッチーが傍にいるんだもん。ミッチーがいれば、安心だ」


 その言葉に、俺は息を詰まらせた。

 自分が教師でよかった。

 そう思わせてくれる、一言だった。


「よっしゃ! 行ってこいミッチー!」


 カンタは、俺の背中を思い切り叩いて、そう言った。


「バカ、お前も一緒に探すんだろ」

「あ、そーいえばそーか。じゃー、見つけたら連絡ね!」

「おう」


 ガチャ、と小鳥遊家の扉を開ける。

 カンタに叩かれた背中が、ひりひりと痛む。

 しかし、苦痛ではなかった。

 気合が入ったような、そんな感覚。


「行くか!」


 傘を開き、大雨の中へと飛び出していった。

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