第8話
夢葉さんの話をまとめると、こうらしい。
・俺を振った理由が最低だったと自分でも後悔。
・しかし仕事も忙しくなりストレスが溜まっていく。
・酒の勢いで、中学生のカンタを抱いた。
「それで翌年に産まれたのが、纏愛ちゃん」
「いやー、中学生でも産めるもんなんだって、びびったよね」
「なんでそんな楽観的なんだよお前は……」
そうツッコミを入れたところで、俺は何故か、昔の風景を再び思い出した。カンタに進路相談をされた、あの日の教室を。
「これは完全に私がやらかしちゃったことだから、カンタに纏愛ちゃんのことを話すかどうか、最初すごく悩んだの。でも、自分の子供がいるんだって知っておいたほうがいいのかもしれない――そう思って、身籠ったことを伝えたの」
両手でお腹をさそり、懐かしそうな顔を浮かべながら、夢葉さんはにこっと笑った。
「そしたら、俺が夢葉と纏愛ちゃん、二人を絶対に幸せにするって、言い切られちゃったの。そんなこと、中学生の子に言われたら、きゅんってきちゃって……」
両手は次に両の頬を抑え、顔を真っ赤にした夢葉さんは当時の感情を表すように、くねくねと動き出した。
話がいつの間にか、惚気話になってしまった。
相談というのはどこへやら。
「えっと、それで結婚する年まで待っててくれって、俺から頼んだんだけど……まさか、ミッチーを振ったのが夢葉だとは知らなくてさ。結婚式に誰呼ぶかってなったときに、ようやくそれが明らかになってさ」
「そりゃ呼べんわ……」
複雑すぎるでしょ、俺の立場。
そう自分を俯瞰して、肩を落とす。
まさか、そんな経緯で自分の元婚約者と教え子が結婚をしていたなんて。
「というか、もうその時には小鳥遊――纏愛さんは、産まれてたって、結婚するまではどうしてたんだ?」
「夢葉にシッターさんを雇ってもらってたよ。けど、そういうのなんか違うなって思ってさ。だから高三の時、ミッチーに相談したんだよね」
カンタの回答に、ようやく。
筋が繋がったような気がした。
『俺、金稼がないといけないんだ』
進路相談を受けたあの日、最初に出た言葉。そして、何かしらの理由があるのを、見抜けなかった、訊き出せなかったあの日のことを思い出す。
「だからあの時、就職するか進学するかで悩んでたのか……?」
「そー! そーいうこと! 纏愛をちゃんと育てるにはどうしたらいいかなって、すっげー悩んで、ミッチーに相談したってこと!」
カンタと小鳥遊では、十三歳の差がある。ほとんど妹みたいなものだと思うが、自分の子供となると、そうはいかないだろう。
俺は自分の子供なんていないが、そんな若い頃に子供ができたと思ったら、プレッシャーと責任で、想像するだけで身震いがしそうだ。
「そんで! そんでね! 纏愛のことで、ミッチーに相談があるんだよ。あ、ごめんちょっとメッセージの返事するね」
スマホを取り出し、素早く操作するカンタ。相変わらずのマイペースっぷりで安心するような、しないような。
「あ、あぁ……たしか最初は、そんな話からだったな」
正直、現実離れしている事情を聞いて、頭がゆらゆらとした感覚だ。ちゃんと聞けるだろうか。
いや、きちんと聞かなければ。
元教え子の頼み事であり、これからの教え子に関係することなのであれば。
ごめんごめん、と言ってスマホを仕舞い、カンタは話を続けた。
「実を言うと、昨年あたりだったかな。俺と夢葉のこと、纏愛にばれちゃって」
「……夢葉さんが少年を襲ったということが?」
「それも含めて! 全部ね! で、そっからなんだけど……」
ぽりぽり。カンタは後頭部を掻いた。
そして、俺から目線を逸らした。高校生の時からあった、カンタの癖。なにかを隠そうとしている証だ。
カンタは、いったいなにを隠そうとしているのだろうか。自分たちのこと――両親の馴れ初めが不純だった事実。それを中学生の女の子が知ったら、どうなるか。
想像がつくとすれば――。
「あれか、父親として見られなくなったとか、嫌われたとかか?」
「あーいや、元から父親としては見られてないし、嫌われてもないんよね」
「そうか……え、父親として見られてなくて、嫌われてないだと?」
なんだ? どういうことだ?
