第27話

 先程から、校長が汗を拭う回数が増えている。

 纏愛はきっと、校長のなにかを知ろうとしている。


 無機化学でやった、アプローチの仕方。

 これがここで活きてくるとは思わなかったが、彼女はきちんとインプットし、この場でアウトプットしようとしているのだ。


 さあ纏愛。

 次はどう攻めていく?


 彼女はあちこちに貼られている、校長の愛犬ポスターを指差して、俺に訊いた。


「このワンちゃん、校長の?」

「あぁ、そうだ」

「ミッチーってこの子の名前知ってる?」

「知ってはいるが……ん? なんでそれを――」

「この子の名前、キラボシちゃんで合ってるよね?」


 なんで知ってるの!?


 校長はよくこの愛犬の話をしたがる。めちゃくちゃ話す。酒の席になればその話だけでラストオーダーまで行くレベル。


 しかし、これはうちの教師陣しか知らないはずだ。


 そして、気がかりなのはもう一つ。

 仮に、もし誰かが生徒に校長の愛犬の名前――キラボシのことを話したとしよう。


 纏愛はボッチだ。


 友達を作っていない。

 学校で話せるのは、俺しかいないはずだ。


 もちろん、俺は校長の愛犬の話など、彼女にするわけがない。というか興味ないだろうし。

 そんな環境にいる纏愛が、何故キラボシのことを知っているのだろうか。


「んでさ、ミッチー」

「いや待て。なんでお前がキラボシ――ちゃんのことを知ってるんだ?」

「校長って、『綺羅星』ってお酒飲むでしょ?」

「なんでお前が酒の名前を知ってるんだよ!」


 しかも泡盛だぞ。


 高校生が知っていたとしても、有名どころの、麦焼酎とか芋焼酎とか、日本酒の名前くらいだろう。

 彼女が言い放ったのは、これらのどこにも属していない。


「飲み方は、最初は水割り。それからロックに変えて――」

「お前はなんでそんなことまで……って、まさかお前飲んでたりは――」

「してないよ!」


 さすがにそうですよね。

 そう思いつつも、俺は驚きを隠せないでいた。


 校長の飲み方まで知っている。

 まるで、校長と一緒に居酒屋に行ったみたいな――。

 ……ん?

 校長と、飲みに行ったみたいな……?


「最初は違うお酒を飲んでたんだけど、キラボシちゃんと同じ名前のお酒を後で見つけて、これは運命だーって! それからそのお酒飲み始めたんだよね」


 ガチの裏話。

 実際、校長とそのお酒は纏愛の言った通りの出会いを果たし、今も重宝して飲んでいる。


 これ、もしかして……。


 ふと、入学初日の夜を思い出す。

 あの日、纏愛は中年男性に無理矢理ホテルに連れていかれそうになっていた。


 カラオケ屋の前。


 店によっては、綺羅星を扱っている場所もあるだろう。


 そして、あのひげ。


 しかし、一つだけ不可解なことがあった。

 あの時の中年男性は、きちんとした髪型をしていた。


 校長は、言ってしまえばハゲだ。

 イコールとして結ぶことはできないか。


 そう思った矢先、纏愛が嬉しそうに言った。


「あー! やっぱりー! キラキラおじさんじゃん!」


 彼女はスマホを取り出し、校長の元へと近づいていく。

 え、なにキラキラおじさんって。


「見て見てー? これ、l前に一緒に撮った写真。すっごいよく盛れてない? あ、元画像これね。すごくなーい? あ、記念にもう一枚、カツラ無しバージョンっと」


 いえーい、と指ハートを作って、パシャリ。

 纏愛と校長のツーショット写真が撮影された。


「おい纏愛、ちょっと待て」

「え、ミッチーもしかして……まだ気づいてない?」


 そう言うと、今度は俺の方へと寄って、纏愛はスマホの画像を俺に見せる。


 一枚目。さっき撮った写真。

 二枚目。さっき言っていた、元画像とやら。これは二人で以前撮った自撮り写真だろうか。


「ほらこれ。髪の毛の部分隠して見せるから、比べてみてよ」


 彼女はスマホの上部を手で隠し、一枚目、二枚目、一枚目、二枚目とスワイプする。


 たしかに、顔が同じだ。

 ということはやはり、あの時の中年男性は――。


「校長……?」

「そーだよ! ほら、ミッチーが助けてくれたときのあのキモイおじさん! あれ校長だったんだよ! わざわざカツラつけてんの!」


 ちょーウケる。

 そう言って、纏愛はげらげらと笑いだした。


 なるほどなるほど。


 状況、というか、今回の件を一から整理してみよう。


 まず、校長はパパ活をしていた。

 その相手が纏愛で、そこに偶然俺と居合わせてしまった。


 しかし、校長はワンチャンがあると思ったのだろうか。纏愛を諦めきれず、SNSまで突き止めるまで固執した。

 そして、俺と仲が良い画像を見つけると、それを理由に俺を辞職まで追い込もうとした。


 さらに、ゲームを行うことで、纏愛の退学は撤回し、辞職は仕方がないと思わせる。

 その後、纏愛に近づき、パパ活では越えてはいけない一線を越えようと企んだ。


 といったところだろうか。


「校長先生……一ついいでしょうか」

「な、なんでしょう」


 びちょびちょになったハンカチで、まだ汗を拭う校長。

 そんな彼に――中年男性に、俺は。


「未成年と同伴して酒を飲むなど、言語道断! 無理矢理飲ませていたりしないでしょうね?」

「ミッチー、私飲んでないよ」

「ならば良し。いいや良くない! あの時、纏愛は制服を着ていたはずだ! 自分の生徒だとわかっていながら、パパ活をしていた――それは在学中、このことを利用して纏愛を自分の言いなりにしたかった……そんなところだろう! 違うかっ?」

