第17話
アンモニア水で行う沈殿反応の実験も、残り二本となった。残っているのは、水色の銅イオン、そして無色透明の銀イオン。
これらの化学反応を見て、人間に例えるならどんな性格なのか、と予測を立てる。この見本を見せることができれば、ただの悪戯をしていた纏愛が、ちゃんと人を知ろうとすることができるかもしれない。
そう踏んで企画した作戦。実験だ。
「次は銅をやってみるか」
「ミッチーって、怒るときは怒るんだね」
「一番最初に怒ったけどな」
そう言いつつ、入学初日の事件を思い出す。
纏愛が、クラスメートに椅子を投げつけた、あの日を。
「え、いつ?」
「……いや、気にするな。俺も怒るから、調子に乗り過ぎないようにな」
「はーい」
短く返事し、次の実験の準備を始める纏愛。
彼女は入学初日のこと、もう忘れているのだろうか。あんなことをしてしまったのが、最近だというのに。
いや、ただ切り替えが早いだけなのかもしれない。過ぎたことをいつまで考えていたって仕方がない。
そういう面では、俺も纏愛を見習わなければいけない。
「ミッチー、もう入れていいのー?」
「あぁ、少量だぞ」
「わかってるー!」
纏愛は目線を試験管に向けつつ、俺の注意に答えた。
慣れてきたからか、次の実験が気になるのか。
早く結果が知りたい。
そんな楽しそうな表情を浮かべる彼女に、少しだけ安堵する。
「……まーたスライムだ」
試験管を振りながら、残念そうな声を出す纏愛。
「そうだな。纏愛、またアンモニア水を入れたら、こいつはどうなると思う?」
「えー、どうなるか、かぁ……じゃあ、さっきと同じ、ブルーハワイ!」
ホワイトボードを指差し、彼女は答えた。
きっと、鉄がそうだったからだろう。
水ナトの実験の際は、彼女が多く水溶液を入れてしまったために途中経過を見れなかったが、鉄のイオンに水ナトを少量加えると、先程纏愛が言っていた通り、ドラゴン〇―ル色になる。そして多量に入れると、コーラ色へと変化する。
これはアンモニア水でも同じ。少量、多量ともに同じ色を出す。
アルミニウムも同じ結果があったため、それを加味した上での答えだろう。
「ブルーハワイだな。じゃあ、実際にやってみろ」
「うん」
纏愛は、スライム色へと変化した銅イオンの試験管に、アンモニア水を足す。そして、試験管を振ると――。
「え、なにこれ」
彼女はそれに見惚れている様子だった。
俺もこの色は好きなため、纏愛が同じような反応をしてくれて、すごく嬉しい。これこそ、生徒に実験をさせる醍醐味だろう。
深青色。
海や空よりも遥かに深い深い青。
このまま固めて宝石として飾りたいと思わせるそれは、まさに人間の色欲をそそらせるものだ。
「すっご……きれー……」
「綺麗だろ? 俺もこの色は好きなんだ」
試験管の底が目の高さになるまで腕を上げる纏愛に、俺は問う。
「……これが人間だったら、この人は、どんな人なんだろうな」
「それはもう絶対美人だって! あ、でも最初スライムになったもんね」
「そうだな」
「あー、じゃー……大学デビューだ! それでめっちゃ美人になって、モデルとかにスカウトとかされて!」
「いいな、夢がある話だ」
はしゃぐように纏愛は話した。
この人がこれからどういう風になっていくか、妄想を膨らませて。
「で、最後は旦那さんに冷凍保存されて――」
「待て、急にサイコパスな展開になったぞ」
思わぬストーリーに、カットを入れる。
しかし、わからなくもない。美しい、綺麗だと思ったものを、永遠に残しておきたい。これはどちらかというと傲慢なのだろうか。
「ねね、ミッチーはこの人のこと、どー思うの?」
「あぁ、俺か? そうだな……」
不意な質問返しに、俺は思考を巡らせる。
銅イオンについては 、この綺麗な色を見てほしかったというのと、どういう人間か予測させる、ということしか考えていなかったため、自分の考察をしていなかったのだ。
スライムから美人――いや、これは纏愛の表現だ。
誠実に行くのであれば、淡青色から深青色になった。
淡いものから、深いものに……。
「そうだな、ちょっと長くなるかもしれないけど」
「いーよいーよ。私も長くなったし」
にひひ、と同じ笑い方で纏愛は俺の発言を許してくれる。
ならば、と俺は自分の考えを一旦、整理してから。
「この人は、良い人に巡り合えたんだと思う」
「良い人に……?」
どゆこと? とでも言いたげな顔の彼女に、俺は説明を続ける。
「最初――アンモニア水を入れる前は、水色だったろ? そこから淡い青色に変化して……この人はきっと、なんとなく成長をしたんだ。少しだけな。で、二回目を入れたときに、自分の何かを変えるキッカケをくれた人、そんな人と出会えたんだと思う。そのおかげで、なんとなくで生きてきた人生の色が、より深くなって、それが個となって、こんなに綺麗な色になった――って感じかな」
俺はとある記憶を思い出しながら、深青色の話をした。
しかし、纏愛は何も反応してくれなかった。
いかん、懐かしい記憶と絡まって夢中で話してしまった。
わかりづらかっただろうか。
「……人生の色が変わる、かぁ……」
纏愛が呟いた。
あれ?
伝わってた?
大丈夫だった?
「ミッチーにも、そういう人いたんだね」
「そういう人って?」
「ミッチーの人生を変えてくれた人」
なんでわかるんだ。
そう訊こうとすると――。
「だって、セリフ長いんだもん」
と言って、纏愛は嗤った。
いいだろ別に、と内心で呟いて、俺は目線を彼女から外した。
「ほら、ホワイトボードに結果を残す」
「はーい。怒られたくないから美人って書いとこーっと」
わざとらしい言葉で、纏愛は実験結果を書いていった。
別に今回のは、怒るつもりなかったんだけどな。
ちょっと良いこと言えたかなーって思ったし?