こういうのって、父親を気持ち悪がったりするものじゃないのか?
例えば、お父さんと洗濯物一緒にしないでとか。
そういうやつじゃないの?
「うん。あいつからしてみれば、俺はどっちかっていうとお兄ちゃん的な存在なんだよ。歳も近いしさ」
お兄ちゃん的なって、確かに十三歳差くらいならそう思われても仕方がないが。
そう思ったとき、ふと、玄関先で小鳥遊の台詞がフラッシュバックした。
『あ、なんだカンちゃんか!』
カンタのことを、父親のことをそう呼んでいた。
呼び名を含めて考えると、確かにそうかもしれない、と納得できてしまう。そんな説得力があった。
「いやー俺も嫌われるかもしんないって結構びびってたんだけどねー」
「……まあ、嫌われてないならいいじゃないか」
「それもそう上手くいかなくってさぁ……子育てって難しいね」
はぁ、やれやれ。
お手上げ、といったポーズを取って、カンタはため息をついた。幸せな悩み方をしている自覚があって言っているのであれば、恩師パンチを飛ばすところだ。
「なんていうか、その、こう……」
「なんだよ、ハッキリ言えよ」
詰めていくと、ちょっといいかな、と夢葉さんが割り込んでくる。
そこで、俺はテーブルに少しだけ前のめりになっていることに気付いた。ふぅ、と息を吐き、すみませんと謝ってから、お茶を一口含んだ。
「纏愛ちゃんはね、私たちを嫌ったんじゃなくて、憧れを持つようになっちゃったの」
「憧れ? 歳の差での不純異性交に?」
「そうじゃなくって!」
夢葉さんがバン、とテーブルを叩いた。
一瞬で空気がカラカラに、そしてずっしりと重くなった。
「す、すみません。冗談のつもりで……」
なんとか空気を変えようと試みる。
しかし、パパ活をしている事実は本人から確認できている。間違ったことはいっていないつもりだったのだが……。空気を読み間違えてしまった。
「夢葉、一旦落ち着いて。ミッチーも、気にしないで。今、それで悩んでるんだよね」
冷静に、沈着させるように。
カンタが二人の内心の安定を保つように心がけている。
なんだか、どっちが大人で、どっちが教師なのか、これではわからないではないか。
自分に言い聞かせ、切り替えよう。
「……それで悩んでるってのは、どういうことだ?」
「さっき、夢葉が言ってくれた、俺たちに憧れちゃったってとこ。何に憧れたかってのは、夢葉がすごく愛されている人だってことなんだ」
話を聞くと、なんだか小鳥遊の気持ちもわかるような、それでもなんだかわからないような、曖昧な回答を抱くような内容だった。
俺が二人を絶対に幸せにする。
昔のカンタが言ったもの。
どうやら、この言葉がトリガーだったようだ。
結果的に、夢葉さんはとても幸せに今を生きている。
これはカンタが頑張ってきてくれたおかげでもあり、二人が支え合ってきた家族・夫婦という名の強い強い絆を表している。
小鳥遊纏愛は、夢葉さんのような、愛される存在になりたい。
そう思ったそうだ。
だからといって、クラスメートには興味がでなかったらしい。これは年下もそう。原因は、カンタが若すぎたということ。
女子からしてみれば、同い年の男子は子供っぽく見える。小鳥遊が物心ついたとき、果たして彼女からみたカンタはどう映っただろうか。
夢葉さんには「ママ」と呼び、カンタには「カンちゃん」と呼んでいる。先ほどカンタも言っていたが、彼は小鳥遊に父親扱いを受けていない。小鳥遊が十歳になった頃は、カンタの年齢はまだ二十三歳だ。年の離れた従兄のような感覚だろう。
