第14話

 二本目が終わり、纏愛のやる気も出てきたところで、ここまでの実験結果をホワイトボードに書いていくことにした。


 アルミは透明から白色に。鉄は黄色からコーラ色に。

 さて、残っているのは銅、銀の二本。


「よーし、やるぞー」

「纏愛、最初は少なくだぞ。二滴くらいにしてくれよ」

「おっと、そーだった」


 さっきは失敗しちゃったもんね、とほんのり笑顔で付け加え、水色の液体――銅の試験管をと手に取る。

 そして、水ナトのボトルにゆっくりと力を込め、銅の試験管に一滴、二滴。先程と同じように、円を描くよう振る。


「うわ、なんかスライムみたいなのになった」


 試験管内で、沈殿反応が起きた。

 水色だった液体は、青白色へと変化した。纏愛曰く、スライム色だ。


「よし、じゃあそれを一回スタンドに戻して、ホワイトボードに書いてみろ」

「わかった!」


 元気よく返事をすると、纏愛は言われた通りに試験管を戻し、ホワイトボードに

「スライム」と書いた。

 本当は青白色なのだが、まあいいだろう。

 こういった表現も、個の一つ。


「そしたら、もう一回そのスライムが入った試験管に、水ナトを入れてみろ」

「うん!」


 楽しそうな声色で答え、手際よく作業に移る纏愛。同じことをこれだけ繰り返していれば、誰でもこれくらいにはなれる。

 水ナトを入れてみると、またも沈殿反応が起こった。


「え、すごい! かき氷! ブルーハワイだ!」


 本当は淡青色なのだが、まあいいだろう。


「さっきよりも良い色になっただろう?」

「うん! なんか、すごいね!」

「すごいっていうのは?」

「えっとね、同じ物を少し入れただけでも色が変わるのに、もっと入れるとまた色が変わるのが、なんか面白い」


 感じたことを分析し、言語化する纏愛に対し、俺は「お」という反応をしてしまう。実験を楽しんでくれている証拠だ。なんだかこっちも、楽しくなってくる。


「そうだろ? 面白いだろ。それがあと五本も残ってるぞ?」

「ミッチー早くやろ! 次は……こっちの透明なやつでいいんだっけ?」

「そうだ。その銀を使うんだが、まずは結果を書いておけ」

「あ、そっか」


 思い出したかのように、ホワイトボードへ駆け寄ろうとする纏愛。


「おい纏愛!」


 纏愛は急ごうとしたのか、椅子に足を引っかけてしまう。

 銅の試験管を、持ったまま。


 彼女が走り出すときには、俺も駆け出していた。


 足を引っかけてしまい、転びそうになる纏愛。


 転落する前に、手を伸ばす。


『びちゃ』


 そんな感覚がした。

 しかし、それはすぐに思考の外へと出ていく。


 転んでしまう前に手を伸ばし、俺は纏愛を抱きしめた。


「大丈夫か!?」


 両手でそれぞれ彼女の肩を掴み、怪我がないか確かめる。


「う、うん。大丈夫。大丈夫、だけど……」


 纏愛は、なんだか怖いものでも見たかのような表情で、おそるおそる指を差した。その先には、俺のネクタイがあった。


 そのネクタイは、銅の錯イオン――纏愛が実験で作ったブルーハワイで染まってしまっていた。


 白衣を着ていたので、こういった事態が起きても大丈夫だと思っていたのだが、なんとピンポイントでネクタイにかかってしまうとは。


「ご、ごめんなさい……」

「いや、それよりも怪我のほうだ。試験管は!」

「え、いや、割れてないけど……」


 そう言って、銅の試験管を二人で見つめる。纏愛の言っていた通り、割れている様子ではなさそうだ。


「何処か痛むところは無いか? 纏愛に錯イオンはかかっていないか?」

「痛いとこも無いけど、えっと、さくいおん……?」

「さっきのブルーハワイだ。かかってないか?」

「う、うん。でも、ネクタイが……」

「今はそんなのどうだっていい。纏愛は本当に大丈夫なんだな?」

「え? あ、うん。私はだいじょう、ぶ……」


 困惑した表情で答える纏愛。本当に無事なのだろうか。

 念のため、俺は纏愛に動かないよう指示を出し、ゆっくりと周りを回りながらじっくりと彼女のジャージを観察する。


 ふむ、確かに大丈夫そうだ。


「ねえ、いつまで見るつもり? なんか変なコトされてる気分で気持ち悪いんだけど」

「おっと、それは悪かった。確認できたから、もう大丈夫だぞ」


 そう言いつつ、俺は汚れてしまったネクタイを見つめる。緑と白色のストライプ模様。理科って感じで結構気に入ってたんだが、今は一部分が真っ青に染まってしまっている。


「ま、お前が無事なら何よりだ」


 俺は汚れたネクタイを解き、ゴミ箱へと捨てた。

 それを見た纏愛が。


「え、それ気に入ってたやつじゃなかったっけ」

「ん? 話したことあったか?」


 訊くと、悪戯を繰り返していたある日に――昼休みの職員室で、そのネクタイをジッと見つめて変な笑顔を浮かべていた瞬間を見てしまったらしい。その時は俺に用事があり、呼び出そうとしたのだが、その変な笑い方を見てしまい、引き返したという。


「お前な……」

「いや、あれ見たら、誰だって話しかけられないって……」


 俺から目を逸らしながら、弁解をする纏愛。

 しかし、そんなところまで俺のことを見ていたとは意外だった。

 これは『人を知る』ための大きな一歩の瞬間を、目撃できたのかもしれない。


「それよりネクタイ! 捨てちゃってよかったの?」

「……まあ、纏愛が無事だったからな。ネクタイはまた買えばいいさ」


 襟元を整え、纏愛の元へ歩み寄る。


「ネクタイのことは気にするな。それより今は、実験を楽しめ」

「で、でも……」


 纏愛は、俺がネクタイを捨てたゴミ箱ばかりを見つめている。

 本当にいいのに、どうすれば説得できるだろうか。


 うぅむ、と考えてから。

 ふと、閃く。


「さっき実験のこと、面白いって言ってくれたろ? 俺はあれがすごく嬉しかった。だからネクタイのことよりも、纏愛には、この実験を思い切り楽しんでほしい――それじゃあ、ダメか?」


 訊いてみると、纏愛はまだ目線を合わせてくれない。

 しかし、その先はもうゴミ箱へは向けられていなかった。


「……その言い方、ズルい」

「悪いが本心だ」

「わかってるよ。ミッチーって本気で言う時、セリフ長いもんね」

「なんだその分析は……」


 確かに熱く語ってしまうときなんかは、一方的に喋ってしまうことが多いが……。


「……わかった。実験楽しむ」

「そうそう。そうしてくれ」


 お互いに二言ずつ。


 切り替えてから、実験結果を記録し、次の実験へと行く。四本目――透明をした液体、銀だ。

 纏愛が慎重に水ナトを入れて振ってみると、狙った通りの反応をしてくれた。


「……この銀、すっごい泥なんだけど」

「透明からその色になるの、面白いだろ? もっと水ナト追加してみろ」

「面白くはないかな……うわっ! もっと泥じゃん! ミッチーこれ、もう沼だよ、沼!」

「はは、沼か! そうだな、沼だな!」


 二人で笑いあって、水ナトの実験が終了した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る