第18話

 実験が終わった後は、得た結果を考察するまでが授業だ。しかし、今回は半分授業ではない。それに、纏愛が一人で考える時間も、ある程度必要になることだ。実際、いつも明るい纏愛が、珍しく真面目な顔をして上の空になっている。


 考察はあえてしないことにしよう。


 これから片づけに入るのだが、俺は先に危険な水ナト、アンモニア水を準備室に仕舞いに向かった。


 纏愛が万が一、これらを零してしまったりしたら、大変だ。ボトルを元の位置に戻し、俺は棚の扉を閉めた。次にやるとすれば、実験物の処理だ。


 俺は準備室のドアノブに手をかけながら。


「纏愛、片づけを始めるぞ」


 と言って扉を開けた。

 直後、二人とも硬直した。


 俺は扉を開けてから、そのまま。

 纏愛は、ワイシャツに腕を通すところで、そのまま。


「ミッチー!!」

「これは事故だろ!」


 そう言ってすぐに扉を閉める。


 なんでここで着替えているんだ。

 もっとこう、別の教室で着替えるとか、色々方法はあったはずだ。


 華奢な身体に少し膨らんだ白色が、目に焼き付いている。そして、理科室に入る際に蹴られたときに見えた、青と白のストライプも。


 上下揃ってないじゃないか。


「……纏愛、その、悪かった」


 扉越しでも聞こえるように、大きめに声を張る。


「……大丈夫。私も着替えるって、言っとけば良かったね」

「まあなんだ、その……終わったら片づけを手伝ってくれると、助かる。それまではここから出ないから」

「うん、わかった」


 気まずい会話。


 そして、両方の下着を見てしまったことで、纏愛の身体、スタイル、色、様々な情報が妄想を膨らませ、彼女の裸体を無意識に想像してしまう。


 高校生とはいえ、少し控えめ――夢葉さんのは大きかったが、胸は遺伝しないのか?


 そんなことを考えていると、コンコン、とドアがノックされる。おそるおそる開けてみると、胸を隠すように腕組をした纏愛が、ムスッとした表情をしていた。


「き、着替え終わったか」

「うん……」

「そ、そしたら、試験管の中身処理して、洗うから少し手伝ってくれ」

「……いいけど」


 なんだか、返事が短い。

 やはり見られたことを気にしているのだろうか。


 こういうときは見なかった体を装うのが鉄板だが、今はそれができない状況。打破するには、どうするべきだろうか。


「……じゃあ、纏愛には試験管を洗ってもらおうかな」

「うん……」

「その間に、俺はゴミ箱を片づけてくるから」


 そう言って、俺はゴミ箱へと向かう。


 一度別々になることで、お互い心を落ち着かせる必要があると判断した。それに、この場には纏愛の荷物――鞄の中にはジャージが入っている。こんなことがあった後で、俺が理科室に一人で残るのは、さすがに警戒をするだろう。