「じゃあ次でラスト? 銀だっけ?」
「そう。水ナトの時は、どんな色してたか、覚えてるか?」
「泥! からの沼!」
「正解。じゃあアンモニア水でどう変わるか、見てみるか」
「うん!」
◇
元気の良い返事の直後、纏愛は早速実験に移った。
これも驚くんだろうなあ、と。
俺は内心で悪戯に嗤った。
「あれ、また泥だ!」
アンモニア水を少量加え、沈殿反応を起こした銀は、またも泥のような色をしていた。銅の流れで考えさせてみるのも、面白そうだ。
「また同じだったな。さて、次はどうなるかな。銅と同じように変化したら、何色になると思う?」
「えー! 待って泥でしょ!? ちょっと待って、考えさせて!」
うぅむ、と唸りながら、纏愛は悩み始めた。
泥から着想したとすれば、なかなか難しいだろう。
自分だったらどう考えるだろうか。泥から綺麗な色……。
「わかった!」
突然、纏愛が元気よく声をあげた。
少しだけ肩がびくっと上がった。
「お、おう。どうなると思う?」
驚いた拍子で、表情を歪ませたまま訊いてみる。
すると、纏愛は――。
「虹色!」
そう答えた。
なんでだ。
「河原でさ! 遊んでたら雨降っちゃって! でもね、それ天気雨で、晴れたらそこには――虹があるの!」
「お前……想像力すごいな」
それは別に河原じゃなくても、グラウンドとかでもいいんじゃないか。
野暮なことを考えたが、口にはしなかった。
とにかく、彼女の発想は大事にしないといけない。
間違いを間違いだとただ注意しては、理解されないし、反発を食らう。誰も救われない教育なんて、俺はしたくない。
「じゃあ、実際にやってみるか」
「うん!」
纏愛は、最後の実験を開始する。
アンモニア水をスポイトで吸い上げ、試験管の中へと垂らしていく。持っていたスポイトをボトルの方へと戻し、試験管を振る。すると――。
「あれ、なんで!?」
試験管にあった泥は、消えた。
無色透明。
元通りになったのだ。
「え、なんで!? すっごい泥だったのに!」
「どうだ、すごいだろ? これが化学だ」
どやぁ、と。
胸を張って化学を自慢する。
対して纏愛は、どういう原理なのかを訊きたがって仕方がない様子だ。まあ手品みたいなことが目の前で起きたら、そう思う気持ちもわからなくはない。
しかしこれは、本来なら三年生で習う物。せっかく実験をしたので、解説をしても良いが、今回はテーマが違う。三年生になった時、改めて教えるとしよう。
「さ、纏愛。最後の推測だ。この人間は、どういう人だと思う?」
「えー、透明から泥になって、また透明になって……えー!」
わかんない、と頭を抱える纏愛。
これについては、俺も事前に考えては来たが……。
彼女がなにかを思いつくかどうかは、予想できなかった。
むしろ、何も思いつかないのではないか。
そう思わせる内容だ。
「どうする? ギブアップか?」
「うーん、うーん、うーん!」
負けず嫌いなのだろうか。
必死に抗おうとする纏愛に、俺は悪戯をする。
「ごー、よん、さん」
「ちょ、カウントダウン無しでしょー!」
「にー、いち」
ぜろ。
「ぎゃああ」
纏愛は膝から崩れ落ちた。
どんだけ悔しいんだ。
「まあこれについては宿題にしておこう。難しいだろうから」
「ぐぬう……」
悔しそうな声で、纏愛はスマホを取り出し、実験結果が書かれたホワイトボードをパシャリと、写真で撮った。
おそらく、家で考えるために見返すようの簡易ノートだろう。まあ、普通にノートに書かせても、理解できないだろうから、これくらいがちょうど良いのかもしれない。
「じゃあ、参考までに、俺の考えを言っておこう」
「うっ、なんかミッチーに負けた気がする」
「それはそうだろう。教師の人間観察力を舐めるなよ?」
だがこれは、想像の域を出ないものだ。
それを前提に、俺は纏愛に話す。
「この人はきっと、誰かと友達でいることを辞めたんだと思う」
「友達を、辞める……?」
オウム返しに聞き返される。
例えば、と続けて。
「一度アンモニア水が入り込んで、泥になったろ? あれをストレスだと仮定しよう。少し入っただけであんなストレスだった。しかし、二度目――もう一度このアンモニア水が入ったことで、この人は限界を迎えたんだ。だから友達でいることをやめてしまった」
悲しいストーリーを、一番最後に持ってきた。これが正解か不正解かは正直わからない。しかし、纏愛に考えてほしかった。
彼女は最初、クラスメートに興味がないと断言してしまった。友達ができるあの一瞬を、台無しにしてしまったのだ。
その現実。そしてやりすぎたことで縁を切られてしまう可能性がある、ということ。俺と同じ考えを出す必要は全くない。しかし、このことを伝えたうえで、纏愛にも考えてほしかった。
人のことを知ること。
これは、他人だけじゃない。
纏愛が自身を知ることもまた、含まれているのだ。
「本当に難しい問題だと思う。だから、纏愛がいつか答えを思いついたら、その時に教えてくれ。来年でも再来年でも、卒業した後でも良い」
「……卒業した後に宿題が残ってるのは、嫌」
「……まあ、そうか」
こうして、満道光秀プレゼンツ、無機化学による人間の性格との関連性の実験は、終了したのだった。
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