第19話

 纏愛に準備室の秘密を握られてしまった俺は、一人の空間を失った。昼休みや授業が無い時間、先生方がいると気が散ってしまう。それを回避するための、準備室引きこもり作戦。失敗に終わる。


 しかし、不思議と嫌ではなかった。

 隣にいるのは教員ではなく、カンタの娘である纏愛。


 悪戯をされたり実験をしたりと、少なからず他の教師陣に比べたら、マシだ。それに、ここを纏愛が使っていいのは昼食の時のみと約束している。たったの一時間を一緒に過ごすくらい、どうってことない


「……にしても、お前の弁当はすごいな」


 俺の右側に座って食事をしている纏愛。彼女の目の前に置いてある弁当箱の中身を見て、俺は眉をひそめる。


 纏愛の弁当箱のサイズは一般的なものと同じ。しかし、きっちりとした盛り付けされているおかげか、一つ一つの料理が高級食材に見えてしまう。タコさんウィンナーの目、あれキャビアとかじゃないよな?


「さすが料理人ってところか」

「んー? これ、ママが作ったおべんとーだよ?」

「え、そうなのか?」


 俺と付き合っていたころの夢葉さんは、料理が得意ではなかった。帰ってくると、いつもコンビニ弁当。会社が軌道に乗ってからは、高いお店にばかり行っていたようだが。


「うん。小さいときから、ママがいつも作ってくれてるよ?」

「夢葉さん、料理苦手なのに……?」

「でもほら、私が小っちゃかった頃、カンちゃんはまだ高校生だったから」


 纏愛のその一言で、ピンと来るものがあった。


 カンタ親子は十三歳差。纏愛が幼稚園や小学校に通うとき、カンタはまだ高校生か、料理を習い始めている頃だったはずだ。


 となると、少なからず彼女の幼少期は、夢葉さんが担当していたのだろう。ご飯に家事、纏愛の面倒など。


「そうか……そうだったんだな」


 その時からお弁当を作っているのであれば、纏愛の好みやちょうど良い量を把握できている夢葉さんが担当したほうが良いに決まっている。


 ――大変だったんだろうな、二人とも。いや、纏愛もか。


 そんなことを考えながら、俺は夢葉さんが丹精込めて作ったお弁当箱に目を向ける。


 じゃああのタコさんの目は、ゴマかな?


「そういうミッチーは、いつもそれしか食べないよね」


 纏愛は俺が手に持っている栄養食品を指差し、真似するように眉をひそめた。


「こっちの方がバランス良く栄養摂取できるし、時間がかからない。効率重視」

「そんなこと言っちゃってー。ミッチーそのうちロボットにでもなるんじゃない?」

「ならんならん」


 でもロボットになれたらちょっと楽しいかもな。演算とかわざわざ自分でやらずに、コンピューターがやってくれるわけだし。


「お腹空かないの?」

「そんなに」

「満足する? 美味しいもの食べたいとか思わないの?」

「満足ってわけじゃないが、食べ過ぎも良くない」


 短く答えて、俺は飲み終えた栄養ゼリーをゴミ箱へ持っていく。

 纏愛は、ふーん、とだけ言葉を零し、上手に食べ物を口の中へと運んでいった。


 彼女の隣に戻り、俺はふぅ、と息を吐いて天井を見上げた。

 そういえば、手料理とかあんまり食べなくなったな、と思い出しながら。


「でもさ、好きな食べ物くらいはあるでしょ?」

「好きな食べ物かぁ」


 夢葉さんに連れて行ってもらったお店はどこも美味しかったっていう印象で、そんなに記憶は無い。両親とも数年会っていないため、いわゆるお袋の味、というものも俺の中には存在していない。


 うーん、と考えて。

 あっ、と思い出す。


「カレイのから揚げは、美味しかったな」

「いやミッチーさ、カレーは揚げたら危ないでしょ。せめてカレーパンにしときなって」

「魚の方な。鰈、ヒラメの逆バージョン。知らないか?」


 俺は自分のスマホを操作し、実際の写真が上がっているサイトを見つけ、纏愛に見せてやる。


「ほんとだー……めっちゃ逆だね」

「めっちゃ逆だろ? こっちの方がカレイな。そのから揚げが好物になるかな」


 あともう一個、好物を思い出したが、それは言わないことにした。

 これを言われると、笑われる気がしたから。


「なんか、ミッチーって変わったものが好きなんだね」

「そりゃ子供じゃないんだ。ハンバーグが好きとか言わないだろ」

「えー、別に良いと思うけどね。ハンバーグが好きな大人がいても」


 え、そう?