 そう思っていたのだが。


「待って!」


 キュッと、纏愛が俺の白衣の袖を引っ張った。

 え、と振り向くと、纏愛は必死に。


「ゴミ箱は私がやるから!」

「いや、俺やるからだいじょう――」

「あ、そうだ! 準備室に捨てるものあったりしない? それも一緒に捨てようよ!」

「お、おう……?」


 なんだか、言動が怪しい。

 そして、その異変の原因が、俺には全くわからなかった。


 何故、ゴミ箱を自分からやろうとするのだろうか。偏見ではあるが、女の子がゴミ箱の処理を自ら進んでやるようなイメージはない。


「ほら、なんか落ちてるものない!? 埃とかすごいんじゃない? こっちも掃除しちゃおーよ!」

「お、おう……?」


 やる気に満ち溢れた台詞を吐き、纏愛はゴミ箱を両手で持って準備室へと入っていった。続くように、俺も準備室へ入る。そして、あることを思い出す。


「……ミッチー、なにこれ」

「あぁ、これはだな……」


 準備室には、栄養食品のゴミが散らかっていた。

 ゼリー系のもの。固形物、サプリまで。


 俺はどうしても、他の教師と人間関係を上手に築くことができなかった。そのため、昼飯はこの準備室に籠り、一人で昼休みを過ごしている。


 ゴミは後で片づければいいか、と毎月一回、きちんと掃除はしているのだが……。この日はまだ、掃除していない日だった。


「いや、ここで昼飯をだな」

「え、ミッチーここで食べてるの?」

「そうだ、誰もいないから落ち着いて食べれるんだよ」

「食べれるって言ったって……え、一人で食べてるってこと? ここで?」

「そうだな」


 答えると、纏愛は意外そうな表情を浮かべ、辺りを見渡した。

 普通なら、職員室で食べるから、そりゃ意外なんだろうが……そんなに見渡す必要ある?


 次第に、纏愛はスマホを取り出し、準備室の風景を何枚か、シャッターを落として保存し始めた。


「もしかしてこれ、他の先生に言ったらやばいやつなんじゃない?」


 スマホの画面を見せながら、纏愛は悪戯に嗤った。


 あ、と俺は思わず声を漏らす。


 確かに俺は、他の教師には内緒で、この準備室で昼休憩をやり過ごしている。これは纏愛の言う通りで、バレたら怒られてしまうヤツだ。


 なんとか弁解せねば。


「……なにを証拠に言っているんだ? 俺は化学の教師だぞ。準備室に出入りすることを許されている。その身分で、昼食をここで過ごしたとしても何も問題はない。仮にお前がこれを他の先生方に見せたとしよう。それでお前になんの得がある? 一応言っておくが、俺はお前の下着が上下合わせていないことなんて誰にも言うつもりはないぞ」

「はい、セリフ長い。図星だね」


 あと下着の話はするなー! と怒られた。

 くっ、また台詞の長さでバレてしまった。


「……そうだよ、俺はここでぼっち生活をしているんだ」

「認めるとこそこじゃないでしょ……」


 そう言いつつ、纏愛は俺が後回しにしていた栄養食品の残骸らを、ゴミ箱に入れ始めた。ほい、ほい、ほい、と。


「ふーん、そっかそっかー」

「な、なんだよ」


 もしや、なにか俺に条件を付けるつもりなのだろうか。

 例えば、このことをバラされたくなければ、成績を良くしろ、とか。


「んーん、ミッチーは寂しいお昼休みを過ごしてるんだなあって」


 そう言ってゴミ箱を置いてから、纏愛は俺の目の前までやってきて。


「ミッチー、一緒にご飯食べてあげよっか?」


 にひひ、と満面の悪戯顔で、纏愛は俺を見上げて言った。

 角度的に、ワイシャツの間から、か細い谷間が見えてしまった。


 若い身体に反応してしまったのか、はたまた照れくさかったのか。

 どちらかは定かではなかったが、俺は顔面の温度が上がっているのを感じながら、纏愛から目を逸らし。


「……嫌だと言ったら?」

「写真バラす」

「だよな……」


 はぁ、とため息を吐き、俺は両手でそれぞれ纏愛の肩に手をかけ、一歩下がらせる。カンタも夢葉さんも、最初から距離感が近すぎるタイプだったから、その血もあるんだろうな、と思いつつ。


「…………わかった。その代わり、ここで昼飯を食べることは内緒にしろよ」

「わかってるってー! ささ、掃除掃除!」


 嬉しそうに、俺が散らかしたゴミを片していく纏愛。

 それを見て、思わずため息を吐く。


 自分のだらしなさを見られてしまったのもそうだが、一人で過ごす時間が減ってしまった。

 いや、逆を考えれば、纏愛の面倒を見る時間が増えたと捉えることもできる。

 これが良い方向に転べば、いいのだが。


 そんなことを考えながら、ふと、昔の記憶が蘇る。

 あれは、夢葉さんと付き合う前だった。

 上目遣いで、俺の心を奪っていったあの目、あの谷間。

 今のところ、胸以外は要所要所、遺伝していることがわかった。

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