第24話

 その日、俺は気持ちが追い付かず、どう纏愛に接すればいいかがわからなくなってしまった。


『すまない、今日は急用ができたから、科学部はお休みだ』


 メッセージを送るだけで、精一杯だった。


 彼女からの返信はいつも通りの明るい言葉。俺にはそれが眩しいもののような、後ろめたさがあるような。そんな複雑な感情と共に、部屋の電気を落とすと共に、一日を終えた。


 ◇


 翌日。纏愛から催促が来てしまった。


『聞きたいことがいっぱいあるんだけど、今日はお昼一緒に食べれるよね?』


 メッセージに、いつもとは違う雰囲気を感じた。これは応じるしかない。

 大丈夫だ、と簡単に返信をしてから、昼休み。


 いつもの理科室。

 いつもの準備室。

 いつもの二人。


 だけど、二人はいつものような会話をすることはできなかった。俺は黙々と昼食を済ませ、纏愛は俺のことを見つめている。というか、睨んでる。


「な、なんだよ」

「いや、何かあったでしょ」

「べ、別に何もなかったぞ。校長とは……そうだ、いろいろと褒めてもらったんだ。だからお前が心配するようなことは一切ないし、それにほら、この前カンタとも話せて――」

「セリフ長い。図星なんでしょ?」


 必死に考えた言い訳を、途中で遮られてしまった。

 しかも、嘘だとバレてるし。


「白状しないと、ママ呼ぶよ」

「おい、そこで夢葉さんはズルいだろ」


 もしこの状況で夢葉さんが登場したら、どうなることか。

 絶対に尋問を受ける。


 そして、あの人は行動力のある人間だ。

 思いついたら即行動。それが功を成したのか、会社が急スピードで成長したのかもしれない。


「……」


 夢葉さんの召喚はまずい。

 しかし、打開策を思いつくことができない。


 纏愛との距離感。

 教師をクビになること。

 彼女の在籍をかけたあの勝負。


 どこをどこまで話せばいいのか。

 わからない。わからない。


 このことを聞いて、纏愛がどう感じるか。

 きっと、自分を責めるかもしれない。


 それで万が一のことがあってしまうのが、最悪のケースだ。それならば、大人としての嘘を吐いた方が良い。

 だが、その嘘が――。


「あ、もしもしママ? 今ミッチーが――」

「纏愛さん話します。電話切ってくださいお願いします」


 時間の猶予をもらえなかった。


「それで良し。昨日、校長と話したんだよね? 何があったの?」

「いや、それが……」


 俺は諦め、二つのことを話した。


 まず一つ。メイクで遊んでいたときの写真を、校長に見つかってしまったこと。

 そして二つ。これがキッカケで、俺が教師を辞めないといけなくなってしまったこと。


 纏愛の在籍をかけた勝負は、話さないことにした。


 結局、彼女はこの高校に通うことができるのだ。これを話したところで、仕方がないし、纏愛のメンタルを傷つけるだけだと判断した。


 話し終えると、纏愛は「なにそれ」と静かに言ってから。


「私のせいじゃん……」

「いや、もうこれは済んだ話だ。だから良いんだよ。SNSにあげるなんて、今は普通のことだろ? 纏愛は普通のことをしただけで――」

「そうじゃない!!」


 纏愛は大きな声で、俺のフォローを遮断する。

 彼女は普段から声が大きい方だが、いつもは楽しそうだなと伝わってくるものだった。しかし、今回は違う。怒りの感情。纏愛は今、怒っている。


「私のせいで、私のせいで……」

「纏愛、落ち着け。一回深呼吸をしよう」

「そんなことしてる場合じゃない」

「だが、今お前はとても冷静じゃない。一度冷静になれ」

「冷静になんてなれない!」


 纏愛は、声を震わせた。

 彼女の中で、気持ちがゆらゆらと揺らめいているのが、伝わってくる。


「冷静になんてなれるわけないじゃん。なんで、なんでミッチーはそんなに冷静でいられるの? 大人だから?」

「いや、仕方がないと割り切っているだけだ。だから俺のことは気にしないでくれ」

「気にするよ!」


 三度目の怒号。

 こんなにも心を乱している纏愛は、初めて見る。


「だって、だって、だって!」

「纏愛、落ち着け、深呼吸、それで水を――」

「だって、私のせいで、ミッチーの夢、叶わなくなっちゃうじゃん!」


 絞り出すような声。

 彼女は目に涙を浮かべ、零れるのを必死に堪えていた。


 俺の夢。

 私立高校に就職し、教え子の子供が入学してくれた時の感動を、味わいたい。


 このことは、纏愛には話していないはずだ。

 なのに、なぜ彼女は知っている?


 答えは、一つしか考えられなかった。


「……カンタから聞いてたのか。俺の夢」

「うん……。カンちゃんは、私が入学することで一応叶うことにはなると思うけど、多分ノーカンって言ってた。私も、そう思った」


 カンタが卒業してから十年。

 娘である小鳥遊纏愛が入学した。


 しかし、俺が求めていた感動とは違った。

 それは事実だ。


 だけど。


「纏愛。いいんだよ。叶えてくれたよ。だから俺はもう充分だ」

「……」


 彼女は俯き、返事をしてくれない。


「いいか。これは仕方のないことだ。教師を辞めるのは少し残念だけど……もう、割り切るしかないんだ」


 そう言って、俺は彼女の頭を撫でた。

 距離感が難しいと思っていたが、これはノーカンだろう。


 大丈夫、大丈夫。

 言葉で伝えなくても、こうして伝わってほしい。

 そう願いながら、俺は彼女を慰める。


「だから纏愛。お前が気にすることじゃない」

 できるだけの優しさを込めて。

 俺は彼女に言う。


 しかし。

 纏愛は、それで割り切れる人間ではなかった。


「……かない」

「ん? どうした?」

「……納得、いかない!」


 纏愛は立ち上がった。

 おいおいちょっと待て。

 嫌な予感がする。


「私、校長先生と話してくる」


 ほら絶対そんなこと言い出すと思った!


「待て纏愛! そんなことしたって俺の退職は決まって――」

「話してみないとわかんないじゃん!」


 纏愛は自分のバッグを持ち、颯爽と理科室を出ていく。


「でも、結果は変わらない! これはもう決定事項なんだ!」


 彼女の後を追いかけながら、俺は止めようとする。

 しかし、纏愛は言い返す。


「最後までやってみなきゃ、実験結果はわからないんでしょ、ミッチー!」


 一度振り返って、そう言い放った後、纏愛は駆けだした。


 だから廊下を走るな! 追い付けないだろ!

 内心で怒りながら、俺は纏愛の後を追う。

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