そしてカンタがあまり大人じゃなかった、というのもあるのだろう。自己紹介のときに言っていた、クラスメートには興味が無いといった発言。あれの裏には、この情景の感情があったからだった。
同い年は勿論、年下なんて彼女にとっては論外だろう。それで始めたのが、パパ活。これは夢葉さんもカンタも、彼女がそういった遊びをしていることは、認知しているようだった。
しかし、何度注意しても、小鳥遊はパパ活を辞めなかった、では、どうするべきか。諦めて自由に遊ばせて、もし小鳥遊に何かがあったら、それは言うことを聞いてくれなかったから、では済まない話になってしまう。
「……という事情でございやした」
説明し終えたカンタは、緊張が解けたのか、ふぅ、と深いため息を吐いた。
「あいつの夜遊びを直すにはどうすればいいかって考えた時さ、ふとミッチーを思い出したんだよね。約束のこともあったし、ミッチーの学校に入れて事情話して、どうにかしてもらえないかなって」
肩の力が抜けたような、そんな言い方だった。
「……だとして、なんで早めに言ってくれなかったんだ。時間は結構あっただろ」
「いや、仕事が忙しくってさ。ごめんって」
仕事。
そうだ、仕事。
「カンタ。俺、お前に進路相談受けてから、どの道を選んだか知らないんだが……」
「あっ、そっか。ミッチー入院しちゃってたもんね」
ぽん、と手を叩いて、カンタは自慢気に話した。
「俺、今シェフ」
「シェフ!?」
「そう。ほら、ミッチーが言ってくれたじゃん。自分の意志を優先してもいい道があるかもしれない、みたいなことさ。それで、考えたんだよね。夢葉を支えつつ、纏愛にも喜んでもらえて、俺が楽しめる方法。且つ、早く仕事に就ける方法!」
それが、と続けて。
「料理人になること! 専門学校とか短大だったら、早ければ一年で調理師免許の資格をとって、卒業することできるって聞いてさ! だったらこれしかなくね? やるっしょ! 自分にできること! やりたいこと!」
楽しそうに、懐かしそうに。
両腕をいっぱいに広げて、カンタは言った。
俺が小鳥遊の夜遊びを辞めさせる。
なんて勝手な頼み事だ。
自分の子供の教育を、他人に押し付けるなんて。
――そう思えたら、楽だっただろうな。
「……たかな、纏愛さんは、今どこに?」
やってやろうじゃないか。
カンタに進路相談を受けたときの、俺が与えた言葉。これは、カンタを正しい道へと、幸せな家族を作る道へと進ませたんだ。
それを、カンタは証明してくれた。
肯定してくれたような気がした。
そんなカンタが、困っているという。そして、俺を頼ってきてくれた。だったら、やってやる。小鳥遊纏愛を、矯正する。
「纏愛ちゃん? 今は自分の部屋に――」
「纏愛なら、俺の部屋で漫画読んでるよ」
本当に仲の良い夫婦なのだろう。
どんぴしゃのタイミングで、同時に答えてくれた。しかし、内容が全然違った。
「あれ? さっきまで、私の説教をしていたから、自分の部屋から出ることはないと思うんだけど?」
「あーいや、俺の部屋の漫画の続き気になるから読んでいい? ってさっきメッセージ来たからオッケーって言っといた。だから今俺の部屋にいるよ」
ふつふつと。
今度は湿度が高くなってきたような気がしてきた。
「カンタ? 貴方は纏愛に甘すぎる。何度言えばわかってくれる?」
「俺、カンタの部屋勝手に探すからな」
「ちょ、ミッチー見捨てないで!」
「待ちなさい、カンタ。今は貴方のお説教が先です」
「ミッチー! 助けて! マジで!」
とっても仲の良い夫婦を後ろに、俺は小鳥遊纏愛の居場所を探すことにした。
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