 だとしても言いにくいでしょうよ。


「でもせっかく好きなものあるなら、自分で作ればいいのにー」

「揚げ物は面倒なんだよ。油を固めて捨てないといけないし、一人暮らしだと余計にな」

「そーいうもんなの? カンちゃんそーいうのいつも作ってるから、簡単なことだと思ってた」


 そんなわけあるか、と内心でツッコミを入れる。


 しかし、彼女にとってカンタは『父親』というよりかは『兄』のような存在。彼が簡単に作れてしまうものはすべて、簡単に思えてしまっても、無理はないかもしれない。


「えー難しいのかー……じゃあ、他に好きな食べ物ないの?」

「他、他か……」


 先程思いついた一つはある。

 あるには、あるんだが……。

 しかし、他が思いつかない。

 ここは、昼休みが終わるまで考え続けるフリでもして――。


「……」


 じーっと。

 纏愛が俺を見つめていた。


「な、なんだよ」

「いやー? なんか怪しいなーって」

「何が怪しいっていうんだ。どこを証拠にそれを言っているのかは知らないが、俺は別にお前に隠すことなんてないし、怪しいことなんて一切考えてない」

「ほら、セリフ長い」

「あっ」


 やってしまった。

 これは癖になってしまっているな。

 早めになんとか治さなければ。


「あるんでしょー? ほら、お姉さんに言ってみなー」


 そう言って、纏愛はスマホの画面を俺にちらちらと見せてくる。映し出されているのは、以前撮られてしまった準備室の写真。


「なんだその飲み屋にいるときみたいなノリ……」

 ――それを脅しに使うのはやめてくれ。


 内心とは別の言葉を返し、俺は考える。

 さっき良いって言ってたし、大丈夫、かな。


「ほれほれー。ほれほれー」


 纏愛は悪戯に嗤いながら、俺にスマホを押し付けてくる。

 くっ、言うしかないのか……。


「……―グ」

「え? ごめんもう一回!」

「ハン……バーグ……」

「え、ミッチー……ハンバーグが好きなの?」


 俺は纏愛から目線を逸らしながら、小さく頷いた。


 先程、大人がハンバーグが好きなんて言えるわけないと言ってしまったばかりに、これは恥ずかしい。


 すると、纏愛が。


「え、ミッチー! ハンバーグ好きなのに、見栄張ったのー?」


 俺の顔を覗こうとしてくる。

 必死に抵抗しながら。


「良いんだろ! ハンバーグ好きな大人がいても!!」


 恥ずかしすぎる。

 格好つけたことも、この言い訳も。

 黒歴史に刻まれるレベルだ。


 だが、纏愛は笑いながら。


「うんうん、良いと思うよ!」


 どうしてか、肯定してくれた。


 その言葉に俺は理解ができず、きょとんとしてしまった。いや、理解はできている。俺が好物を言ったのだって、ハンバーグが好きな大人がいても良いって、彼女が言ったのだから。


 おそらく、見栄を張ったことを否定されなかったことが、俺の脳をかき乱しているのだろう。


 こんなことは今までなかったことだから。


「……うん、良いと思う、めっちゃ……ぷっ」

「おい! いつまで笑ってんだ!」

「だって、可愛いってなっちゃって」

「か、かわ!?」


 なんでそういうことになっているんだ。


 纏愛は俺を知ろうとしてくれている。しかし、俺の方がまだ彼女のことをそんなに理解できていないのかもしれない。


 否定されなかったり、可愛いと言われたり。

 と思ったら、いつまでも見栄張ってたことに笑っているし。


「ほら、そろそろ片付けするぞ」

「う、うん……はー、お腹痛いー」


 静かに片づけを済まし、生徒や先生方が周りにいないことを確認しながら、俺たちは理科室を後にした。


 直後、俺のことを思い出して大声で纏愛が笑い始めたときは、すごくヒヤヒヤした。



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