「いや、私はそんなことなんて、ねぇ」

「なら汗を拭うのを辞めたらどうです? 隠しきれてませんよ。カツラ、使います?」


 言うと、校長は何も言わなくなってしまった。

 少し、煽り過ぎただろうか。


 こんな人、いやこんなクズでも、一応は雇い主だ。

 逆らってしまったことに変わりはない。きっと、解雇は免れない。


 しかし、纏愛を守ることはできた。

 校長の作戦を見抜き、事前に防ぐことができた。


 それだけでも、いいじゃないか。


 夢は終わってしまう。

 でも、それでも。


 俺は教え子の子供を、守ることができたんだ。

 充分だ。


「……ねー、ちょっといー?」


 すると、纏愛が校長に声をかけた。

 またも同じように校長の元へ近づき、スマホの画面を見せる。


「ちなみにだけど、私のママって所謂ネットニュース系の社長やってんだよね」


 あ、待って纏愛さん。

 それはちょっと――。


「どう? この写真。ママに見せたら、スクープになると思わない? 有名私立高校の校長、自分の学校の生徒とパパ活って記事。バズると思わない? ねね、そうしようよ! その方が絶対楽しいって!」

「落ち着け纏愛! それはやりすぎだ!」


 夢葉さんの会社はとても影響力がある。

 これをスクープにしてしまえば、学校が終わってしまう可能性がある。


 それでは俺の夢が、また遠くなってしまう。

 あ、でも退職させられるから問題ないのか……?


 いや、そういう問題では――。


「だからさ、ミッチーの解雇、無しにしてよ」


 とても、低い声で。

 纏愛が、とどめを刺した。


「いや、それは……ねぇ」

「じゃーママに送っちゃうよ? いーの? ワンチャン逮捕かもよ?」

「いや、ちょっとそれは――」

「さっきからそれしか言わないじゃーん……えーつまんない、もー送っちゃおーかな」

「待って! 待ってください!」


 必死になって、校長は大きな声を上げた。

 次第に、膝から崩れ落ち。


「すみませんでした……この件については、無かったことにしてください……」


 土下座をした。

 なんだ、この図は。

 自分の校長室で、女子高生に土下座する校長。


 俺は記念にパシャリと。

 一枚だけ、こっそり写真を撮った。



「じゃ、ミッチーの写真消すから。あと、私のSNSのアカウント消すから! もー探したりしないこと!」

「わ、わかりました……」


 そう言って、校長は纏愛に大人しくスマホを渡した。

 これで一件落着、といったところだろうか。

 あ、いや待てよ。


「纏愛、ちょっといいか?」

「ん? まだ何かこのおじさんに言われてたことあったの?」

「いや、そうじゃないんだが……」


 俺は、纏愛の在学をかけたゲームを校長と行ったことを話した。

 そして、結果的に負けてしまったこと。

 免じてもらい、彼女の退学を取り消してくれたことを。


「え、そんなことしてたの……」

「あぁ。だが、スワイプはできたのに、タップがどうしてもできなくてな」

「あー、これのこと?」


 そう言うと、纏愛はサクサクと校長のスマホを操作する。

 そして、俺に画面を見せながら、画像の消去を行った。


「え、どうして……」


 俺ができなかったことを、纏愛はいとも簡単にやって見せた。


「ミッチー知らないの? このスマホのこと」

「知ってはいるさ。ご高齢の方向けの『ゴクラクスマホ』だろ?」

「はー、これだから現代人は……」


 お前の方が現在人だろ。


 そう思ったが、ツッコミは入れなかった。

 次に来た言葉が、あまりにも衝撃的だったからだ。


「ほら、間違って広告押しちゃうときってあるでしょ? そーいうので、おじいちゃんおばあちゃんは詐欺に引っかかっちゃうんだよ。それを防止するために、誤タップ防止設定っていうのがあるの」


 そう言うと、纏愛が別の画像を消す操作に入る。しかし、俺と同じように、タップしても反応しない。


「こうやっていつものスマホみたいに軽くタッチしただけじゃ、反応しないよーになってるの。ここ、グッて力強く押してみ?」

「こ、こうか?」


 言われた通りに、力を込めてタップする。

 すると、画像の消去に成功した。


「ま、パパ活してるとこーいう機能を嫌でも知っておかないと、連絡先とか交換できないからさー。あ、私の連絡先消しとこ」


 纏愛は、スマホの操作を続けた。


 なるほど。

 この機能は、高齢者の方しか知らないようなものなのか。


 きっと纏愛も、パパ活をしていなければ、誤タップ機能のことは知らなかっただろう。

 俺はその罠に、まんまと引っかかったというわけだ。


「ミッチーそれでこんなおじさんに負けたの? やっば、カンちゃんに報告しとこーっと」

「……カンタにはいいけど、夢葉さんには……」

「諦めなって」

「いや諦めてるけど、あの人に笑われると思うと、なんか嫌だ」


 そんなやりとりをして、校長と今回の件を白紙にする約束を交わした。

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